2015年5月14日、42年の人生の中の最も感動的な1日として、語り継ぎたい出来事があった日となった。漢字の違う二人のMORITAさん(ヴェスプリームの森田さんとブダペストの盛田さん)より、最高の贈り物をいただいた。マエストロ・コバヤシ(世界的有名な指揮者であるが故に、あえてカタカナで書かせていただく)のコンサートチケットである。しかも、前から5列目のど真ん中のVIP席。
 私たち夫婦は、平日にも関わらず、マエストロ・コバヤシのコンサートのため、自宅より130kmも離れた、ハンガリー王妃ギゼラの街、ヴェスプリームへ足を運んだ。
 私は音楽家でも音楽評論家でもない。1人の音楽ファンにすぎない。私がマエストロ・コバヤシのファンになったのは、かれこれ10年前に遡る。リスト音楽院のコンサート会場で、初めてマエストロが指揮するコンサートを鑑賞した時からである。体全体を使った指揮振り、体から溢れ出る力強さ、そして奏者一人一人を敬う謙虚さ。私にとって、交響曲を聴くだけではなく、指揮者のパフォーマンスをも楽しめるコンサートとの初めての出会いで、とても新鮮に感じたのを今でも覚えている。
 それ以来、マエストロ・コバヤシが来洪するときは、必ず一度はコンサート会場へ足を運ぶようにしている。マエストロが指揮するコンサートは、いつも期待を裏切ることがなく、どんなに遠い席からでも、心を満たしてくれるからだ。
 そして、この5月14日のコンサートは、もっと私を虜にしてしまうコンサートとなった。
 今回のコンサートは、ヴェスプリームのホール、HangVillaで行われた。改築前はとても薄暗い映画館だったが、3年ほど前に、ガラス張りの明るい、カフェのあるおしゃれな建物に改築された。芸術宮殿(MUPA)とは比較にならないほど、小さなホールである。しかし、小さい会場だからこそ、マエストロ・コバヤシが曲を作り上げていく時の集中力、息遣い、迫力が肌で感じられるだけでなく、奏者、観客へ心配りがよく伝わってきた。時として、鳥肌が立つことすら覚えたほどだった。
 プログラムの第1部は、スメタナ「モルダウの流れ」、「ハンガリー舞曲より4曲」、第2部はドボルザークの交響曲第9番「新世界より」で、どれも馴染みある曲で誰もが楽しめるプログラムだった。
 演奏中、ハプニングが生じた。ハンガリー舞曲の演奏最後の締めくくりの直前、楽譜か何かが落ちた。かなり大きな雑音が響き渡った。マエストロが、いつ指揮棒を振り、曲を締めくくるのか。楽団員全員がマエストロの指揮棒に集中する。私は息を止めて、その瞬間を待った。
 ところが、マエストロは笑顔すら浮かばせ、その雑音の響きを楽しむかのような表情をしていたのだ。「何が起こるんだろうか」という私の杞憂は一瞬のうちに消えた。指揮棒が振られ、最後の音を響き渡らせ、曲が終わった。雑音を雑音にするのではなく、その音の余韻を利用し、絶妙なタイミングで曲を締めくくったのだ。無駄がなく、絶妙な間を取ったパフォーマンスに、「お見事」としか言いようがなかった。忘れられない、特別な一曲になった。

 第1部を聞き終わり、自然と涙が流れてきた。ストーリーのあるミュージカル鑑賞で涙を流したことはあるものの、クラッシックコンサートで涙したのは生まれて初めて。少し恥ずかしさを覚え、涙が流れた理由を探し求めてみたい衝動に駆られた。
 3人の子を抱えながらフルタイムで仕事をしているので、家事と育児で、目が覚めている時は常にフル回転。きっと疲れていたのかもしれない。恥ずかしさを紛らわせるため、そんなことを理由にしたかった。素晴らしい演奏が疲労で枯渇していた私の心の琴線に触れたのかもしれない。感動的な演奏によって、涙とともに日頃の疲労感が消えたことは確かである。
 第2部はドボルザークの交響曲第9番「新世界より」。中学の音楽授業では一度は音楽鑑賞するメジャーな曲である。でも、全曲を生で聴くのは初めて。コバヤシの「新世界より」はとてもドラマチックだった。ドボルザークがどんな気持ちで、どんな情景を思いながら、作曲したのかは知る由もないが、ドラマ性を感じることで、この曲がさらに好きになってしまった。
 夏のキャンプでよく歌う、「遠き山に日は落ちて」。オーボエの音色に郷愁にかられ、静岡の緑の山々を思いうかべていた。普段、故郷を恋しいと思うことはめったにない私だが、今回は故郷、静岡を懐かしく思わせるものだった。音楽は、生まれ育った国、民族に関係なく、人々の心に響く、何か共通な要素を持っているものなのかもしれない。
 今回、ヴェスプリームのコンサートを企画してくださったMORITAさんが、マエストロの楽屋まで案内してくださった。2時間にも及ぶ演奏でお疲れであるにもかかわらず、マエストロ・コバヤシは、頬を紅潮させ、汗だくの顔をタオルで拭きながら楽屋から出てきてくださった。私は、今日の感動への素直な感謝の気持ちを直接伝させていただくことができた。そして握手をしていただいた。彼の手はとてもやわらかく、温かい手をしていらっしゃった。
 マエストロの奥様がおっしゃっていた、「今晩の『新世界より』は、チェコフィルに劣ることのない、今までの中でも一番の出来」と。
 音楽専門家でもない凡人の私ではあるが、音楽の素晴らしさを感性で受け止めることはできるようになったのかもしれない。それは、コンサートの度に、マエストロ・コバヤシが、私たちに、音楽の素晴らしさを教えてくださっているからである。また、機会があれば、感動を求め、是非、コンサートに足を運びたい。
 最後に、漢字の違う二人のMORITAさん、そしてマエストロ・コバヤシ、ジュール交響楽団の皆様、感動的な夕べをありがとうございました!

(くりた・じゅんこ ジャンベーク在住)