まず、主人の職業は、前回ご紹介させて頂いた「もみの木」は副業で、表向きは、「森林・狩猟専門鑑定人(igazsagugyi szakert?)」という専門家。
裁判官や、原告側、または被告側の代理人である弁護士は、「法」の専門家であっても、「森林」の専門家でない為、森林に関する裁判を取り扱う時、森林専門家の意見書、すなわち「鑑定書」が、裁判の進行上必要になる。
鑑定人は、裁判において、裁判官の心証形成作業を一部補完する役割を果たす。刑事事件でも同様で、被害届出された事件は、鑑定人により裁量され、捜査のカテゴリが決定される。
この職業は、専門家の最高地位とされていて、強い調査権限を持っており、同時に責任の重い仕事である。しかし、聞いていると、専門分野の知識や経験を駆使して立ち向かわなければならない難問も少なくないようだが、立ちはだかる状況の方が難しいのではないかと思ってしまう。以下、鑑定人の苦労話。
裁判で、鑑定書の内容について、どちらかの側が不満を抱き、「不服申立て」が行われた場合、新たに鑑定人が選定され、一から鑑定がやり直される。こうして裁判が一向に進展せず、5年以上前に伐採された半分腐りかけの木を鑑定しなければならないことは日常茶飯事。
一番多い刑事事件は、まき(薪)詐欺で、被害者は、冬の暖の為にまきを注文し、トラックで運ばれたまきを降ろしてから、きちんと並べて嵩をチェックする前に支払いを済ませてしまい、丁寧に積んだ後、量や質(種類)が騙されていたと気づき、警察に届けられる例。まず警察が、一通りの事情聴取や証拠採取をして資料を集め、鑑定人に依頼するのだが、鑑定人が、被害者を訪ね、専門家の視点から情報採取したい時には、まきの一部が既に灰となっていることも少なくない。
どこにでもある話だが、権力もしくは歪んだ理由で正当な裁判が行われていないと思われることもある。ある別荘の垣根が、隣人によって身勝手に剪定された。主人の鑑定では、有名な俳優である加害者に不利な結果であった為、主人は、植物の専門家であっても、庭の専門家ではないから、という理由で別の鑑定人が選定された。
そして、裁判官や弁護士、警察も厄介だ。鑑定書は、依頼側の課題に答える形で書かれるのだが、チンプンカンプンな内容を提起してくることがある。それでいて鑑定書の内容は、公正でありながら平易で法律家の理解しやすいものにしなければならないから、頭を悩ましている。
最後に、自然豊かなこの地方ではよくある、鹿と車の衝突事故の訴訟を紹介したい。数年前までは、野生動物の管理責任者、狩猟協会から、車の修理代が支払われた。しかし、今は、狩人が鹿を追って道路に飛び出した等の特別な理由がない場合、鹿に注意の看板有無に関係なく、鹿の持ち主と車の持ち主は、双方の危険物体がぶつかってお互いに被害を被ったので、どっこいどっこいとなる。ようは自然の掟には逆らえないということだ。
主人にとって鑑定人は、国外での研究職を辞めてハンガリーに戻った時に就けるよう、コツコツ資格を取って準備していた職。でも、収入は不安定だし、報酬も割に合わない仕事なので、少しがっかりしているようだ。それでも、ダンボールいっぱいの資料が届くと、”自由が命”の主人は、拘束時間はないし、妻以外にボスは居ないし、何より仕事で好きな森に入って行けるから!と今日も楽しそうに箱を開けている。
一方、妻の私は、普段は、日本語を教えている。大学ではまったく畑違いの専門を修業したのだが、少し世界を覗いてみたい、という理由で日本語教師の専門学校に通い、今ではメインになりつつある。
それから、二足のわらじは主人だけでなく、私は、ハンガリーの国内旅行業務取扱管理者の免許を取得して、個人旅行や取材旅行のアレンジをしている。でも、この仕事は、主人のもみの木のように、特に乗馬ツアーでは、馬場の下見、コースの企画や手配、外乗に同行することは、私にとって楽しみ以外の何ものでもない。ここのかわいい馬たちを、もっと多くの人に知ってもらいたいと思っているが、ここで語り出したら止まらないのでまたの機会にする。でも、もしどこかでチャンスがあったら、ハンガリーの素晴らしい自然のパノラマを、是非一度、馬の背から眺めることをお勧めしたい。
他には、ヴェスプレームには、ハ日友好協会があって、会員として携わっている。今年5月末にも「日本の日」文化事業を開催することになっているが、積極的な活動を展開している。この協会のメンバーは、在日暦10年以上の会長を始め、流暢に日本語を話せる研究留学経験者が数名、素人の域を超えた日本文化マニア、さらに、弁護士と会計士までもが愛日家として自分の意思で参加下さっていて、非営利団体としては贅沢な凄いメンバーが揃っている。未知の可能性が埋まっているチームである。その中で、私は、唯一ホンモノの日本人として、少々監査役のような気持ちも携えて参加している。
また、ヴェスプレーム県は、岐阜県と姉妹都市で、長年に渡って国際交流が行われている。手助けできることは通訳以外にもあり、これまた活動的な岐阜県日ハ友好協会には、現地滞在しているからこそできることに、いろいろと関わらせて頂いている。
こうして列記すると、いろいろなことをしているようだが、この原稿だって、皿洗いの合間に考えてメモし、こどもたちが起きる前の早朝、PCに向かってできあがったもの。やはり主婦の仕事が大半を占める。
学生時代のキャリアを積んだ都会の友人たちなどは、帰国の度に、日本人がどこにもいないヨーロッパの田舎で、私はどうやって退屈もせず毎日を送っているのか不思議がるのだが、この原稿を送ったら、少しは生活の雰囲気を理解してもらえるかもしれない。毎日とても楽しい!とはいえないけれど、こんな感じに過ごしています、とメールしてみようかな。
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