かつては世界に燦然と輝いた「日本の物作り」も、中国・韓国・インドの急成長、アップル、グーグルの斬新的なアプローチの前に、かつての輝きを失っている。「日本の物作り」に身をおく私にとって、頭から離れない重いテーマとなっています。「輝き」の復活を込めて、私の思いをまとめてみました。
大きく変わった世界の物作り
何でも手に入る世の中になってきました。機械・ハイレベルな部品・技術・人さえも、「パクリ」文化も当たり前となっています。豊富な資金ですべてが揃います。低所得地帯でマニュアルに従い単純労働する「物作り」は、いとも簡単に世界に通用する製品が誰にでも作れる世の中になりました。これを私は「物作りのレシピ化」と名づけています。
この変質を最大限に活用しているのが中国・韓国・台湾などの新興国であり、生産拠点をグローバルに海外展開したメーカーです。工業基盤のない国でも、製造経験のないソフト関係のメーカーでも、世の中に通用する製品を作ることが可能になってきました。この結果、「物作りのレシピ化」は最終的に何の魅力もない平凡な商品の廉価競争に突入しました。日本人はこの種の競争は苦手です。それは「日本の物作り」精神と違うからだと思います。コピーでない「物作り」には思い入れや情熱が必要です。それを欠いた「物作り」には、作る者の気持ちが入っていないのです。
日本の物作り
「仕事・技術は教わるのでなく、盗むもの」、「改善活動」、「小集団活動」、「朝礼」、「年功序列」、「家族主義」、「終身雇用」など、「日本の物作り」にはいろいろなキーワードがあります。そして、これらには共通した一本の芯が存在します。それは「人・人間」です。日本の伝統文化や武道の最終目標が人としての大成と結びついているように、「日本の物作り」にも「人・人間」としての成長が存在することに何の不思議もありません。
「物作り」の中心が人間である限り、人と人との関係が一番重要な軸になります。その意味で、単一民族で文化的な同質性が高く、平準化された高い学歴や訓練された集団組織活動が、「日本の物作り」を開花させた条件であると思います。逆に言えば、そのような条件がないところでの「物作り」には大きな限界があるということです。まさに、「仏作って魂入れず」ということになりかねません。
「日本の物作り」に世界が注目し、各国で導入を試みましたが、成功した話を聞いたことがありません。日本企業の海外工場も思うような成果が得られず苦戦している状況です。当地ハンガリーへ進出した企業が、思い描いたマネージメントが出来ずに苦労しています。
これにたいして、中国、韓国、台湾、アメリカなどレシピ化された「物作り」の企業は人間の労働を無機質な作業工程化とし、数値目標の効率アップで実績を残しております。「物作り」に心血注いできたオリジナルの職人には、何とも歯がゆいことです。
日本の物作りには、社員のレベルアップが必須の条件です。ところが、海外生産でこのレベルアップがなかなか実現できないのです。明らかにマネージメント力のどこかに、問題があるのです。何が問題なのでしょうか。 社内コミニュケーションシステムの確立、始業前の打合せ(作業の作戦会議)、会社方針の徹底(マインド革新)、信頼関係の構築、各セクション間でのチームプレイのトレーニングなどは、どの企業も粘り強くやっているはずです。弊社も日本の学校教育をベースに、社員教育 職業訓練 社内会議等社員のレベルアップはしっかりやってきました。グローバル展開した企業の社員の多くが他民族の場合、社員教育などを通じて社員のレベルアップはさらに強化する必要を痛感いたしております。それでもなお不足するものがないでしょうか。レベルアップしたものをしっかりと評価し、優れた人材を引き上げ、管理者や国外でも通用する戦力として評価するシステムができあがっているでしょうか。
「努力し、技能を向上させた者は報いられる」、「能力があれば、国際的に活躍する場も保証されている」というインセンティヴはあるでしょうか。これなしに、ただ「労働規律を守れ」というだけでは、人を動かすことはできません。日系企業でも海外で実績を上げている企業は、外国人社員の教育や登用を積極的に行っていると思いますが、どうでしょうか。
「日本の物作り」に磨きをかける
「レシピ化された物作り」は、工業基盤のない新興国も一気に工業大国を実現する勢いをもっています。海外市場で苦戦し、試練を迎えている「日本の物作り」に輝きが復活する日が来るのでしょうか。
「レシピ化された物作り」と「日本の物作り」を融合させることはできないでしょうか。異なる民族の血や精神を入れることによって、「日本の物作り」に新しい可能性を開くことができないでしょうか。というのも、アップルやグーグルの最近の躍進を見ると、日本企業がやれるような分野であるような気がしてならないからです。
日本もそうですが、ハンガリーでもいろいろなタイプの人間がいます。「粘り強く自分の会社に合った社員を集める」、「試用期間中に適性を見極める」、そして「残った社員と日本の物作りについてお互いが納得するまで話を尽くす」。これが私の方針です。私の経験では、こうして残った社員の八割は、私の言うことを理解してくれます。腹を割ってとことん話せば、ハンガリー人は日本人と理解しあえる良い相性をもっています。
なかでも、「企業・会社の社会的責任」、「仕事と生きがい」、「家族への責任と賃金」、「企業間の国際競争に勝ち残ること」などは、率直にかつ大胆に話し込んでいく必要を痛感しています。持っている思いをとことんぶつければ、相手も心を開いてくれます。利己主義的な個人主義が強い傾向があるハンガリーで、この種のテーマは今まで話題になる機会が少なかっただけのことです。家族と会社が共存共栄していく道を説得できれば、ファミリーを大切にするハンガリーの社員は理解してくれます。そして、納得して協力してくれれば、仕事に楽しみとやりがいを感じてくれます。そうなると、働くことの意識が変わってきます。
労働契約の表面的履行だけでは「日本の物作り」はできません。お互いの信頼関係、共通の目標、達成する喜びを共有できる人間関係を築くことが、ハンガリーでの「日本の物作り」構築の基礎と考えています。しかし、そのためには、我々自身、日本から派遣された者も意識を変える必要があります。会社もまた日本から派遣する社員のローテーションについて、根本的に考え方を変える必要があると考えます。
日本人マネージャーは信頼されているか
「日本の物作り」を体得しているのは日本人であり、日系企業ならば経営上の権限・主導権は日本人赴任者が握っております。だから、物作りがうまく行かない原因をハンガリーとの文化の違いや社員の能力・資質に求めがちです。「だらしない姿勢で仕事をする」、「おしゃべりをしながら仕事をする」、「音楽を聴きながら仕事をする」、「飲み物や食べ物をいてき仕事をする」、「ずる休みをする」。 これらはいわゆる5Sのしつけに相当する部分です。
「日本の物作り」を実行する上で、私はこの部分での妥協は絶対にしません。これについては、日本人が直接マネージメントを行い、責任を持つべきです。私の経験から言えば、2〜3年の赴任期間ではハンガリー社員との信頼関係の構築はできないと思います。それは「日本の物作り」の原点を考えれば、当然のことです。社長も社員もみんな工場で油だらけになり、寝食を忘れ、技術開発に夢中になって改善・改良を進めるというのが、「日本の物作り」の原点です。工場の現場にどっしり腰をすえて、ハンガリー社員と四つに組み、腹を割って話をする心構えがないと、他民族との信頼関係構築は難しいと思っております。
このような労働管理をローカルのトップ任せにしているケースを見聞しますが、これは小学校時代の先生不在の「自習時間」みたいなもので絶対に期待できません(私にとって自習時間は最高の時間でした。級長の言う事は無視しておりましたし、何しろ仲間でしたので教室中やりたい放題の時間でした)。
我々はよくハンガリー人は無責任だと非難します。他方、ハンガリー人社員は日本人マネージャーをどう見ているのでしょうか。日本人マネージャーにとって、ハンガリーの会社は数年したら日本に帰る一時の職場、仮の職場。だから、サラリーマン経営者とみているのではないでしょうか。そのような経営者の下で、身を粉にして、会社の繁栄のために働こうと思うでしょうか。否です。一方にだけ求めても、我々の意を理解してもらうことはできません。我々もまた身を正し、ハンガリー人の中に入っていかなければ、「日本の物作り」を理解してもらうことはできません。しかし、「サラリーマン・マネージャー」である限り、これは永遠に実現不可能です。海外に進出している日本企業の最大の弱点はここにあるのではないでしょうか。
「ずる休み」をどうやって減らすか
私は今年、商工会の労働部会の責任者の役を仰せつかりました。5月31日に開催された部会は30余名の参加者を得て、活発な議論が戦わされました。当地に進出されている企業の皆さんはいろいろな問題を抱えていますが、なかでも最大の問題が労働管理なのです。
この労働部会のなかで、実にさまざまな問題が提起されました。多種にわたるとはいえ、共通しているのは労働規律遵守をどうやって実現できるか、契約に縛られた労働条件のなかで日本的経営に特徴的な可変的で弾力的な労働組織の改編をいかに実現できるか、「ずる休み」をどうやって削減できるかという問題に集約することができます。ハンガリー人弁護士の講師は、「ずる休み」という概念はハンガリーにないということを強調していましたが、我々が問題にしているのは、「合法的」な形をとった「虚偽の病欠」です。チェコのトヨタでは経営と組合でチームを組み、病欠者の家庭訪問する方法で、「ずる休み」を減らしているという報告があります。一考の価値があります。
しかし、「ずる休み」をなくする最大の方法は、やはり日本人経営者の思いを率直に語りかけ、心から理解してもらうことです。圧力をかけて一時的に「ずる休み」を減らしても、それで根本的な問題が解決されたとは考えられません。「働かなければ生活費の賃金は保証されない。レベルの低い仕事では競争に負けて失業する。仕事をしなければハンガリーは豊かになれない」と、腹を割ってハンガリー人社員と対話すること以外に妙案はありません。ただ、我々の側に、一生ロボットのような単純作業でなく、人間の持っている能力を大切にし、常にチャレンジし続け、信頼しあえる職業人として、物を作る楽しさを共有できるシステムを作って、働く人を大切にし、ともに苦労するのだという姿勢がないと理解されません。
内容が一部自己批判的になってしまいましたが、この点に触れずに現状の打開はないと思いエッセイにまとめてみました。自己批判ができるのは日本人のすばらしい資質です。この資質を大切にしながら、ここから出発していきましょう。このような問題を議論したり、情報交換する場として、労働部会を活用したいと考えています。皆さんのご意見や経験談などを寄せていただき、活発な議論を行いたいと考えています。 |