ハンガリーでの活動の概要
 私は 2017年 4月 1日から 2018年 3月 31日までハンガリー・ミシュコルツの MVSC(Miskolc Vasutas Sport Club)で柔道の指導者として雇っていただき活動しておりました。活動内容は、平日は朝 7時からカデ世代( 18歳未満)の選手の朝練、その後9時ころからシニア世代( 23歳以上)の選手とトレーニング、その後は休憩で午後は 17時より 10歳くらい 60歳を超える柔道に携わる人々への柔道指導を行っておりました。土日は試合が多く、少ない月でも月に 2回は試合が行われていました。試合の日は遅くて 7時頃にミシュコルツを出発、帰ってくるのは日付が変わった次の日ということもありました。平日よりも休日の方が大変でした。試合がない土日はブダペストまで遊びに行ったり、家でゆっくり過ごしたりとしておりました。
 言語面ではブダペストでは英語が通じるものの、ミシュコルツではあまり英語が通じず、赴任当初は、英語で話したことを高校生くらいの生徒にハンガリー語に直してもらって指導するというように行っておりました。 2,3ヶ月もするうちに柔道やスポーツ身体の部位や、動かし方に関する表現は覚えて指導は問題なく行えるようになりましたが、日常での会話はなかなか難しいことが多かったように記憶しております。
 待遇面としては、給与の他に、一人で住むには十分な広さの家( 2K)の家賃、レストランでの昼食、ミシュコルツ市内での公共の交通機関の交通費を MVSCの方から出していただき、生活に不自由はありませんでした。

ハンガリー赴任の経緯
 上述のような恵まれた待遇で、ハンガリーで活動することが出来たのは、私の前任者である日本人指導者の活躍が大きかったと思います。前任者は大学の卒業後に、大学のハンガリー人の英語の教師のツテでこの仕事に就いたと伺っております。赴任当初の給与は私の 1/4程度で、もちろんハンガリー語も出来ず、かなり苦しい生活をしていたそうです。独学での勉強や、語学学校に通い、また柔道指導での実績を出すに連れて私が受けていた待遇になるように交渉していったそうです。周りには、頼れる人間もおらず、初めてはたらいく場所が海外で、外国語での条件交渉をして、実績も出していたので、相当な努力をされたと思います。
 この前任者が自信のキャリアアップのために、別の国でのコーチ就任が決まり、 MVSCが後任を探していた時に、私が外国での柔道指導者としての職を探していたため、赴任に至りました。私自身としては、漠然と外国での暮らしがしたいという想いと、それを実現するために私が出来ることが柔道の指導者であったため、この職を探しておりました。ハンガリー以外にもいくつか指導者の話を頂いておりましたが、英語以外の言語も勉強したいという気持ちもあり、最終的にハンガリーを選択しました。

ハンガリーでの生活
 生活面において、まずは食事。ハンガリーの食事は特に癖のあるものは少なく、私の口には非常に合いました。ただ、パプリカ粉を使った料理が多く、刺激が強いため、胃が弱い方には合わないみたいです。大きな都市には、街中のいたるところにハンバーガー屋、ピザ屋、ケバブ屋、パン屋がありこれらが一食分で 500ftから 2000ft(250円から 1000円)くらいで食べられました。ブダペストに行けば、日本食レストランやアジア食材店などもあり、食事面はあまり苦労せず、たまに高級なレストランでハンガリー料理を楽しむこともできました。
 住居に関しては、広さは申し分ありませんが、ユニットバスが基本であったり、洗濯機がおけない家が多かったり、浴槽に入れない家が多かったり、日本人にとっては中々普通基準のものは少ないように思いました。また冷房がある家はあまりないようで、ハンガリーの暑い夏には苦しめられました。逆に暖房設備はかなりしっかりしており、冬は特に問題なくすごせました。
 服などに関しては、ヨーロッパということもあり、日本では中々サイズの見つからない私にもピッタリの服を見つけることは簡単でしたが、食事ほどの物価の安さは感じられない印象でした。
 人に関しては、ハンガリー人は素直だなという印象でした。知らない人間を最大限警戒し、仲良くなったら、よく話すという印象です。また在ハンガリーの日本人も結構多く、特にブダペストやデブレツェンなどの都市には日本人コミュニティがあると聞いておりました。私も何度かブダペストでたまたま会った日本人と仲良くなり、そのまま食事に行ったりもしました。
 総じて、日本人には言語の面以外では非常に住みやすく、旅行にもオススメな国だと思いました。
柔道の指導者としては、まだまだハンガリー柔道は発展の余地を残しているなと思いました。特に「忍耐」という柔道創始者の嘉納治五郎先生の教えの一つは、十分に浸透はしていないように感じました。一方で彼らから、学ぶことも多く、純粋に柔道を楽しむことを彼らは素でやっているように感じました。この矛盾しているような2つ要素をうまく、取り入れていけるかどうかが、今後の発展に関わってくるように思います。またこれらの経験を通して、外国で生きていくことの大変さを感じることが出来ましたが、一方で「やってみればやってやれないことはない」といった印象もいだきました。ハンガリー在住のとき、ヨーロッパ各地で多くの日本人と出会い、皆が様々な形で生活をしていました。日本から海外に行ってみたいという気持ちがある方で、この記事に目を通した方には是非、形に拘らずにチャレンジしてほしいと思います。

(かわぐち ゆうだい)
ハンガリーの生徒と国際大会の遠征時