以前、講師として働いていた場所に、今は保護者として通っている。
 この補習校に通う子どもの多くが二重国籍の子、又はブリティッシュやアメリカンスクールに通う日本人の子ども達、ハンガリー人の子どももいる。一年生になった息子は前者。日本語は話せるものの「国語」に対して苦手意識が強く、毎週ドッサリ出る宿題の度に「できない」、「分からない」と泣いたり、怒ったり。正直親の方が大変・・・。
 平日はハンガリーの小学校、土曜日は補習校。そんな話をハンガリー人の知り合いにしたものなら「かわいそうに」などと言われてしまうのだが、当の本人は補習校には喜んで通っている。その補習校でバザーが開かれた。私達保護者は二か月くらい前から準備を進め、保護者会の度に意見交換。私を含めバザー係りになっている三人は仕事をしているので、各自が空いた少しの時間を使って頻繁にメールのやり取りをした。
 バザー当日は息子だけでなく補習校の子ども達はまるでお祭りを待つ様な、落ち着かない様子だった。一年生達は休み時間の度に準備に追われる保護者達を見に来ては、おもちゃを見つけ、更にテンションを上げて遊んでいた。今まではお客としてしか知らなかったバザー、開催する側はこんなに大変だったのだと準備の段階で何度も感じた事だったが、それともうひとつ強く感じたことは保護者間のチームワークの良さだった。父親も母親もハンガリー人も日本人も、各自ができることを進んでやり、みんなで協力し合った。だからこそ今年も沢山のお客さんを迎えることができ、大成功という形で終われたのでは無いかと思う。
 元々はこの補習校も二重国籍の子供を持つ親が中心となり立ち上げたもの。運営も日本への教材発注も会計も行事も保護者が役割分担しているので、裏を返せばチームの良さも無くてはならないもの、必要不可欠なのだ。
 
 

 ハンガリーで育つ子どもの達に日本語の教育を・・・。そんな親心からできて講師の先生方のお力を借りながら成り立つ補習校。日本に居れば当たり前に守られていることが海外ではそうではなくなる。「国語を勉強する」ということもそのひとつになってしまう。それはある意味、親次第ということになる。
 そんな補習校に通う日は、日々の生活の中で滅多に日本人と会わない私にとって、ちょっとした息抜きの時間にもなった。日本人ママ達とのおしゃべりは、いつもぱっと花が咲いたような楽しいひと時。バザーの際、ハンガリー人夫達も自然と集まって話をしていたように、同じような環境に身を置くもの同士、他愛もない話も相談事もちょっとおしゃべりできることは、ほっとする瞬間でもある。
 そして、この環境に身を置く子ども達。二つの言葉の中で生きている子ども達。きっと今は深く考えないでただ与えられた道を歩いている、という状況だろう。
 読み書きができて、国語力が付けば子ども達の将来の可能性はぐんと広がる。
 大変だけど、頑張らないといけないけど、それがいつか、宝物になりますように。
 そして、友達とワクワクしながらお店を出したり、おもちゃを買ったりしたバザーも、あんなこともあったなぁ、といつか微笑みながら思い出せるような思い出のひとつになってくれますように。子ども達の無邪気な笑顔を見ながらそう願わずにはいられない。