5月に行われたK&Hリレーマラソンに参加したのは三度目である。毎年9月に行われているナイキハーフマラソンにも三度出場した。私が人生においてマラソン大会という名のついたイベントに参加したのはこれだけである。
 私はなぜ走っているのだろうか。40歳を過ぎてから走り始めたのであるが、私のように遅咲きのランナーは結構いるのではないか。学生のときは部活や何やらで散々走らされていたが、退屈で仕方がなかった。しかし、その時に足腰をかなり鍛えられたことは間違いないだろう。学校を卒業してからは、野球やテニスなどのスポーツは続けていたが、走るだけなんてことはずっとしなかった。走っている人々を見て、何が楽しいのだろうと思っていた。
 そんな私が、ある日同僚に誘われて気軽に8kmのマラソン大会に出たのがきっかけであった。その時のことは以前にも書いたので詳しく書かないが、何の準備もしないで、しかも二日酔いで人の靴を借りて走った。しかしその時に、人々の声援を受けながら堂々と道路のまん中を走る快感を味わってしまったわけである。
 私にとって走る楽しさは、走った後の爽快感と、走る速度で見える町の様である。また、一人でも、いつでも、どこでも、気軽にできることも大きい。
 走ってみると、車やバスなどでは決して出会わない風景に出会うことができる。一軒一軒の家や店の趣、その中でたたずむ人々、路地裏の奥行き、大げさに言えばその町の空気を感じとることができる。しかも歩いて散歩するよりずっと遠くまで行ける。自転車でもいいのかもしれないが、私の場合は距離や目的に応じて両方使い分ける。
 昨年の夏、実家の京都に一時帰国したとき、9月のハーフマラソンにむけて毎朝一時間ほど走った。だいたい鴨川沿いの遊歩道を走るのだが、そこはジョギングをする人でかなり混み合っている。そこで実家のある京大前から、今日は銀閣寺〜哲学の道〜南禅寺〜清水寺、次の日は京都駅伝のコースにもなっている白川通り〜宝ヶ池、また次の日は京都御所の周り、たまには思い切って金閣寺〜嵯峨野辺りまで行ってみようなどと、京都の名所を日替わりで楽しんだ。走りながら久々に見る故郷は涙が出るほど懐かしく、また新鮮であった。夏の朝の爽やかな空気とともにこの町で起きたいろいろな思い出が蘇ってきた。これも走るという趣味を持ち始めたからであろう。
 旅行や所用で他の町に行っても、少しの時間を見つけてできるだけ走る。飛行機のトランジットで一泊せざるを得なくなったヘルシンキでも、全く知らない所をわくわくしながら走ったのを覚えている。
 ブダペストでは、マルギット島のジョギングコースを走ることが一番多いが、京都と同じように名所巡りをしてみたり、市民公園を回ってみたり、ヤーノシュ丘の方まで行ってみたり、その時の気分で走るコールを変えている。一つの難点はブダペストの冬は寒すぎて、外を走る気がしないということである。しかしそんな軟弱なことを言っていては「走っています。」なんて胸を張って言えないのかもしれない。取りあえず気候の良いこの時期にできるだけがんばって走ろう。
(なかがわ・じゅいち 日本人学校)