6月に日本クラッシック音楽界を代表する2人の音楽家、ヴァイオリンの篠崎史紀さんとチェロの古川展生さんがコンサートの為にハンガリーを訪れた。この両氏のコンサートをマネージしたが、今更ながらこの2人の音楽家から学んだものが多かった。私自身も音楽家の端くれだが、この二人から学んだものはどんなジャンルにも共通して関係していくものではないかと思う。
 今や日本オーケストラの顔といっても過言でないMHK交響楽団第1コンサートマスターを務める篠崎史紀さんが6月初めにブダペスト入りした。「麿様」とも呼ばれ、音楽家のみならず多くのファンからも親しまれているマエストロは、4年前より年に1度はハンガリーを訪問して、日本とハンガリー両国の音楽部門の大きな架け橋となって頂いている。青年時代をウィーンで過ごした篠崎麿様にとって、ハンガリーはホームグラウンドのようなもの。ハンガリー公演に際して、失礼ながらも、どんなテーマでのコンサートを作り上げようかと質問させて頂いている。アイディアマンの篠崎氏は、いつも面白い題材を提案してくれるのに驚かされるのだが、今回は「ハンガリー版ジプシー音楽」はどうかとの話。「エ、そうきたか!」 とびっくりした。
 ジプシー音楽はクラシックとは正反対の領域。まず譜面が存在しない。さらに、共演者としてジプシー音楽家を起用したいというリクエストも。譜面を解釈して演奏するクラシックと、演奏の正確性を犠牲にしてその場の雰囲気でラフに演奏するジプシー音楽のコラボレーションなどできるのだろうか。しかし、これはハンガリーだから出来ることではないか、一度はやってみる価値があるのではないか。とにかく面白い企画を積極的に推進している私は、「やりましょう、それでいきましょう!」と引き受けた。
 
 
 通常のクラシックプログラムであれば2回のリハーサルがあれば、プロ奏者たちは本番に向けて仕上げてしまう。しかし、今回は勝手が違う。ジプシー音楽はいわば伝承民族音楽。ジプシーの楽士は譜面なしでも良いかもしれないが、クラシックの音楽家はそうはいかない。演奏会である以上、レストランで弾くような調子でジプシー楽士に合わせるだけなら、コンサートを開く意味がない。他方、ジプシーの楽士にはレストランで弾くようなラフで不正確な弾き方ではなく、きちんと音を取って弾いてもらわなければならない。だから、このコラボレーションはいわば水と油を混合するようなものなのだ。
 
 

 もちろん、この試みが簡単に実現できるとは誰も思っていなかった。ジプシーの楽士の他に、ハンガリー人ヴァイオリニストも入るから、日本人・ハンガリー人・ハンガリー系ジプシーと3タイプの混合コンサートになる。クラシックの音楽家には完成度を高めてからでないと人様の前では披露出来ないというプロ精神があり、ジプシーの楽士にもクラシックの音楽家に負けない演奏をしたいというプライドや気持ちがある。このプライドのぶつかり合いがこのコンサートに参加した音楽家の凄いところでもあり、篠崎さんがこういうコンサートをリードできるという力をもっているからこそ、日本のクラシック音楽界も向上していっているのだと確信した。このコンサートの成功はプリマーシュ(ソロヴァイオリン)を務める篠崎さんのパワーと強い指導力にかかっていた。互いに相当な量のアドヴァイスを言い合い、緊張感のある空気が漂う意見を理解するまで言葉と演奏で交し合った。本番直前までのリハーサルまでメンバー全員が力を抜く事無く、バスタオルを用意したほうがいいのではないのかと思ったくらい汗だくで綿密に合わせをしていた。ジプシーの楽士は篠崎さんの指示を見逃すまいと、レストランではまずみられないほどの緊張感でプリマーシュの音を追っていた。これほどの緊張感で自らの民族音楽曲を弾いたのは、多分、これが生まれて初めてだろう。一つ一つの音をおろそかにしないクラシックの神髄とその場の雰囲気を大切するジプシー音楽の融合が、プリマーシュの圧倒的な力によってまとめられたのである。ジプシー音楽がクラシックに変貌した瞬間である。

 レストランでしかジプシー音楽を聴いたことのない聴衆にとって、この夜のコンサートは驚きの連続だった。とにかく、ジプシー音楽がクラシックになった。ハンガリーの聴衆がこれに歓喜したのだ。「csoda(奇跡)だ!プリマーシュは天才(zsenialis)だ!」と口々に叫んでいた。ジプシー音楽にクオリティーが与えられた。レベルの高い演奏と演奏家の感情融合が観客に感動を与えた。曲ごとに盛大な拍手と「ブラボー!!」が連発された。篠崎さんご自身も新境地を開いたようだ。何か確信を得たようで、これからの演奏活動に大きく影響を与えるのではないかと思うほどだった。
 篠崎さんのコンサートを終えた6月中旬には東京都交響楽団首席チェロ奏者の古川展生さんが、ソルノク交響楽団との共演のためにハンガリーへ入られた。古川さんはハンガリーのリスト音楽院で学び、今は日本を代表するチェリストである。今回は1週間で3つのチェロ協奏曲を演奏した。聴衆には聴き応えのあるプログラムで嬉しいのだが、奏者にはかなりの前準備と勢いが必要とされる。気持ちの面でもかなりの調整が必要とされたのではないかと思う。

 今や押しも押されもせぬチェロ奏者として活躍する古川氏だが、会った瞬間お願いされたことは「練習室をとって欲しい」ということ。毎日のスケジュールはオーケストラとのリハーサルがメインで、個人練習時間が確保されていなかった。だから、空いている時間は可能な場所で、個人練習に当てるのだ。当地に留学経験を持つ古川さんならてっきり数年ぶりのハンガリーを散策したりして楽しむ時間をとるのかと思っていたが、ハンガリー入りした瞬間から自分のコンディションや集中力の調整に取り掛かっていた。

 ブダペスト公演の本番前のリハーサルを居合わせたが、初合わせのオーケストラと会場の音の回り方などの感触を得ながら、自身の奏でる音を一つずつ確かめていた。本番では彼の音に引き寄せられるように全ての聴衆が聴きいっていた。彼もまた自身の新たな未知な世界へと挑んだわけだが、まさに彼が奏でるチェロ世界に私たちは包まれてしまっていた。
 今回、この優れた2人の日本人演奏家を大変誇りに思った。自らを厳しく律する態度、新しい可能性にむけて挑戦する姿勢、演奏家をまとめ惹き付けるオーラ。これさえあれば、日本だけでなく、世界のどこでも、またどんなことにも立ち向かえるのではないかと思う。失敗を恐れるのではなく、一つの壁を乗り越えたその先にある自分への自信、そこへと繋がる何かを得ることが大切なのだと思わせてくれた貴重な体験だった。

(くわな・かずえ)