社会主義と呼ばれた経済体制が体制転換後どのように変化しているのか。ハンガリーの経済学者コルナイの著作を積極的に日本に紹介され(最近では『コルナイ・ヤーノシュ自伝』日本評論社、2006年)、同時に『ハンガリー改革史』(日本評論社、1990年)、『体制転換の経済学』(新世社、1994年)で体制転換の開始とポスト社会主義期を独自の視点で解明されてきた盛田常夫氏の3冊目の著作が十数年ぶりに上梓された。一般的に、書評は章別構成を紹介して、その最初から紹介するのが普通であるが、ここでは盛田氏のポスト社会主義論をより鋭角的に浮き彫りにするために最後の第10章から入っていきたい。

 「第10章コルナイ経済学をどう理解するか」で著者は次のように問題提起する。コルナイの『不足の経済学』(Economics ofshortage, North-Holland Pub, 1980)は『資本論』と同様に社会を転覆させるほどの強力なイデオロギーとなった(p.191)にもかかわらず、政治経済学への回帰の90年代から現在までの彼の仕事(移行期の政策提言)にはなぜ厳しい批判が寄せられるのか。それは不足の経済学は制御メカニズムの分析であり、20世紀社会主義の本質(その発展と衰退)を分析するもの
(p.184)あるいはこの体制の動態を理解する論理がなかったからである。
 なぜ本質分析、動態論がないのか。コルナイはヘーゲル哲学的概念を徹底的に排除して、具体的な事象における因果関係の透徹した分析、現象学的分析に終始したからである。この点にコルナイの独自性があり、かつ理論としての限界でもあった。コルナイは著書The SocialistSystem(Princeton U.P. ,1992)で社会主義経済の総括的分析、理論活動を集大成したと認識する。対して、盛田によれば、コルナイの理論活動は『不足の経済学』で終結した。社会主義経済の総括分析、さらには社会主義経済の崩壊を導きだす「統合理論」は成功していない(p。191)。では著者はコルナイの成功していないとされる「総括的分析」「統合理論」をどのように提示しているのか。

 その溝を埋めようとしたのが「体制転換の哲学」と題した第1章である。最初に、体制転換のなかで崩壊したものは「計画経済」だったのか、と問う。そこで「国民経済計画の不可能性」テーゼを説く。経済学は国民経済全体の計画可能性や均衡存在証明に力を注いできたが、それは国民経済の具体的管理には役に立たなかった。経済計画化とは極めて限られた物財のプリミティブな配給割当調整であり、この割当調整を基本とする経済社会が20世紀社会主義経済である。そのプリミティブなシステムを維持するためにも単純明快な統治システムが必要となり、それが「経済を政治的に統御する」というテーゼを有効にした。
 では何から何への転換であったのか。著者は「配分(配給)システム」から「交換システム」への転換として概念把握する。このように把握された「配分」と「交換」の特性は、著書の表1.1(p.7)にあるように、社会発展を規定する基本的契機、本質的要因=社会・経済的モーメントで比較される。したがって、「配分」の社会経済的モーメント群(物理的・片務的コミュニケーション、官僚制、人格依存‐非文明化、閉鎖性と秘密性の組織化、権威への依存、単純化への退化、劣化的・自己破壊的発展)がコルナイ理論とは異なる「社会主義経済統合理論」をスケッチしたものであり、そこから「交換」の社会・経済的モーメント体系(情報的・双務的コミュニケーション、自己組織化された市場制度、非人格‐文明化、開放性と透明性、自立と個人責任、複雑性の継続的な増大、自生的・継続的発展)への移行過程がポスト社会主義の政治経済(学)ということになる。
 この対比と移行のなかでは以下の2点は極めて重要である。(1)交換は「市場」と同義ではない。各労役の相互交換は同等性と対等性を前提として必然的に民主主義制度を生み出しそれを促す。(2)「交換」をベースとする社会は自立(律)的発展の契機を内部保有するのに対して、「配分」をベースとする社会は自立的発展の契機を有しない。なぜ後者は「自立的発展の契機」を持たないのか。この終焉した社会主義は、マルクス主義理論の分析単位となるような社会構成体ではなく、「社会主義的イデオロギーによって構築された一時的社会経済状態」「強権的支配によって維持される社会」だからである(p.13)。この点はコルナイと決定的に相違する。

 このような20世紀社会主義の体制認識は「体制転換アポリア(矛盾する命題)論」につながる。20世紀社会主義体制は次の世代や社会に継承すべきものを何も残さない。だが、旧社会の社会関係や社会機能が死滅するからといってそこで生活していた人々が死ぬわけではない。ポスト社会主義社会に生きる者も前体制を生きた同じ人々である。だから、そこに体制転換のアポリアが生まれる。同じ人が体制転換を担う以上、人々の意識や行動規範は徐々にしか変化しない。その転換は歴史的タイムラグを要する。そこから社会転換における基底的変化と表層的継続という非対称性のシェーマが発生する(p.16)。「交換システム」への転換は交換活動の創意と活性化という長いプロセスを経て、参加者の学習過程を通して新しい交換システムを我が物にして初めて達成されるしかない(p.19)。この非対称性の進化的構図は以下の章でみるように体制転換生活のあらゆる局面に顕在化する。

 「第2章ポスト社会主義の経済システム」は、旧体制の崩壊という無の状態から新しい交換関係あるいは市場関係をどのように生み出すのかが民営化のアポリアとして提起される。民営化とは資本の原始的蓄積のことである。このアポリアを解決する唯一の道は、国際機関の専門家の勧めた可及的速やかな民営化でもまたコルナイの主張した市場関係の即時創出と所有関係の漸次的転換でもなく、 私的所有関係を即座に導入し、市場関係を構築できる直接投資の導入でしかなかった。だが、直接投資による市場関係の構築の範囲・影響は限定的で、生産と分配、生産と社会での先の非対称性をつくり出し、国庫資本主義と「借り物経済」(「第3章ポスト社会主義の経済システム」)とを産み落とした。
 生産面は、民営化で大量に流入した直接投資と多国籍企業が根本的に変えたのとは対比的に、分配の面では、民族的自力での市場経済力の発展が不十分なままで国家財政によって旧社会福祉制度が維持されている。国庫社会主義の継続である。
 これは生産における国家支配と分配における市場経済依存(所得処分の放任)となっている国家資本主義(例;ロシア)とも異なり、財政支出規模、財政規律、予算の効率的運用の点でも他の中東欧諸国と異なる。
 「借り物経済」とは雇用、GDP、輸出における多国籍企業への依存体質をさす。だが、その外国依存の危険性は学習された労働規律・倫理、技術、ノウハウが現地にどの程度残るのかでそのメリットが判断される。この「借り物経済」の裏には「ゲストワーカー現象」、多国籍企業と労働者との「中東欧型共生現象」、分不相応な高額報酬に「甘え」る「体制転換貴族」の誕生がある。

 同じ視角は「第4章の経済危機下の中欧経済」の分析にも通じる。中欧のなかでなぜハンガリーだけが経済危機の波及効果に直撃されたのか。ここでも借り物の「金融経済」、他力本願、キリギリス化現象が問題となる。「第5章ポスト社会主義の政治システム」は、(1)旧政治家や旧官僚が体制転換後も影響力を行使し続け、(2)旧体制
派の者が資本主義制度の構築を推進し、これに対して旧体制での反対勢力が社会主義時代の制度の維持・充実を求めているのはなぜかを問う。この捻じれ現象は、旧体制の平時に誕生した社会主義という外套を纏ったプラグマティズムやオポチュニズムが転換後も継続してきたからである。こうして社会の表層的継続性のなかで政治が引っ張られ、ポピュリズムが誘発され、民族主義が再登場する危険性がある。
 「第8章ポスト社会主義の社会分析」は、ブダペストの実生活体験にも裏付けされたものである。社会主義の時代に社会的・市民的規範が劣化したが体制転換の後でも蘇生しないという表面的継続を暴く。なぜなら市民や患者、消費者を軽視した役人主権や医師主権、「コメコン事務所」の残存、電子政府の手動化、国会議員の規律弛緩が社会に根を張っているからである。同じ点は「第9章ポスト社会主義のイデオロギー」でも批判される。旧体制の医療制度が続くなかで、社会党連立政権下のネオリベラルな政党SZDSZの推進した医療保険民営化構想は、複数保険制度=医療保険の民営化で医療サービスをめぐる競争的市場構造を創出しようとしたが、問題は社会保険が適用される医療サービスを提供する主体側にある。民営病院がなくすべて公営病院で医療サービスを提供する医者の経営主権が支配的なままで、医療サービスの質と量の向上の条件やインセンティブがない点が根本問題である。
 「第6章歴史評価と統治の正当性」と「第7章独裁権力下の個人と倫理」では、転換における基底的変化と表層的継続の関係をカーダール政権の正統性の処理問題、治安警察、独裁権力と関係を持たざるを得なかった政治家、知識人、芸術家の生き方の一貫性(哲学)と正当性(倫理)を軸にし
て豊かに論じている。

 「補遺ハンガリアン・コネクション」にも見られるように、ハンガリーに生活の拠点を移された盛田氏の豊かな仕事ぶりが窺える一冊となっている。体制転換後の中東欧の経済社会を研究する者にとっても待望の一冊だ。そして資本主義の現体制に行き詰まりを感じている社会科学者にとっては現体制を診る眼鏡、診断方法に再考を迫る作品となっている。

(たなか・ひろし 立命館大学教授)