2013年に私は初めてブダペストを訪れました。ハンガリー、オーストリア、チェコを回る王道のツアー旅行でした。初めて降り立つヨーロッパに私の気持ちは沸き立ちました。しかし、このブダペストという土地は初めて訪れたのにそんな気がせず、それどころかむしろ、何か懐かしい場所に帰ってきたような、そんな気持ちすら覚えました。 当時の私は30人近い生徒を抱え、岡山県のオーケストラに所属したばかりでした。心の奥にはずっとヨーロッパでの暮らしに憧れはあったのかもしれませんが、現実的にはそれは不可能だと思っていました。幸いにも日本の大学を卒業してからは多くの仕事にも恵まれ、それらは、やり甲斐もあるものでした。 しかし、ある時、自分の中に、いつまでここで、このような日々を続けていくのだろうという漠然としたモヤモヤがある事に気づきました。どこかへ飛び出さなければならない、そう強く思いました。そのどこかは心の中では決まっていました。なぜか故郷のように感じたハンガリーです。 そしてそれを決心してからというもの、すべてが私の背中を押してくれるように感じました。このチャンスを逃せない、もう今がラストチャンスなのだとはっきり分かるくらいの強い追い風が吹くのを感じました。 日本でお世話になっていた方々に日本を出るという報告をした時も全員が、行ってらっしゃいと送り出してくれました。ハンガリーに知り合いなどいませんでしたが、とりあえずその日寝泊まりできる場所があればいい、と宿だけ決めてスーツケースとヴァイオリンを持ち、日本を飛び出しました。 言葉通り右も左もわからない私を、たくさんの人たちが助けてくれました。出会うハンガリー人も日本人も皆が心温かく迎えてくれました。リスト音楽院に入ることすら決めずにハンガリーへ来た私でしたが、素晴らしい師匠とも出会う事が出来、実力、感性豊かな同期にも恵まれ、学内外で沢山の本番の機会をいただきと、1年間という短い在籍期間とは思えない濃い時間を音楽院で過ごすことも出来ました。 私にとってこの1年半に渡るハンガリーでの生活で得たものは音楽に限りません。ハンガリーという風土で、拙いながらにハンガリー語を話し、こちらの食材で自炊をしながら、この目にドナウの真珠と呼ばれるこの街を目に映し、毎日のようにある音楽会に出向き、そのすべてが自分の感覚を研ぎ澄ましてくれたように思います。 私はこの夏に日本に帰りますが、世界中どこにいても自分が輝く場所は自分自身で作らなくてはならないと思います。日本に帰ってからもここで手にした自信と力を信じて、自分らしいステージを展開してゆきたいと思います。世界中で様々な危険な事件や天災が起き、その度に音楽を続けられることは決して当たり前ではないことを認識します。 しかし、だからこそ音楽というのは美しく儚いのだと思います。私の音楽を聴いてたくさんのハンガリー人が拍手をくれ、ブラボーの掛け声をくれました。そこには国境を越えた小さな平和がありました。一つの楽器と音楽が国を超えて人をつなぐ瞬間をここで何度も感じました。言葉は通じにくくとも、楽器を持って集まれば生まれた国など関係なく対話ができました。 友人宅に楽器を持って集まり遅くまで音を出しながらお酒を飲んだり、地方に観光に行ってみたり、あまりにも日本風のラーメンが食べたくて麺から打ってみたり、書き出せばきりがないほど素敵な時間を過ごしました。 両親のくれた拓己という名の通り、己で道を拓く人生はこれからも長く続きそうですが、ここハンガリーで暮らした日々はこの先もかけがえのない宝となりそうです。 最後に日本から私を応援してくださった皆様、こちらでお世話になったすべての方々に、ただただありがとうございました、そしてこれからもよろしくお願いいたしますと心よりお伝えしたいです。
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