私は、ハンガリーで二つ習い事をしています。クラッシックバレエとハンガリー語です。
これは、私が通っているバレエ教室での1コマです。
「Muti Miki!」
今日も先生の声が教室に響きます。これを言われると、前に出て、バレエの手本をみんなに見せなければいけません。「ええ、私!?できないのに。先生勘弁してよ」と思う反面「これはがんばらないと」と、いつもよりぴんと背筋を伸ばし、上がらない足もできるだけ高く上げ、緊張しながら踊ります。先生の言葉はまだまだ続きます。
「もっと床を押して。つま先を伸ばして」
言われるたびに「そんなことができたらプロになるって」とつっこみながらも、意識をつま先に集中させながら踊ります。そして、
「ほら見てごらん。ミキはハンガリー語が分からなくたって、ダンスについて私の言っていることをよく理解している」
とひと言・・・。照れくさいなと思いながらも、うれしさがこみあげ、思わずにっこりし、「よし次も気をつけて踊るぞ」と気を引き締めます。
幼い頃は、「こんな風に踊れるようになりたいな」と無邪気に練習したバレエも、大人になるとなかなかそうはいかないものです。素質、年齢とそれに伴う体力の減退、自分を取り巻く環境など様々なことを考慮し、無難にこなすことに重点を置くようになっていきます。私の場合も技術の向上というよりは、現状維持や運動不足解消のためというのがバレエを習っている大きな理由でした。指導者にしても、大人には手加減して教えることが多いです。バレエに親しんでもらえればよいということが目的になるので、内容もそれに見合ったものになります。しかし、アンドラッシュ先生のレッスンは、大人であっても容赦なしです。小さい子がする基本練習を徹底的にさせ技術の向上に努めます。そして努力している人には、みんなの前で手本をさせたり、言葉をかけたり、それを認める場をかならず与えます。ハンガリーに来たこの3年間で、「やっぱりバレエって楽しいな」という思いが以前よりより一層強くなりました。楽しいからもっと練習したくなる→練習すると筋力が付く→筋力が付くとできることが増える→できることが増えるとまたバレエが楽しくなる。という訳で、驚くべきことに、この歳になって、私のバレエ技術が少しずつ上達しているようなのです。
さて、私のもう一つの習い事はハンガリー語ですが、ハンガリー語レッスンの私は、いわゆる、やる気のない生徒です。どんな風かと言いますと、習った言葉を覚えようとしないし、簡単な単語をすぐに忘れてしまいます。何度も同じことを質問します。先生には仕事の忙しさを理由にして「宿題は出さないでほしい」とお願いしているくらいです。自慢には決してなりませんが、先生にとっては「ふう」とため息が出るような生徒だと思います。
では、そんなにやる気がないのに、なぜハンガリー語を続けているのか。それは、ハンガリー語を勉強するのが楽しいからです。そんなやる気がないのに「まさか」と言いたくなりますが、本当なのです。ゾリ先生との授業は、とても楽しいです。先生は、ハンガリー語だけでなく、ハンガリーの人達が考えていること、今流行っていること、問題になっていることなど、様々なことを話してくれます。先日は、「味良し、値段良し、雰囲気良し、店員良し」のカフェを教えてもらいました。そのカフェは今では私のお気に入りです。
日本人の中で働く私にとって、ハンガリーという国や、その生活、考え方を知ることができるハンガリー語のレッスンはとても興味深いものです。そして私が最も感心すること、それは先生が私に、今まで一度も、「できていないね」というような言葉をかけたことがないことです。私がどんなに単語を覚えていなくても、どんなに同じ質問をしても、決して嫌な顔をしたりため息をついたりせず、何度でも根気強く教えてくれます。覚えていたことには「いいよ!」とほめてくれます。もし先生に「○○しなければいけない」ということを言われていたら、私は今ごろハンガリー語をやめていたかもしれません。自分のハンガリー語力のなさにいつも落ち込む私ですが、ふと街で耳にした言葉や、テレビから聞こえる言葉で聞き覚えのある言葉が出てきます。確認してみると以前教わった言葉です。「なるほど、こういう意味だったのね」と納得し、うれしくなります。そして、聞き取れていた自分のハンガリー語の力に驚きます。そして「よし今日はちょっと単語でも見直してみるか」という前向きな気持ちになるのです。
二人の先生は、私に自らが学ぶきっかけを与えてくれたように思います。学ぶことは楽しいことです。楽しければ、続けることができます。続けると力になります。力になると自信がつきます。自信がつくともっと楽しくなります。
これから場所が変わっても、年をとっても学ぶこと続けていきたいと思います。
「学ぶことは楽しいことだ!」
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