日本語学習者なら誰にでも、日本語を始めるにあたっての何らかの印象深いきっかけがあるはずです。そして現在カーロリ・ガーシュパール大学で勉強している私にとっては、今でこそ無数の日本語を勉強する理由がありますが、日本語と出会うそもそもの「きっかけ」となったのは、実は日本古来の儀式的な音楽、雅楽だったのです。 カーロリ大学に入ってから約2年間たっても雅楽への興味は薄れず、むしろ強くなっていくばかり。この雅楽という普通なかなかふれあう機会がないはずの音楽を見つけて好きになったことの背景には、家族全員が何らかの形で音楽にかかわっていることがあると思います。母はバイオリンの教師で、父は音楽図書館で働き、4人の兄弟はフルートやバイオリンを弾き、私も幼いころからファゴットという木管楽器を習っています。だから音楽への姿勢、こだわり、そして聞き方も普通とは少し異なります。
雅楽の特徴 高校生のころ、多くの国の楽器の響きを調べることにはまり、あるとき日本の伝統的な音楽、その中でも最も古い歴史を持つ雅楽に出会ったのです。雅楽は大陸から伝わった音楽や舞と、日本古来のものが融合して9世紀に成立したものです。約100年かけて確立され、現存する「世界最古の管弦楽」といわれています。 雅楽のゆったりとした独特なメロディーの流れを聞いたとき、西洋の音楽教育を受けた私にとって非常に不思議で、まるで時を越えた別世界からの響きのように思いました。雅楽には西洋音楽にはない魅力的な芸術要素がたくさんあります。いくつかの日本独特な点の中から私が最も影響を受けたところは音階と様々な和楽器です。 たとえば「呂旋法」、またはヨナ抜き音階と称されている音階は、西洋の長音階のドレミファソラシから四番目のファと七番目のシを除いたドレミソラの五音をソラドレミに変えて雅楽や古い民謡で用いる旋律法です。 それから楽器なら広い2オクターブの音域をもっている低い音から高い音の間を縦横無尽に駆け抜ける、その音色が「舞い立ち昇る龍の鳴き声」と例えられ、それが名前の由来となった竜笛や、合奏全体の音色を包み込むように翼を立てて休んでいる鳳凰に見立てられる珍しい形の笙があり、これらすべて欧米には存在しない濃い雰囲気を持つ楽器で、一度聞いたら耳から離れなかったのです。 ほかに西洋音楽との主な違いといったら、まずはチューニングについて説明しなければなりません。ご存知の通り、オーケストラではチューニングはAの音で行います。雅楽ではこのAの音に相当するのは前述の笙と言う楽器が出す黄鐘とよばれる音です。音の高低を表すピッチという単位で言うと西洋音楽のAのピッチは442なのに対し、黄鐘では430なのだそうです。この基準音の違いが、西洋音楽と違った雅楽の独特な雰囲気を醸し出しているのかもしれません。 そしてこれは、音楽一家に生まれてクラッシック音楽を日常的に聞きなれている私の個人的な意見ですが、西洋音楽には穏やかな中にも激しい一面が表れていたりと、喜怒哀楽が表れているのに対して、この偶然出会って大好きになった日本の伝統音楽、雅楽では、日本人の揺るがない落ち着きが反映されているように思われます。
雅楽の用語 雅楽というと「普段の生活に馴染みのない退屈な音楽」という印象で受け取られがちですが,実は日本人が日常的に使っている言葉の中では雅楽の用語がたくさんあり,決して一般の生活とかけ離れたものではありません。私は雅楽由来の言葉を、卒論のテーマに選んだほど好きなので、ここではそのような言葉の中からいくつか紹介してみたいと思います。 代表的なのは「調子がいい、悪い」、または「調子をあわせる」の「調子」です。もともと雅楽の一種の前奏曲であったものが、現代では広い意味で使われるようになったそうです。 それから「打ち合わせ」という非常によく耳にする言葉があります。これはもともと雅楽の合奏の時に打楽器を打って他の楽器とうまく合わせることを「打ち合わせる」と言っていたことから、都合良く物事が運ぶように前もって相談しておくことを「打ち合わせる」と言うようになったのです。 「やたら」という言葉もそうです。「やたらに多い」「やたらめったら」など「むやみに」という意味で用いられます。もともとは,雅楽の拍子の一つである「やたら拍子」に由来する言葉です。「やたら拍子」とは,わかりやすく言えば2拍子と3拍子が交互に現れる混合拍子で,入り交じっているために演奏に困難をきたしたと言われています。そのため,演奏がなかなか,途中でバラバラになってしまうことが多かったそうです。それで、秩序がなく、まとまらない様子を表す「やたら」と言う言葉が使われるようになったということです。 その他に、酔っ払って、舌が回らずまともな会話ができない様子のことを意味する「ろれつがまわらない」という言葉は前述の雅楽の「呂旋法」と「律旋法」がもとになってできた言葉です。この二つの音階の名称は、まとめて「呂律(りょりつ)」と言われていました。演奏者が演奏しようとして楽譜を見てもその「呂律」の音階が煩雑で、音階が合わなかったり、どちらの音階なのか訳がわからなくなったりしていました。そのようなことを「呂律(りょりつ)が回らない」と言って、やがて、「りょ」が変化して、「ろれつがまわらない」になって、うまく話せないという意味で「ろれつがまわらない」という表現が使われるようになったといいます。 また、左利きを表す「ぎっちょ」がもとは雅楽用語ご存知だった方も少ないのではないでしょうか。自分も左利きなだけに、この、今ではあまり使われなくなってきている言葉の由来を説明したいと思います。雅楽では「打球楽」(だきゅうらく)という曲があります。現在では4人の舞人によって舞われる装束の華麗な舞です。この舞では二つの舞具が使われます。一つは「球子」(きゅうし)と呼ばれる宝球型の球です。もうひとつ、「毬打」(ぎっちょう)というものを皆右手に持っています。これは木製で、およそ80センチの彩色した、先の曲がった杖状の物です。曲の後半で、一郎、つまり舞人は懐から「球子」を取り出して舞台に置きます。昔のある時、高貴な方が「打球楽」の一郎を勤めたとき左手に「毬打」を持って舞台に登ろうとしたそうです。皆驚きましたが、やはりいつだって偉い人が間違ったことをしていても、なかなか注意しにくいものです。 その時も目と目で非難しながらも、誰一人として注意することができなくて、その貴人はそのまま舞台に登り舞い終えたといわれています。後日皆はそわそわして以下のように囁き合いはじめました。「あの御方は左手に毬打を持って舞った」、「左に毬打を持っていた」、「左に毬打」「左毬打」。こうして「左ぎっちょう」という言葉が出来たそうです。 今年の3月17日に行われた「ハンガリー日本語スピーチコンテスト」でも「雅楽」をテーマとしたスピーチをし、上記のような雅楽についての知識を披露したところ、ある日本の方々から「今まで気がついていなかったことを知ることができた」とか、「まさか雅楽のような古代文化の一部が現在にでもこれほどの影響を与えていたとは思いもしなかった」などのお言葉をいただいて、非常にうれしく思いました。
私は今学期、日本への留学試験を受けました。留学の目的はもちろん「雅楽についての卒業論文を書くための資料を集めること」と「雅楽に関する知識を深めること」です。できれば雅楽に関するさらなる知識を集めることだけではなく、実際に本物の雅楽に触れる体験をしてみたいという希望も持っています。そして雅楽について調査をするには、さらに高い日本語能力が必要になるでしょう 留学できるかどうかはまだ決まっているわけではないのですが、すべてうまく行けば今年の10月から日本での大学で授業を受けられるはずです。日本への留学という夢がかなう日を今から楽しみにしつつ、その前にできる限り日本語力を高めるための努力をし続けたいと思います。
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