旧ソ連・東欧諸国における体制転換から20年を経て、この過程を再検証しようとする意欲的な著作がようやく現れるようになった。本書はその第一に指を屈するべきものである。「体制転換20年」が2008-09年の世界金融危機と時間的に一致したことは、これまでのアプローチに反省を促す契機ともなったが、本書のように著者の「持論」を集大成したものにも光が当たることになったことは、まことに喜ばしい。
 ハンガリーには体制転換前にも後にも、他の東欧諸国と区別される若干の特徴があった。第一は、筆者(以後「私」という平たい言葉を使う)が「ドナウの四季」連載の「回想」でも触れたことだが「ハンガリー動乱」(1956年)後、1963年に始まる「宥和政策」(市民社会との『妥協』)によりハンガリーは永らく東欧で唯一「陽の当たる島」とされて来たことである。盛田さんが本書でも指摘されているように、ソ連の「傀儡政権」として出発したカーダール政権は漸次、「実体的正統性」(私は「事後的正統性」という用語を使ってきたが)を獲得することになった。これは他国にはまず見られないことである。
 第二に、体制転換初期に他の多数の国と異なり、いわゆる「ショック療法」を取らず「漸進主義」に近いアプローチを取ったことだ。このため初期には皮相な観察者から「ポーランドはショック療法で成功しているが、ハンガリーは失敗している」といった薮睨みの批判を受けることになった。
 ところが第三に、ハンガリーが外資依存「売り渡し」方式の民営化で産業構造を更新、90年代後半から外資企業による輸出主導型高成長を開始すると、今度は体制転換「先進国」として高い評価を受けるようになった。本書で分析されている「変化と継続」と現在のハンガリーの経済危機には、上記の「サクセス・ストーリー」が「裏目」に出たようなところがある。
 
 多彩な本書から重要な論点をピックアップするのは容易ではないが、まず冒頭に「計画から市場へ」という『在来型』の『移行論』にたいする強い異議申し立てがある。現実に存在したのは行政的な「資源配分システム」であり、とてものこと「計画経済」と言えるようなものではなかった。だから転換の本質は、「配分から交換」への「システム転換」ということになる。それはまた「戦時社会主義」と言えるものでもあったが、「平時社会主義」への転換はついに成し遂げることなしに終わった。私もまたこの「社会主義」経済を第二次大戦中のわが国で企画院が立案した「物動型」戦時統制経済と基本的に同一と考えて来たから、著者の理解とほとんど一致する。

 ただ、ここで一つだけ付け加えるならば、資本主義の戦時統制経済での「雇用の自由」の極端な制限(わが国では「白紙召集」と呼ばれた「徴用」など)は、戦時の一時的なものだが、『社会主義』では国家が「全般的な雇用主」となるから「恒常化」することである。自分の労働力を処分する「人格的自由」が失われるという意味でも、「社会主義」は資本主義に較べて「後退」した社会であったのだ。
 著者は「社会主義」に「内在的」な発展のメカニズムが無かったことを厳しく指摘している。フランスの哲学者、ベルグソンのいう「エラン・ヴィタール」(「生の飛躍」)があるべくも無かったことは、この点からも明らかだ。崩壊したのはこういう「経済社会」だから、著者がこれを「朽ちた樹木」のような「自己崩壊」としているのは、全く正しい。その意味では「資本主義の勝利」という一般的な見方には、若干の保留が必要だろう。
 著者はまた体制転換の『イデオロギー』は無かった、という。確かに「明示的」には無かったが、実際にはアングロサクソン型の自由市場資本主義が「黙示的」には自明のイデオロギーとされていたのではなかったか。”Full-fledged Market Economy” という言葉が、何か甘い、憧れを込めた用語として常用されていたことを思い出す。レーガノミックス・サッチャリズムに象徴される新自由主義がピークに達していた80年代末に体制転換が開始されたのは、「不幸な時間的一致」だったとは、私も何度か書いて来たことだった。これがもし、金融危機に世界が震撼した20年後だったらどうだったか、と考えてみたら分かり易いのではないか。

 世論が情動的に動いた時、抗し難い力を持つことでは近年、わが国でも少なからぬ苦い経験がある。当時の東欧諸国もその例に漏れなかった。自由市場経済の大合唱の前には、冷静な議論は全く非力だった。批判的な意見を留保していた専門家たちも、多少とも「スネに傷」無しとしなかったから沈黙せざるを得なかった。「市場経済移行」を助言するIMFなど国際金融機関や「アドバイザー」たちの重石も、のしかかっていた。少し厳しく言えば、「言論の自由」は無かったに等しい。私の旧友、坂元晃平(元・東レ副社長)は、財界視察団でこの時期に東欧諸国を訪れた印象を私家版の歌集に「ざれ歌」で書き残している。
 
 「見えざる手」働き始めししるしとや カジノもできたマフィアもできた
 計画へのアレルギーは分かるけど 産業政策要るんじゃないの
 ひな鳥の巣立ちにも似てこの国も お口揃えてプライバタイゼイション
 
 だが、盛田さんが厳しく書いているように、この「ひな鳥」は決して『純真』ではなかった。
 著者が「ポスト社会主義のイデオロギー」で論難している「ネオ・リベラリズム」の横行も、いわばその『続き』である。ただし、著者の批判はあくまで具体的で、「原理論」から直ちに健康保険の「一挙民営化」のような「政策論」を引き出すことの誤りが弾劾される。ここでは著者とも私とも親しかった80年代の改革派、バウエル・タマーシュの名前も出て来て、往年の改革派イデオローグの「変貌」が良く分かる。ここで立ち入る余裕は無いけれども、理論-政策論のからみでコルナイを批判(28-29ページ)しているのは、誠に正鵠を射ている。
  
 冒頭に転換前後のハンガリーのサクセス・ストーリーが「裏目」に出たというのは、かなり複雑で多面的な問題である。カーダールの宥和政策で四分の一世紀もの「社会的平和」が保たれ、政権が「実体的正統性」を獲得した反面、体制転換が曖昧とされ、旧体制下のエリート層とその行動様式だった「オポチュニズム」が転換後も殆ど手付かずに生き残り、本書で縦横無尽に批判されている転換後の腐敗や汚職の源泉となった。このあたりの分析は極めて生彩に富んでいる。
 他方、外資売り渡し方式の民営化は、資本・経営・技術という旧社会主義諸国が直面した難問を一挙に解決してくれる「打ち出の小槌」のように見えた。ハンガリーの生産回復はポーランドよりは遅れたが、90年代後半から回復軌道に乗るや、工業製品輸出が全輸出の70パーセント前後を占めるなど、産業構造の更新にも成功したのである。
 だが、外資依存の経済回復と発展は、「雇用の3割、GDPの5割、輸出の8割」を多国籍企業が占める「他力依存」「他力本願」経済(金融危機後は「キリギリス経済」)を生み出し、それはもはや「国民経済」とは言い難いものだ、というのが著者の厳しい現状認識である。
 これに伴い多国籍企業に仕えて途方もない高報酬を得る「体制転換貴族」が生み出されたばかりか、労働者も「ゲスト・ワーカー化」する。外資依存は消費者金融にまで及んだから、世界金融危機の直撃をもろに受けたところにハンガリー経済危機の特質がある。
 それでいながら旧時代の「配分システム」は殆ど手付かずに居残ったから、旧時代を「国庫社会主義」とすると、現在の経済体制は「国庫資本主義」とも言えるもので、これはプーチン・メドベージェフ双頭政権ロシアの「国家資本主義」と対比される。ここからは中国も視野に入れて、さらに議論を広げることが可能となりそうだ。
 
 本書が並みの体制転換論と違うところは、社会規範・倫理や官僚・一般市民の行動様式、広く社会のモラル的側面にも大きく目配りをしていることだ。しかし、それは決して「エピソード的」ないし単なる例証として挙げられているのではなく、著者の基本的な体制転換論と首尾一貫して論じられている。
 著者によると、「社会主義」40年間に社会的規範の著しい「劣化」が進行したという。エリート層と一般市民は、今日でも「平時化」された社会主義時代の「行動規範」を共有しているから、一方は際限のない腐敗・汚職まみれとなり、他方は「役人主権」を黙認する受動的な社会規範が存続する。ここからすると、体制転換は社会のモラル的側面も含めた、経済社会の全体的な転換となり、市場経済の導入はその一部に過ぎないことが分かる。
 20年前には「現存する資本主義」がモデル化、理想化して捉えられていた。このように考えてくると、同じ『問い』が資本主義にも投げかけられることになろう。現在の資本主義にも似たような社会的規範の『劣化』は、果たして無いだろうか。著者の厳しい体制転換後社会の認識は、そのまま資本主義にも跳ね返ってくるのではないか。

 体制転換を経済社会の全側面に広げた著者の批判が厳しいだけに、転換の困難さは重い問いとなって残る。ハンガリーの場合、「他力依存経済」「他力本願経済」からの脱却方策について著者はいくつかの提案・示唆を行っているが、近年の経済成長方式の根幹に関わるものが含まれているだけに、その難しさが思いやられる。ここには著者の重要な貢献があるが、これはわれわれ共通の今後の課題でもある。

 第6章と第7章にかけて論じられているカーダール政権の「歴史的評価と正統性」、「独裁権力下の個人と倫理」は、ハンガリー動乱後の粛清と治安警察の問題と絡み、極めて重い問題である。カーダール政権の「実体的正統性」については既に触れたが、だからといってナジ・イムレの処刑がそのまま正当化できるわけでもない。著者がここで書いているように、フルシチョフの意向に反してまでナジ処刑に踏み切った「カーダールの決断」から、皮肉なことにカーダール政権の「対ソ自立」が始まり、63年以降の「宥和政策」の下地が用意された、という歴史の『弁証法』に眼を向けるに止めて置こう。カーダールの墓碑銘には「私はいるべきところにいた、私はするべきことをした」とのみあって、名前は書かれていない。その「含蓄」だけは理解してやっても良いのではなかろうか。
 
 著者が100ページ冒頭で書いているように、この20年の体制転換から「経済的利益」を得た「勝者」は、旧共産党の「比較的若かった指導層(党エリート)」と「新旧両体制にわたって官僚体制の中枢部に居座ることができた高級官僚エリート」だったことは、疑いを入れない。これに政財界入りした一部の学者たちを含めると、旧ソ連・東欧諸国の全てに共通する現象である。だが、その中には思わぬ脚光を浴びたものもいれば(ハンガリーの場合にはホルンやネーメット)、歴史の舞台から消えたものもいる(同じくポジュガイ)。大きな歴史の転換期に広く見られる現象ではあるが、「使い捨てられていった」人たちを思うと、私の耳には”Sic Transit Gloria Mundi” (「世の栄光の移ろうや かくの如きか」)という言葉が、聞き慣れた歌のリフレーンのように聞こえないでもない。
 社会的規範や個人倫理の問題まで視野を広げた本書は、体制転換後20年にして、ようやく出るべくして出た本格的な体制転換論である。しかし、それが投げかけた問題は大きく重い。多くの読者とともに再思考を続けることを今後の課題としたいと思う。

(さとう・つねあき 横浜市立大学名誉教授)