早いもので。私がハンガリーに来てもう1年半が経ってしまいました。会社のあるKisberはコマロムの南の小さな町です。自然が豊かな所ですが、買い物等には何かと不便さは否めません。20年程前にブダペスト在住の現代ガラスアーティスト、マリア・ルゴッシーの個展を東京で開いた時に、ハンガリーを一度訪れたことがありました。その時にはよもや、20年後に当地に赴任するとは思ってもいませんでした。20年前のハンガリーにはまだ東西冷戦の雰囲気が漂っていました。ルゴッシーの作品も黒いガラスの中にブロンズを埋め込んだ暗い感じのものでした。パンノンハルマの修道院近くにガラスの美術館があります。戦争中の心臓を射貫かれた天使のステンドグラスから、現代ガラスまで展示されています。そこにあったルゴッシーの近作は、明るい緑色ですっかり作風が異なっていました。
住居探しに、モールやコマロム等も行ってみましたが、なかなか良い物件がありませんでした。そんな折り、このジュールにある現在の住まいを見つけました。会社まで45kmで通勤に30分以上かかります。しかし、弊社の家族持ちはブダペストから100km以上の道程を毎日往復しています。それに比べれば楽なものです。日本から2匹のコーギーを連れて来るつもりでいましたから、庭の広い戸建てを選びました。しかし、自然豊かなハンガリーのこと、昨年の冬には帰宅途中、鹿との遭遇という、希有な体験もしました。また、凍り付いた朝、スリップして道路から飛び出した車を何台も見かけました。
ジュールは1000年以上の歴史を持つ、綺麗な街です。歴史を辿って行くと紀元1世紀にはローマの商人が往来し、Pannoniaと呼ばれていました。その後5世紀にはケルト人が移り住みArrabonaと呼ばれ、8世紀頃にはドイツ語のRaabという名前だったようです。マジャール人が移り住んで来たのが紀元900年頃で、現在の地名Gy?rは最初のハンガリー王イシュテバンのハンガリー名に由来しているようです。
古くはドナウ川の運河貿易で栄えた街です。今でもナポレオンが宿泊したホテルなどが残っています。この東欧の古都ジュールでは、様々な行事がキリスト教徒結びついています。街の中心部にあるイグナチオ教会は歴史も古く、初めてビショップが置かれたと聞いています。
ジュールはブダペストとウィーンの中間に位置し、ウィーン空港とブダペスト空港へ1時間と交通のアクセスも便利です。また、土地柄かスロバキアやオーストリアから、安い品物を求めてハンガリーに来る買い物客も多く、週末のテスコやアールカードには外国ナンバーの車が沢山見られます。小さな町ながら、交響楽団やバレエ団、劇場施設なども揃っています。ドイツ系の自動車メーカーが大きな工場を建設していて、経済的にとても活気があります。今ではすっかりこの街が気に入ってしまいました。
このような特徴をもつ町ですが、ここに住む日本人は数名しかいません。日本人はもとより、東洋系が少なく、テスコや公園でハンガリー人の子供から不思議そうな顔で見られます。我が愛犬のコーギーも当地では珍しいらしく、「何という種類だ?」はまだましで「狐を連れているのか?」と聞かれたこともあります。ハンガリー在住の邦人の方でジュールを訪れた方は少ないかもしれません。ブダペストから日帰りで来られますから、一度お訪ねください。
先日、ジュール交響楽団のコンサートに行き、小林先生にお会いする機会に恵まれました。まさにこの町で日本人指揮者のコンサートが聴けるとは思いもよりませんでした。私が子供時代を過ごした仙台も、小林先生の故郷、福島県いわき市も、今回の地震と津波で大きな被害を受けました。ヴェルディ「レクイエム」は震災の犠牲者を悼むコンサートになりました。チケットは発売と同時に完売だったようです。当日も「チケットは無いが見られないか?」と受付で掛け合っている人がいました。そのような方のために、異例の公開ゲネプロが行われました。我が家の大家も小林先生のファンで当日一緒にコンサートに行きました。小林先生の知名度はこの地ジュールでも非常に高いものがあります。
ハンガリーでは仕事の傍ら、暫くご無沙汰していたゴルフを再び始め、趣味のオートバイも楽しんでいます。シドニー駐在時代には毎週ゴルフをしていました。オートバイも16歳から乗り始め、鈴鹿も何度か走ったことがあります。また、日本から連れて来たコーギーに5月、4匹の可愛い仔犬を授かりました。当地の慣習に従い(?)ABC順でAshley、Billy、Charley、Deannaと名付けました。悪戯盛りの仔犬4匹も含め6匹の犬に囲まれて過ごせるのもハンガリーならではのことです。一応、里親捜しはしていますが、半年以上我が家で過ごした仔犬たちに、すっかり情が移ってしまいました。「まあ、6ワンでも良いか」と考えています。里親にご関心のある方はご一報下さい。
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