サッカーW杯で考えたこと
盛田 常夫
予選リーグ3戦全敗を予想した評論家が多くいるなかで、決勝トーナメントに進んで日本チームの健闘を称えたい。十分にW杯の醍醐味を味わわせてもらった。 予選リーグ最終対ポーランド戦の最後の10分間の球回しに多くの批判が寄せられたが、この批判は当たらない。予選リーグは決勝トーナメントに進むための予備選であり、そこを突破しない限り、いくら健闘しても意味がないことは自明のことである。4チームによる予選リーグの最終戦では、そこに至る前2試合の結果によって、いろいろな可能性が存在する。日本チームは1勝1分の首位に立っていたからこそ、リーグ戦突破に有利な選択肢を確保できた。負けても1点だけの失点であれば、突破の可能性が非常に高かったのは、最初の2試合を負けなしで来られたからだ。それが最終戦でリスク回避の余裕を与えたのである。 対ポーランド戦の批判が強い中、史上最強と言われるベルギー相手に日本チームがどう闘えるのか。負けても好いから惨敗だけはしてもらいたくないというのが、正直な心情だった。惨敗すれば、「ほれ見たことか。やっぱりフロックで勝ち上がったのだろう」と批判されただろう。最初にW杯に出場した1998年フランス大会で、ハンガリーの友人は「パス回しは良いが、点を取らない限り勝てないのだよ」と日本チームを批判したことがある。ハ
ンガリーは1950年代の黄金時代、東京・メキシコ五輪優勝の後は、見る影もなく代表チームは低迷しているが、サッカーは欧州のスポーツだという気持ちが強い。FIFAが2009年に創設したプシュカシュ賞は、ハンガリー動乱の後、外国遠征からハンガリーに戻らず、レアルマドリードに加入し、歴史を作ったハンガリーのFWを記念したものだ。ハンガリーの黄金時代の中心選手だった。だから、長らく、ハンガリーに遠征する日本代表チームは代表チームと試合をしてもらえず、クラブチームしか相手にしてもらえなかった。 手に汗を握る試合だった。勝ち上がる夢を与えてくれたが、現実は甘くなかった。しかし、惨敗することなく、しかも最強チームの一つを最後まで追い詰めることができ、ほっとした。欧米のアジア人蔑視や偏見は未だに根強い。それが顕著に現れるのが、スポーツ競技である。それを打破するためには、対等に闘えることを示す以外にない。欧米では、一般的な偏見があっても、人種に関係なく実力へのリスペクトが存在する。どのような分野であれ、実力を見せて批判を封じ込めることでしか、アジア人がその存在を示すことができない。日本が世界標準のサッカーを展開できることを示したことが、今大会の最大の収穫である。 選手が揃っているのに、負けが込んでいるチームを引き上げた西野監督の手腕は見事である。やはり、言葉の壁やコミュニケーションの不足が、団体競技の難しさを語っている。監督が選手の意見に聞く耳をもたず、通訳を介してしか意見を伝えることができないのでは、チーム力が強くならない。ただ、今回の選手選考で多くのファンが失望したのは、ベルギーリーグで活躍している久保裕也、オランダのフローニングで大化けして今年だけで9得点を重ねた堂安律、ポルトガルリーグで活躍する中島翔哉などの若手で、得点力のある選手を選ばなかったことだ。明らかに、少なくとも、乾のバックアップには中島、原口のバックアップには久保が選ばれるべきだった。故障の岡崎よりも、堂安の方がベターな選択肢だった。そうすれば、選手交代の選択肢が広がっていたはずだ。西野監督がどれほど欧州リーグの試合に関心を寄せているのか、そこが外人監督との違いかもしれない。 |