ハンガリーを代表するグラフィック画家・彫像家カシュ・ヤーノシュが82歳の生涯を終えた。グラフィック画をベースに版画や書籍カバーデザイン、切手デザイン画など幅広く活躍し、コシュート賞やムンカーチ賞など数々の受賞を重ねた。
 私が初めてカシュと出会ったのは1983年春である。その年の初めに経済学者コルナイ・ヤーノシュを法政大学社会学部創設30周年記念講演に招聘した後、春にブダペストのコルナイ宅を訪ねた折、壁にかかっているカシュのグラフィック画に関心を寄せたのがきっかけだった。ちょうどコルナイの日本講演の論文集を岩波書店の現代選書シリーズで発刊する予定があったので、すぐにカシュを紹介してもらい、コルナイ宅を飾っている「不足の経済学」をテーマにしたグラフィック画を日本語出版に利用することを快諾してもらった。
 以後、私の著書や訳書の表紙や各章を飾る挿絵にカシュのグラフィック画を使ってきた。訳書『異星人伝説』(日本評論社、2001年)の表紙にはプラスティック製の塑像にわずかなデザインを施したものを使用した。また、昨年発刊したハンガリー語版の小著の表紙デザインを依頼したのが彼の最後の仕事になった。肺癌の化学治療を受けていてなかなかアイディアが生まれないので、彼の作品の中から小著のテーマに近い図柄を選び、それをベースに図案を描いてもらった。
 彼の作品の中でも、バルトークのオペラ「青髭公の城」を主題にした版画が好きで、新しい事務所を開いたときに10枚の版画を購入した。その10点の作品が事務所の壁を飾っている。事務所の「カシュ・ギャラリー」を訪問するように何度か催促したが、いずれも体調が悪く実現しなかった。それでも、昨年3月の小著の出版記念会に駆けつけてくれ、祝辞をもらった。
 

 
 カシュ家はユダヤ人一家として1850年にセゲドの町に定住し、文化人が集うKass Hotelの所有者として、セゲドの名家になった。祖父の死(1928年)と世界経済恐慌の影響でKass Hotelの経営が行き詰まり、Kass家の手を離れた。体制転換の後、廃墟になったKass Hotelを韓国系の企業が再建するというので、在りし日のKassHotelの写真をもとに詳細な図柄を描いていたが、この話はたち切れになってしまった。ヤーノシュの無念は如何ばかりだっただろうか。
 戦後、ブダペストに移ったKass Janosは工業デザイン大学などで習得を積み、グラフィック、彫像、版画、切手デザイン、書籍カバーデザインの分野で名声を得た。前夫人はやはりハンガリーを代表するゴブラン織りの芸術家ハイナル・ガブリエラである。肺癌治療を始めてからは長年の恋人だった翻訳家のバンキ・ヴェラが引き取り、面倒を見ていた。昨年、ヴェラから二人の婚姻届けを出したことを知らされた。
 Kass Hotelの御曹司として悠々自適の人生をおくるはずだったが、戦前から戦後にかけてのハンガリーの激動の中で、Kass家とヤーノシュの人生もまた、思いもかけない道をたどった。カシュ・ヤーノシュの人生は20世紀の変動とともにあった。