8月、母親と姉と私の三人はブダペスト空港に降り立ち、そこからタクシーで宿泊先のホテルに行った。夏だというのに外は涼しく道路には意外と多くの車が走っていて驚いた。次の日から一週間程、色々な観光地を巡った。ヨーロッパらしい建物など、街並みも綺麗でいい町だなと思った。しかし、この時はまだ日本の高校へ進学するか、ハンガリーの高校へ進学するか決めきれずにいた。答えが出ず、不安を残したまま日本へ帰国した。 日本に戻ってからもしばらく答えは出なかった。不安だけが大きくなり、勉強への意欲も無くなっていった。そんな生活が続いたが、親の説得もあり私はハンガリーに来ることを決めた。外国での生活に興味がわいた。夏休みにハンガリーに訪れたことが一番の決め手となった。 私の生活は変わり、日常の中に「英語」の存在が大きくなった。また、日本で過ごす残りの時間が一刻一刻と過ぎる中、私は心残りがないように、友人達との時間を大切にした。友人達やクラスメイト、部活動の後輩との別れが訪れると悲しさや寂しさから、私は涙が止まらなくなった。 11月、私は再びこのハンガリー訪れた。その頃には、不安よりも期待が大きくなっていた。これからの新しい生活に。そして、私はこのブダペスト日本人学校に転校してきた。転校は初めての経験で、私のいた学校とかなり違う環境だったので、戸惑いが多かった。例えば、日本の学校では1クラス30程度だったのが、ここでは学年で3名しかいないこと、中学生も小学生も同じ学校に通っていることだ。 まだ学校生活に慣れていない私に、2人の同級生は積極的に声を掛けてくれ、とても嬉しかった。それ以後、私は学年を問わず喋るようになり、中学1、2年生達とも仲良くすることができた。 授業も少し違った。とくに体育だ。体育は中学生全員で受けていて、それぞれの学年同士の壁がない。全員が一つのクラスのような仲の良さで、この輪の中に入って一緒に体育をするのが、とても楽しかった。ハンガリー語の授業も中学2、3年生が一緒に受けることがとても面白かった。 そんな中、私はドナウ祭で、中学部の太鼓演奏に参加することができた。最初は、うまく演奏することができなかったが、野村君と山岸さんが教えてくれて次第にできるようになり、発表当日は一番うまくできて嬉しかった。短期間でも色々な思い出をつくることができた。私はこのブダペスト日本人学校に来て良かったと思っている。新しい友人ができたことや、自分が知らなかった自分に出会えたことだ。人見知りであると思っていた自分が、ここに来て、知らない人と会話するようになった。これは自分でもびっくりした。 卒業後は、英語で授業を行う学校に進学するので、これからはもっと英語の学習に力をいれていきたい。また、この学校で学んだいろいろなことを活かしていきたい。 自分がやりたいことがまだ決まっていないので、高校生活の中で決めて、その夢を叶えるために頑張っていきたい。
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