よりによって、安倍晋三本を読むなど、馬鹿らしいと考える人は多いだろう。私自身、知性と教養に欠け、しゃべりが下手で舌足らずな安倍晋三に、人間的魅力など一欠片も感じない。ところが、並の政治家にすぎない安倍が何重にもかさ上げされた評価を真に受け、高飛車な言動や政策を実行している。将来の日本に禍根を残すだけの政治家が、高い評価を受けている奇妙な社会現象こそ、私の関心事である。だから、その生い立ちを知り、歴史観や社会観の浅薄さを再確認し、そういう人物に国の将来を託す過ちを明確にすることに意味があると考えている。それが本書を取り上げる理由である。

アメリカの心配をする暇はない
 国会で絶対多数を得て、安倍晋三は戦後政治で無視され続けてきた日本の極右の政治家や知識人の神輿に担がれ、ラストチャンスとばかりに集団的自衛権の容認や憲法改正へ突き進んでいる。一つのことに突き進める人物こそ、右転換の政策推進の神輿に乗せるのに適任だ。なまじ知性があって、深い哲学や歴史・社会観をもつ人物は、猪突猛進型の政治的突破の障害になる。昔から、ほとんどの独裁的政治指導者は浅はかで平凡な歴史・社会観を持つ人物だ。そういう人物を祭り上げて背後から指図する態勢を作るのは何も政治の世界だけではない。実業の世界でも、無能な社長を担ぎ上げ、自在に操る手法が存在する。安倍晋三の場合、唯一のレーゾンデートルである右旋回思考と背後の極右派勢力との利害が一致し、右展開の相乗作用が働いている。この神輿に乗る安倍晋三なる人物がどんな環境でどう育ち、将来の日本に大きな禍根を残す政治家となったのか、私の関心はそこにある。
 今、アメリカの大統領予備選で、アメリカの世論は沸騰している。トランプの言動に、日本の保守政治家や外務省幹部は戦々恐々としている。政治家も政府もアメリカ追随の従属関係に取り込まれているから、その関係が崩れた先の世界を見通せないからだ。アメリカも日本も政治家の質は高くない。近代の立憲君主制の時代や建国の時代の賢人政治家たちと違い、現代の政治家は国や国民の百年の計を考え、自らの資産を擲(なげう)って国の政治にあたる人々ではない。トランプであれ安倍であれ、皆、目先のことしか眼中にない近視眼的政治家だから、知性や歴史・社会観の質に大差ない。
 アメリカの心配をするより、自分の国を心配した方が良い。現在の閣僚の中には、大学時代から銀座のキャバレーに通い、勉強などろくにせず、だから漢字もよく読めない政治家が要職を担っている。また、大学時代にアルバイトに明け暮れ、勉強する時間もなく、卒業してすぐに政治家の書生になった人物が、内閣を取り仕切っている。目先の政策や党内の根回しには長けているが、とても国家百年の計を考えられる知性など持ち合わせていない。政治家というより政治屋である。そういう人物が一時的な景気高揚のために公金を湯水のように無駄遣いし、日本をアメリカの軍事政策により一体化させようとしている。馬鹿な政治家が浪費した付けや誤った軍事・外交政策は、10年20年後、いや50年100年後の国民がすべて引き受けなければならない。騙した政治家が悪いのか、騙された国民が悪いのか。どっちもどっちだが、アメリカの心配をする暇があったら、日本の将来を心配した方がよい。目先のことしか考えない馬鹿な政治家を抱けば、国は滅びるだけだ。

父母の愛情を受けられなかった幼年・少年時代
 安倍晋三の言動や表情から、人としての情や、心からの思いやりが感じられないのは私だけではないだろう。その態度と発言は、常に、よそよそしく、率直さが感じられない。何事を語っても、気持ちが感じられない。本書は「沈黙の仮面」と形容しているが、安倍晋三に人を欺く仮面や知恵があるとは思えない。彼の言動は素顔そのものである。
 安倍晋三の言動から、感情を表に出すことを憚る意識や、家庭の温かいぬくもりを知らない環境があったのではないかと推測される。人の性格や感情形成に幼年期や思春期の家庭環境、学校環境が影響していることは間違いない。
 本書の著者野上氏は福田派と安倍派の番記者として、安倍晋太郎とも親しかった。本書を描けたのも、安倍家との関係が深かったからだ。安倍家の内情に詳しく、安倍の乳母だった久保ウメから、晋三の幼年期から思春期にかけての家庭状況や精神的発育の状況を詳しく聞いている。日本の政治家の家庭の様子が手に取るように分かる。
 晋三は親の愛情を注がれて育っていない。日本の政治家は、昼夜を問わず、支援者や政治家との付き合いに飛び回っている。安倍晋太郎は子供に愛情を注ぐ時間を削って政治活動に没頭し、母は支援者回りに勤しんでいたから、二人の兄弟の面倒は乳母が見ていた。添い寝をしたのは母ではなく乳母のウメだった。だから、安倍家の親と子供の関係はきわめて冷めたものだったことは容易に想像される。
 もっとも、長男の寛信は最初の子供だったこともあって、両親からそれなりの愛情が注がれたようだが、次男の晋三が生まれた頃には晋太郎の政治活動が繁忙を極め、父母の愛情を受ける機会がなかった。幼児期における親の愛情不足は子供の情緒を不安定にし、人を思いやる感性を育まない。
父母に代わって晋三をかわいがってくれたのは、母方の祖父岸信介である。晋三が父晋太郎より、祖父である岸を慕う原点がここにある。しかし、三男の信夫が生まれてから、この関係も大きく変わった。信夫は生まれて間もなく岸家に養子に出されたからである。岸信介の愛情もまた、晋三から信夫に移っていったのは自然なことだが、晋三には弟に祖父を取られたという意識が芽生えたことは疑いない。
 人としての安倍晋三の心理と感性の形成は、このような複雑な家庭環境に大きく影響されている。
 安倍家の長男寛信と次男の晋三は、性格が対照的だった。冷静な長男に比べ、晋三は口数も少なく、学業成績も良いとは言えなかった。だから、当然、政治家を受け継ぐのは長男だと考えられていた。こういう兄弟関係もまた、晋三の心的形成や精神的な成長に大きな影響を与えた。
 安倍家や岸家が輩出してきた政治家は東大法学部卒のエリートだが、晋太郎の息子3名は皆、私立大学の付属校に入学し、エスカレーターで大学まで進学した。ただ、兄の寛信は晋三と同じく成蹊大学を卒業したが、その後、東大大学院へ進学した。また、養子に出された弟の信夫は慶応大学経済学部を卒業した。晋三が大学進学を迎えた時期に、父晋太郎は「大学は東大しかないんだ」と、分厚い漢和辞典で晋三の頭を叩くことが何度かあったという。もともと学業を期待されず、偏差値が高いとはいえない付属学校をエスカレートで上がってきた晋三には、とても実現できる目標ではなかった。物心ついてからの晋三は徐々に学歴コンプレックスに悩まされていたはずで、父からの難題は、晋三に東大嫌いのコンプレックスを植え付けただろう。
 そういう晋三が政治家として晋太郎を継いだことには理由があった。無口で目立たたない子供だったが、ツボにはまるテーマでは人が変わったように持論を守り、かんたんに引かずに相手を論駁することがあった。そのテーマこそ、尊敬して止まない祖父岸信介が孫に語った日米安保条約の正当性である。生半可に安保条約を否定する同級生にたいして、逆に問い詰め、論破することがあり、同級生を驚かせたエピソードが語られている。
 簡単に首を縦に振らず、納得できないことには絶対に「分かった。ごめんなさい」と言わない頑固さに、父晋太郎が政治家の資質を見たという。事を荒立てないように、すぐに親に謝る長男寛信より、納得できなければ口を固く閉じ、謝らない晋三の方が政治家向きだと考えたようだ。安保法制がいかに不合理だと論破されても、頑なに持論を守る姿勢に通じる。二度も首相の座を射止め、学歴に及ばない兄と弟を出し抜いたことをさぞかし自負していることだろう。
 もっとも、この程度で政治家の跡継ぎが決められるのかとがっかりさせられる。政治家に求められる資質とは、少なくとも日本ではこの程度のものなのだ。同じ土俵で闘うことを避け、頑なに持論にしがみつくのは、たんに「愚鈍」なだけではないか。

中途半端な青春時代
 安倍晋三は他人の言動を理解しようという姿勢に欠ける。議論を戦わすことを避けて、思い込んだことを一心に貫こうという頑なさがある。批判から学ぶことがない。それは自らの論理を展開し、相手を論破するだけの自信がないからである。頑なさが安倍の政治的資質だとすれば、それは確固とした思想や歴史・社会観がないからである。だから、思い込みを一途に守るという頑なさと同時に、目先の利益のために簡単に基本政策を曲げることにも通じる。深い勉学に裏付けられた信念や思想がないからである。
 著者の野上氏は安倍晋三の政治姿勢に危惧を抱いている。深い議論や思想に基づかないで、戦後日本が守り続けてきたものを簡単に崩してしまう政治手法のベースには、安倍の勉強不足があるという。安倍の政治姿勢に柔軟性がなく、乱暴な政治手法を厭わないのは、深い歴史観や社会観を形成し鍛える勉強を経験していないからである。野上氏が大学時代の恩師の一人にインタビューした時の返答が、それを物語っている。
 「安部君は保守主義を主張している。それはそれでいい。ただ、思想史でも勉強してから言うならまだいいが、大学時代、そんな勉強はしていなかった。まして経済、財政、金融などは最初から受け付けなかった。卒業論文の枚数も極端に少なかったと記憶している。その点、お兄さんは真面目に勉強していた。安部君には政治家としての地位が上がれば、もっと幅広い知識や思想を磨いて、反対派の意見を聞き、議論を闘わせて軌道修正すべきところは修正するという柔軟性を持って欲しいと願っている」。
 晋三の学歴に箔をつけるために計画されたのが米国留学である。現在は削除されているが、長い間、安倍晋三の公式HPには、成蹊大学法学部卒業後、南カリフォルニア大学政治学科に2年間留学という履歴が掲載されていた。最初の1年は大学外の語学学校に通い、2年目から大学に通ったとされるが、専門科目の単位は1単位も取得していないという。要するに、この留学は正式な大学入学ではなく、外国人用に設置されている英語コースに数セメスター在籍しただけのようだ。受講料を払えば、誰でも受けられるコースである。勉学に勤しむどころか、ホームシックにかかり、日本の家に頻繁に電話するので電話代がかさみ、父晋太郎に叱られたエピソードなどは週刊誌などで詳しく報道されているのでその顛末は記さないが、安倍は米国留学を中途半端な形で終え、挫折感を抱えながら日本に戻った。
 ちなみに、同様の留学詐称は、漢字が読めない麻生太郎も同様で、学習院大学卒業後、スタンフォード大学大学院とロンドン大学政治経済学院に留学した履歴がHPに掲載されていた。しかし、これも現在、完全に削除されている。安倍の留学と五十歩百歩だったのだろう。
 安倍はアメリカから帰国後、父晋太郎のコネで神戸製鋼に入社した。しかし、期限付きのコネ就職で入社した人物など、会社にとってお荷物以外の何物でもない。安倍晋太郎の顔を潰さないように、腫れ物を触るように扱う社員にできることは限られている。このよそよそしい会社員生活も2年ほどで終わってしまった。なんとも中途半端な青年時代だ。
 晋三は中途半端な大学・留学生活や社会人生活を経験しただけで、父晋太郎の秘書になった。そのような柔な人物が政治の世界で活躍できる余地はなかったが、父晋太郎の政治的遺産が自民党を代表する政治家に押し上げた。
 本書には安倍晋三がどうやって百戦錬磨の政治家がひしめく自民党をのし上がることができたのかが詳しく描いているが、それに興味はない。関心ある読者は本書で確かめることができる。

確信に欠ける主張と目先の関心
 第一次安倍内閣で終わっていれば、安倍晋三の人生は誰の目から見ても、すべてにおいて中途半端な人生に過ぎなかった。ところが、満を持して再登板した第二次安倍内閣はアベノミクスと安保法制で、安倍晋三はついに「中途半歩」を克服し、変身したかのように見えた。それまでの中途半端な人生に一矢を報いたかに見えた。しかし、安倍晋三は基本的に何も変わっていない。
 安倍晋三とそれを支える極右派は、戦前の日本の侵略や植民地支配を否定するという歴史修正主義と、円安誘導と株式市場の高揚のためにあらゆる政策を動員するという近視眼的経済政策に依拠している。景気高揚感を醸成し、政権への国民の支持を確固なものにしてから、憲法修正へと道を進める予定だった。その過程の中で、戦後70年の節目に村山談話を否定する談話を狙っていた。しかし、談話の諮問機関である「21世紀構想懇談会」の北岡伸一座長代理から、「侵略を否定することはできない」と主張され、不本意にも、文言上は村山談話のキーワードを羅列せざるを得なかった。もっとも、これは安倍晋三の確信のなさというより、日本の極右勢力の歴史観や社会観の脆弱さを示したものだ。極右の論客は安倍談話を後退させた北岡氏を批判したが、まともな学者であれば、右派であれ左派であれ、戦前日本の帝国的侵略や植民地支配を否定することはできない。安倍談話が中途半端に終わったのは偶然でなく、安倍晋三の浅はかな思いが露呈されただけのことだ。
 経済政策においても、馬鹿の一つ覚えのように、デフレ脱却と景気高揚を唱えるだけで、これからの50年、100年を見据えた社会経済政策など思いもよらない。一時の現象に拘り、本質を見失しなっては道を誤る。もっとも、これは安倍の責任というよりは、短期的思考の経済政策しか考えつかない安倍内閣御用達の経済「学者」の責任だが、安倍にとって、国家百年の計を考えるより、公金を使って株式市場を押し上げる方が理解し易いだけのことだ。一時的な株高と円安に、「してやったり」と上機嫌になっていたが、日銀資金を野放図に国債市場に投入し、年金資産を株式につぎ込んで大きな損を抱え込むのは、親が築いてきた資産を馬鹿息子が博打ですってしまうのと同じだ。一時の儲けに目がくらみ、全財産をすってしまっては元も子もない。選挙で負けるから、消費税の引き上げを再延期するのも同じ思考である。安倍晋三の浅はかな思考はまったく変わっていない。そういう政治家に国の将来を任せている国民は、政治家を見る目がないと言われても仕方がないだろう。
 トランプ大統領の出現に一喜一憂するより、馬鹿な政治家が将来の日本に残すべき資産や社会的財産を食いつぶしていることを心配するべきだろう。