10年前に始まったヴィシェグラード4か国(チェコ、スロバキア、ポーラランド、ハンガリー)と日本の協力関係は、2014年は「V4+日本」交流年に位置づけられました。日本ハンガリー友好協会は、ハンガリーで開催される「ハンガリー・日本文化交流」イベント(ハンガリー日本友好協会主催)」に参加することを決め、ツアー一行は21名になりました。
 今回のツアーは、二つの大イベントを軸とし、一つは、最後のハプスブルグ皇女、エリザベートが愛したグドゥルー城内における、ハンガリー日本友好協会が企画した一連の舞台、コンサートや舞踊ショー。もう一つは、ブダペスト市の国立民族博物館で開催された日本ハンガリー友好協会主催の「書アート展」です。
 日本からの訪問団一行は、1週間かけて、世界遺産のペーチで、初期キリスト教墓所、ジョルナイ陶器美術館を見学し、セクサールドではワイナリーを楽しみ、パンノンハルマ大修道院の世界遺産を見学、バラトン湖を舟で越えて、ヘレンド博物館へ。ヴィシグラードでは、ドナウベントを眺め、センテンドレの可愛い町を覗き、ブタペスト市内の自由観光等を楽しみました。
 20年前、ブダペストに仕事で駐在していた私は、ブダペストの街が、更に発展を遂げ、立派になった様子を見て、また、当時、小学生だった息子と同じ日本語補習校に通っていたお子様のガイドで、今回の旅行を楽しませていただいたことを知り、時の流れと人の移り変わりに感慨深いものがありました。

グドゥルー宮殿にて

 10月28日(火)、16時30分、グドゥルー宮殿内バロック劇場で、ハンガリー日本友好協会主催の日本フェスティバル・オープニングコンサートが開かれました。大勢の参加者の中に、日本ハンガリー友好協会のツァーも招待されて着席。この前に一行は、宮殿館内見学をさせていただきました。エリザベート、愛称シッシーの好きだった城の内部に、当時の面影を想像しながら、城内の装飾と庭園を楽しませていただきました。
 さて、劇場の開会式では、加藤喜久子・在ハンガリー日本国大使館臨時代理大使と猪谷晶子日本ハンガリー友好協会専務理事および、ハンガリー日本友好協会会長ヴィハール・ユディット博士から各々、挨拶があり、記念品の贈呈となりました。
 続く舞台では、モーリツ小学校「ドルチェ」児童合唱団が、「さくら」やハンガリー民謡を含む6曲を歌い、テレク・ティラ氏の歌と高久圭二郎氏の三味線による月読神社の歌と演奏、そしてカロシ・ユーリアとジャズバンドによる3曲、藤原新治氏と今井文音氏による日本歌曲2曲等が演奏されました。最後に、オジュジャーニ・ミハーイさんとシェール・リビアさんのチャールダーシュの女王」からシルビアの曲を含む4曲、歌と踊りのオペレッタ公演があり、劇場は笑いとブラボーの掛け声、万雷の拍手の中で幕を閉じました。

国立民族歴史博物館にて

 10月30日から11月9日まで、ブダペストの国立民族歴史博物館では、書道家西浦喜八郎氏の作品18点を展示する「書アート展」が2階貴賓室で開催されました。ハンガリー国元大統領のシュミット・パール夫妻をはじめ、両国に関係する歴々方、約140名が招待され、期間中には、日本大使館を含めて、香・花・書道のワークショップも提供され、好評を博しました。
 ブダペスト歴史博物館での書アート展オープンセレモニーは、10月30日15時30分から始まりました。一階大ホールでの式典は、ケメッチ民族博物館長の挨拶に始まり、ヴィハール・ハンガリー日本友好協会会長、猪谷・日本ハンガリー友好協会専務理事等の挨拶が続き、日本から持参した日本酒を開けて、加藤臨時代理大使による、乾杯の音頭となりました。

「抹茶と和菓子」のおもてなし

 乾杯が終わると、同会場で茶の「おもてなし」が始まりました。日本側ツアーに同行した瀬川隆生が代表を務める古儀茶道藪内流社中は、ハンガリー側ライゾ・コンソル・コルネーリアさんが率いるハンガリー裏千家の方々の全面的な協力を得て、会場の皆様に藪内流立礼点前を披露する運びとなりました。日本から苦労して運んだ「たねや」特製の3種の干菓子100名分と橋本美好園詰の茶名「老松」で心を込めて、おもてなしをいたしまた。
 この機会に、茶道について、その場で説明した一部をご紹介しましょう。現在では日常的な「茶を飲む」習慣は、茶の原産地、中国で始まり、奈良時代に日本に伝えられたといわれます。12世紀末、中国で禅を学んだ僧侶たちが「抹茶」を飲む習慣と道具を持ち帰り、それは、日本の風土と禅と美意識の中で、「茶の湯」へと発展し、千利休によって、茶道という文化芸術に大成されました。自然と質素を尊び、人々の和と礼儀を大切にする「わび茶」の精神は、時代を超えて、茶人たちが研究、価値観の追及を続けながら、脈々と流派を繋ぎ、代表的日本文化の一つとして現代に伝えられています。
 茶道には日本芸術のすべて含まれていると言われます。建築、造園、花、香、絵画、書、焼物、塗物、指物、菓子、料理、振舞、作法、製茶方法等々。すべて、自然素材を使うことも、特徴のひとつです。
 茶の湯のもてなしは、茶会です。夏の風炉、冬の炉を使うもてなし方があります。炉の第一ステージでは炉に炭をつぐ所作が披露され、第二ステージでは懐石料理が出され、この後、客は一度茶室の外に出て、路地の風情を楽しみます。湯が沸いてきたころ、第三ステージの濃茶席へと招かれます。これは濃抹茶一碗を、参列客が数人で飲みまわすものです。最後に第四ステージの薄茶を干菓子とともに、それぞれが頂き、茶会は終わりとなります。大体4時間をかけて行われる、主客一体の茶の湯を楽しむイベントです。
 オープニングセレモニー当日は、第四ステージの薄茶席の雰囲気を皆様に楽しんでいただきました。私どもが亭主となり、限られた時間の中をで、皆様に抹茶と和菓子お楽しみいただけた様子でした。
 私どもが学ぶ古儀茶道藪内流(藪内家)は、茶家として400余年の歴史を伝えており、武家点前といわれる作法は、草庵の茶と書院の作法を併せてもっています。流祖である藪内剣仲は、大徳寺の春屋和尚に参禅して道号を与えられ、親交の厚かった兄弟弟子の千利休から茶室「雲脚」と茶道具一式を贈られ、また、武将で茶人の義兄、古田織部の妹を妻とし、茶室「燕庵」を譲り受けましたが、日本の重要文化財として、今も代表的な茶室になっております。他流と少し所作に違いがありますが、おもてなしの「茶」の心は同じです。
 会場には、当代藪内流家元の筆による禅語「喫茶去」の軸が掲けられ、利休作の銘「園城寺」写し竹花入れに、秋の茶花を入れました。これには、ブダペストで茶花を探して3日間さまよったという裏話があります。結局、見事なススキを山で採取し、市場で小菊を見つけ、知人宅の庭から紅葉一枝を頂戴して、無事に茶花を仕上げました。香合は幸福をもたらすとされる「ふくら雀」一刀彫を運びました。
 点前終わりの拝見時、シュミット元大統領が加藤臨時代理大使とともに、(現地で拝借した)美しい御園棚の近くまで来られ、中でも、竹蒔絵棗や宝林寺禅師作の銘「幸」の茶杓について、興味を持たれたご様子で、いくつかのご質問をされました。抹茶を召し上がった多くの方からは「美味しかった。着物姿は、美しかった」の感想を寄せていただき、関係者一同、安堵した次第です。
 また、機会があれば、いろいろな国の方々に、日本文化の茶道の奥深さと魅力、そして実際の「抹茶」を仲間で味わう楽しさを伝えたいと願っています。

(せがわ・たかお 日本ハンガリー友好協会常務理事)