福田 和代のウィーン便り
モネ展とブリューゲル展
福田 和代
アルべルティーナ美術館での「モネ」展と美術史博物館での「ブリューゲル」展はウィーンで今年最大の特別展と言える。モネ展は 9月 21日から 2019年 1月 6日まで、ブリューゲル展は 10月 2日から 2019年 1月 13日まで。どちらも多くの入場者を見込んでおり、アルべルティーナの開館時間はモネ展が始まると、通常の 10時より 1時間早く 9時からとなる。美術史博物館の開館はブリューゲル展が始まると、通常は月曜日定休が、閉館日なしで毎日となる。しかもブリューゲル展には入場時間予約制の特別チケットが必要で、このチケットを買わないとブリューゲル展に入場できない。
アルべルティーナのモネ展のポスターやカタログの表紙に使われている作品「船遊び」は、月刊ウィーン 9月号の表紙にも使っているが、ブルーが印象的なたいへん美しい名画である。この作品に合わせるかのように、展示会場にはブルーの絨毯が新たに敷かれている。「舟遊び」は国立西洋美術館(東京)の所蔵作品で、今回のモネ展では日本からだけでなく、オルセー美術館(パリ)、ボストン美術館、ロンドン・ナショナル・ギャラリー、プーシキン美術館(モスクワ)など世界 40カ所の美術館や個人コレクションから、百点が貸し出されている。特にマルモッタン・モネ美術館(パリ)からは多数の作品が提供されている。 国立西洋美術館はフランス政府から日本に返還された「松方コレクション」を保存・公開するために設立された。 1959年 3月に建物が落成し、 4月に松方コレクション返還作品が横浜港に到着、 6月に開館し一般公開された。松方コレクションとは、当時川崎造船所の初代社長・松方幸次郎氏(1865-1950)が 1910年代後半から 1920年代後半にかけてイギリス、フランス、ドイツなどヨーロッパ各地で買い集めた西洋近代の絵画、版画、彫刻、家具、タペストリーなど西洋美術約 3000点と、日本の浮世絵約 8000点という膨大な美術コレクション。彼は日本に美術館を建てて本物の西洋美術を公開しようとした。購入した作品を日本に持ち帰り、その準備をしていたが、 1927年の経済恐慌により川崎造船も経済危機に陥り、日本に運ばれた美術品は売却され散逸してしまった。日本に持ち帰らずヨーロッパに残されていた作品のうち、ロンドンにあった約 950点と推測される作品群は 1939年の火災で焼失し、パリに残された作品約 400点は、第二次世界大戦末期に敵国人財産としてフランス政府に押収されてしまった。戦後、 1950年から日仏政府間で松方コレクション返還交渉が始まり難航したが、 1951年のサンフランシスコ講和会議の際に返還が決まった。フランスを含む連合国の管理下にある日本の財産はそれぞれの国が没収するが個人の財産は所有者に返還されるはずであったのに、なぜか松方コレクションはフランスの国有財産になってしまった。返還は松方コレクションの全ての作品でなく、絵画 196点、素描 80点、版画 26点、彫刻 63点、書籍 5点の計 370点が、そのための美術館を建設して展示するという条件付きで、しかも「寄贈」という言葉をつけて、1959年に正式調印され、返還された。こうして、クロード・モネ「舟遊び」(1887年制作)も数奇な運命を共にして日本に渡り、この度はウィーンに運ばれて、今話題のモネ展の主役になっている。 美術史博物館のブリューゲル展は「一生に一度しかない展覧会」と銘打っているだけのことはあり、ウィーン・ブリューゲル・プロジェクトによる新たな科学的分析と研究も紹介されるなど、内容は素晴らしい。ブリューゲルの作品約 90点、うち絵画 30点が展示される。 10月 1日のブリューゲル展オープニングにはベルギー国王も臨席し、ブリューゲル没後 450年のお祭りにふさわしい舞台が用意されている。 筆者は 30年以上も前のことだが、ブリューゲル見たさに何度も美術史博物館に通った。学生だったから入場料は数百円程度。今のように開館前から並ぶ人の列ができるようなことはなく、作品の前にロープが張られておらず、アラームが鳴ったりすることもなく、ほぼ独占して鑑賞に浸ったことが懐かしい。今は 19歳以下は無料だから若い訪問者が多くなったのは結構だが、いつも人が多くてゆっくり鑑賞する雰囲気はなくなってしまった。それでもやはり美術史博物館は一見以上の値がある。まして今回のブリューゲル展は見逃すことのできない一大イベントである。 |
(ふくだ かずよ) |