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私がハンガリーに初めて来たのは今から25年ほど前のこと。その頃前職の銀行で海外の政府や企業宛に東京資本市場の利用をセールスするのが仕事だった私にとり中東欧諸国は重要な顧客でした。中でもハンガリーはいち早く海外の市場での資金調達を進めていたこともあり、足繁く通ったものです。
空港からとんでもなく飛ばすタクシーに揺られ市内に着くとブルガリアや東独と比べて豊かな景色がそこにはありました。インターコンチネンタルやヒルトン、ソフィテルなどの西側の立派なホテルがあり、ホテルの近くには今でもあるマクドナルドがあって、銃に囲まれ、緊張を余儀なくされた東独などから移動すると明るく、人懐っこい雰囲気にほっとしたことを今でも良く覚えています。
それから20年の歳月が流れ2006年の7月、今度はイビデンの駐在員として着任、そして今、早いもので5年が過ぎようとしています。
この5月に弊社フランス工場に異動することとなりましたがこの地で巡り会った数多くの日本人とハンガリー人の温かい手に支えられここまで来られたことを噛みしめ、改めて皆様に感謝申し上げたいと思います。
5年間の滞在を終え、改めて想うのはハンガリー語は難しい!ということとハンガリーという国は知れば知るほど謎が深まっていく国であるということです。
今でもハンガリーに戻る機内で録音されたハンガリー語のアナウンスを聞くたびに、初めて聞く言葉のような、或いはまるで宇宙人の言葉を聴いているような気がすることがあります。5年も住んでいるのにただ単語を並べたような会話で自分でも情けなくなることも一度ではありません。
又、目新しいものを追いかけるブタペストの人達と素朴で古い伝統を守る地方の人達、数学や化学、物理学、経済学に多くの秀でた人材を輩出したハンガリー人と働く意欲を失ってしまった多くの失業者達、悲観的と言われる一方で将来の心配より目先の満足を追いかける楽観的な一面、集団での行動が苦手と言われながら世界的に有名なオーケストラやコーラスでの素晴らしい協調性、歴史上被征服の長い歴史がありながら極めて特異で固有の文化をこれほどしっかりと維持している国、など枚挙にいとまがありませんが、知れば知るほどとてもこれがひとつの国、ひとつの民族であることが理解し切れず謎は深まるばかりです。
これからもハンガリーには何かしら関わりを持っていくと思いますが、その中で自分なりにこの謎に対する答えを見つけ出していくことが、ハンガリーという素晴らしい国に住む縁を与えてもらったことに対する私なりの感謝になるのか、と想っている次第です。
最後にまだこれからハンガリーに住まわれる皆さん、是非ハンガリーの謎にチャレンジしてどうぞ沢山の素晴らしい経験をして下さい。 |
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篠塚 哲一郎
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日本に家族を残してきたこともあり、行き来の多かった私には、ブダペスト生活は4年に満たなかったかと思われます。こちらに来た当初は、落書きされた薄暗い建物ばかりが目に付き、道路はでこぼことして車は走りにくく、言葉は難解で今後の生活はどうなるのだろうと懸念したものです。しかし、その心配も時が経ちこの土地に慣れるに従って薄れ、代わってハンガリーならではの様々な体験と出会える喜びが増すようになっていきました。音楽関係や手工芸、日本関連活動のお手伝いなどなど、気が つくと毎日のように、なにかしら用事のある充実した日々を送ることが出来るようになっていました。
それもこれも長年この土地に住まわれ、生活全般に精通していらっしゃる日本の方々とめぐり合うことができたお陰です。それは本当にありがたいものでした。ご自身は苦労される中で一つ一つ開拓なさってきたことを、準備も十分せず突然現れた私に優しく教えて下さいました。また、私どもと同様に赴任してこられた先輩奥様がたからも、貴重な情報をたくさん教えて頂きました。それは何より心強いものでした。そして今、お稽古や活動を共にするお仲間の皆さんにどれだけ助けて頂いたことでしょう。
また、実際楽器や手工芸を教えてくださったハンガリーの先生方には、かけがえのない経験をさせていただいたこと、一生の宝物と思っております。また日本語や書道を習っている老若男女のハンガリーの皆さんと知り合うことができたことは、大変うれしいことでした。皆さんの学習意欲に頭の下がる思いでした。私ももう少しハンガリー語が上達するはずだったのですが・・・・
こういった方々に支えられて、無事にそして楽しくブダペストで生活を送ることが出来ました。この紙面をお借りして、皆様に心からお礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。 |
篠塚 園子
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