平成23年3月11日に発生した日本における観測史上最大の規模、マグニチュード9.0という大地震は、死者、行方不明者2万5千人を超える未曾有の大災害となりました。「自分に何ができるのか?」母国から離れて活躍されている皆さんもきっとその思いに駆られたことがあるのでしょう。ここでは、この場をお借りして、在日留学生として参加させていただいたボランティア活動についてご紹介させていただきます。
金曜日、東京を出発するのは22時過ぎ。被災地へ向かう間、高速道路を走りながらまず驚かされたのはトラックの多さ。週末ということもあり、ワンボックスカーに大量の荷物を積み被災地へ向かう車も多く目に入る。荷台に「ガンバレ日本」「皆で日本を再生させよう」といった横断幕を付けて走るトラックもあり、 高速道路を走行しているだけでも日本中の人達に震災復興に向けての思いがあることに改めて気付く。自分も被災地へ向かう身であるが、日本全国、また全世界からの応援の手がこれほど多く集まっていることに感激し励まされる。
バスは山道の最後のカーブを曲がり、目の前に海が見えた途端、車内から一斉にため息がこぼれる。目に写るのは地震の影響と思われる倒壊家屋の列。さらに進むと、突如として 眼前に広がる折れ曲がった線路上にひっくり返っている軽自動車、住宅に突き刺さっている漁船。あまりの光景に一瞬息を飲む。焼け野が原になった街並み。走り回る自衛隊の車。これは戦争で空襲を受けたあとだろうか?どこを見渡してもその光景が待っている。果たしてここは本当に日本なのか。悲惨な被災地の状況を目の当たりにし、ショックを通り越し、ただただ茫然と車窓越しにその光景を見ている。
東日本大震災から、約2ヵ月。テレビで流れてくる映像やネットから伝わる情報に衝撃を受け、「自分に何ができるだろうか」と真剣に考えはじめる。「自分にできること」は人それぞれ。募金をする、いつも通りの生活を続けて経済やライフラインを維持する、お金を使い世の中を元気にする……などあるが、なんといっても最大の行動は、ボランティアとして被災地に赴くことに違いないと悩んだ末、気が付く。「事情も分からないまま赴くと逆に迷惑をかけてしまうのではないか」と憂慮はしているが、「日本の復興に役に立ちたい」、「私が日本にいる時に限ってこんな大震災が起きるとは、本当にただの偶然の一致だけなのだろうか。助けを求めている人を助けに行くのが私の一時的な使命になっているのではないのだろうか。」、「これまで大変お世話になった日本の皆さんに少しでもご恩返しができれば」というような思いの方が圧倒的に強い。早速、インターネットでボランティア情報を調べると、全国大学生活協同組合連合会が大震災の復興支援の一環として「週末ボランティア」を計画していることが分かり、応募する。
被災された方々は、ほぼ全員が心に深い傷を負い、 被災して間もない頃はまだ余震も多く、避難所環境も良くないことから生活ストレスが溜まっている。感情の表出がうまくできない、恐怖感に覆われている子供達の数が極めて多いという情報を踏まえ、私が参加を希望したのは、未曾有の大災害によってあまりにも多くのものが失われた被災地においての、子どもたちの心身の健康を支えるために展開されてきたボランティア活動である。
現地の被災状況の説明を受け、班ごとに打ち合わせを行い、活動を開始するための移動中、海沿いで目に入ってきたのは2階建ての養護学校。下のほうだけでなく2階部分まで破壊が著しく、屋上部分に漁船や車が載っていることにあまりにも仰天し、案内の方から「当時ここは40名の入所者がいたが、助かったのはたった14名足らず。職員さんの中も犠牲になった方が何人かいる」と聞かされ、その場で全員手を合わせ、無言のまま活動場所へ急ぐ。
子供たちが楽しいひとときを過ごせるよう、お絵描きのサポートをし、遊び相手をすることにより、「口数が少なかった子どもたちが明るくなったり、自信がついたり、会話も増え、良い変化が見られた」と現地の教員にも評価をいただいた。
今回のボランティア活動では一般家庭の家財道具の運搬や避難所の子どもたちの遊び相手などをすることにより、被災地の皆さんの厳しい状況下でも必死に生きようとする姿を見ることができた。時間が経つごとに、自分の中に生まれて初めて心から「人のためになりたい」というボランティア精神が培われたともに、人生観にも変化が生じたのではないかと感じるようになってきた。 「これからも心から被災地の復興を願うとともに、遠く離れていても気持ちは一つにして前に進んでいきたい」というのが、自らに誓い、言い聞かせた言葉である。
自分のボランティア経験について書いたら、私が偉いことをし、皆さんに感謝して欲しいという、私が全く思ってはないことになってしまうのではないかと心配しましたが、腹を決めてこのテーマにさせていただきました。このテーマにしたことでもっとも言いたかったのは被災者の方々からいただいた温かい気持ちに、また日本人が困難の中でも前向きにお互いを助け合おうとしている姿にあまりにも感動したことです。それをどうか皆さまにもお分かりいただければ幸いです。
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