ヴェスプレーム生まれのふたりのこどもたちも、早いもので、この9月で上の娘が4年生、下の息子はいよいよ就学することとなった。今は、ようやく学校生活にも慣れ始め、母親としては少しホッとしているところ。しかし、これからこの子たちをどのように育てていったらよいのか、通過しなければならない難関を考えると、楽しみ半分、不安半分。どのような人間になっていくのか想像すると、興味半分、心配半分。
 縁あってここでこどもを育てることになり、大切にしたい基本はどこでも同じ、普通の生活をさせてあげたい、と思っていたのだが、一方だけが充実して、片方が稀であると、家族のバランスはどこか失われるようで、両国の距離はどこまでも遠い、と痛感するようになっていた。そんな矢先だったから、今年の夏休みの、私側の親の訪問は、これまで以上に意味が大きかった。これをこどもたちに当てはめてみれば、ただでさえ距離のある片側の家族、親戚と話せなくなれば、同じように均衡がとれなくなる可能性があるということになる。益々、日本語を話す能力を、キチンと身に付けさせてあげたいと思うようになった。しかし、こどもたちは、そんな私の心配とは裏腹に、表現する内容がどんどん増えて、ハンガリー語の語彙でしか対応できないことが多くなってきている。
 日本語は、これまで、私との会話と、寝る前のお話し、いわゆる読み聞かせで使ってきたが、その内容では、彼らの言語能力に追いつかなくなっているのが現状。でも、地方からでは、日本語補習校に通わせることは不可能だし、ましてや家庭教師など選択肢にも入れられない。私も、ここの生活にどっぷり漬かっているので、段々ハンガリー語の方が表に出てきていて、無理して日本語でコミュニケーションをとるより、ハンガリー語の方が自然になっている傾向がある。(ちなみに、家族との会話はハンガリー語。)ことばを仕込むのも、こどもを育(はぐく)むのも、一人二役なので、こどもの日本語教育については非常に悩む。そこで、同じような状況の地方在住の親たちと、日本語学習会を開くことにした。先生は、お母さんだけど、大学の教室を拝借し、環境だけは立派に運営している。また、ブダペストには、Wの会という、同じような家族、30組ほどが集まる、ゆるい繋がりの会があって、毎年一回の講演会と親睦会を開いている。現在会長をしているので、もし興味あるご家族があれば、ご遠慮なく。

 いろいろ試しているけれど、兎にも角にも、おじいちゃん、おばあちゃんと話せる手段だけは抜けないようにしてあげたいというのがまず念頭にあって、欲を言えば、手紙も書けるようにしてあげたいし、将来は、両方の世界を熟知している人間に育って欲しい、と願う。けれど、ふたつの視点ができることだけでも、賜り物ものだと思うことにしている。自分と比較しても、都会で育った私にとって、母の田舎は別世界で、両極の視点を持てた恩恵は、至るところで感じる。ハンガリー人の父親と日本人の母親に育てられているこどもたちは、両世界にはもっと距離があるから、より大きな結果が現れるだろう。
 違うのは、ことばだけでなく、当然、文化面も大きい。ハンガリーで生活を送っているから、ハンガリーの文化には、すっかり馴染んでいるけれど、日本の文化は、ことばと同じで、殆ど私からしか流れない。そこで、昨年は、日本で年越しをすることにした。

 まめな両親のおかげで、こどもたちは、年末大掃除以外の多種多様な正月行事を経験できた。父と竹やぶに竹を取りに行って門松をこしらえたり、しめ縄や生花、お飾りを手伝ったり、お節料理の田作りを炒って、栗きんとんをこすのを何時間も手伝ったり。機械ではあるけど、餅つきをして、鏡餅や切り餅を作ったのは、とても楽しかったようだ。帰国前日、運よく地元のどんど焼きにも参加でき、お祓いを受け、七草粥を食べて、最後の締めまで体験することができた。
さて、いろいろなことを一気に経験したけれど、一体何がどのくらい記憶に残ったか。ハンガリーのおばあちゃんに話している内容からすると、娘にとって、一番嬉しかったのは、日本の祖父母、曾祖父母、私のきょうだい、いとこ、親戚に会えたことのようだ。あとは、大晦日、除夜の鐘について、ハンガリーのパーティーと比べて、なんと静かでつまらなかったかを語っていた。一方息子は、保育園で日本の思い出を聞かれ、飛行機がどう揺れたかを事細かに話したらしい。正月準備への参加意欲はあまりなく、ありとあらゆる所で見つける違い、新しい物事に疑問が沸いてくるので、質問のし通しだったように思える。日本での出来事は、魚市場のことをかろうじて覚えていて、魚やエビ、タコがどう泳いでいたか、延々と話したようだ。
 感想が何であれ、私側の世界を見せられたことは、うれしかった。これからも、ことばだけでなく、自分が家族から授かったものは、できるだけ伝えていきたい。私にとって譲れない文化は、ひな祭りと食事なのだが、我家ではお雛様を父親が準備したので、桃の節句が近づくと、彼を思い出し、食事は、母親が一番大切にしていたことだからではないかと思う。彼女のように上手に料理はできないけれど、同じように大切にしたい。こんな日常を通しても、もう一方の世界を補えるのではないかと思っている。そして、彼らの人生に、どちらの世界の何が、どのくらいの割合で影響するかわかる日を、楽しみに待とうと思う。

(もりた・ともこ ヴェスプリーム在住)