私が補習校で教鞭を執り始めたのは、今から5年前になります。初めてクラス担任を受け持った学年は、児童数が一番多かった小学2年生8名のクラスでした。8名のうち6名は二重国籍組、他2名は数年後には日本へ帰国する予定がある児童でした。
 初年度に一番苦労したことは、個々の児童の国語力や理解力に差があった為に、「単元ごとの学習基準レベルをどの位置に置くか」を見極め、そして「どの様な学習目標を立てるのが妥当か」と悩んだことです。毎週授業の指導計画を立てながら書いては消し、また書いては悩み、そして「う~ん」と考え込んでいたことも、今となればとても懐かしく思い出となっています。
 もう一つ、私が教鞭を執るにあたって初年度に苦労したことがありました。それは、児童に対してどんな些細なことに対してでも「褒める」という指導法です。これは日本人学校から研究授業の際に来校された先生からのご指摘でした。この貴重なご指摘を受けた時に、「自分が学校に通っていた時の担任の先生は、褒めていたか?」、そして「どの様な時にどの様に褒めていたか」と思い出してみることにしました。
 私自身、幼少時代、学生時代に褒められて育った記憶は全くなく、褒められたいから頑張ろう、という気持ちになったこともありませんでした。そんな私が早くも講師1年目にしてまずこの「褒める指導法」という壁にぶつかったわけです。
 「義務教育の学習内容は誰もが出来て当たり前だ」という両親の口癖に聞き慣れて麻痺してしまい、テストで100点をとっても何の幸福感を味わうことすら無く、通信簿も毎度のようにオール◎、A、5であっても両親からの反応はいつも、「学校の勉強はやらなくても授業をきちんと聞いていれば誰にでも出来るのよ」の一言で終わり。中学生になってからは、両親に対する反抗心も僅かながらに持ち始め、中学生のある日、いつも通りオール5の通信簿を家に持って帰る途中で、いつもと違った両親の反応を見てみたいという気持ちに駆られてしまい、「寄り道をせずに真っ直ぐ家に帰る」という掟をしっかりと破り、公園に寄り道をしてベンチに座って筆箱から修正ペンを取り出し、5の数字を全部2に書き換えました。そして、この通信簿に対して両親は一体どんな反応を示してくれるだろうかと、いろいろと想像しながらワクワクドキドキ感に浸りながら家に辿り着き、深呼吸をしてから母に通信簿を見せました。母の手に通信簿を渡してから母がペラッと二つ折りの通信簿を見開き状態に開いてから長い沈黙があったのは言うまでもありません。そしてその前には母の顔をじっと見つめる私。
 「ピアノのコンクールや東京のレッスンに行くために休んだからせやないな、先生、怒ってはるだけやわ・・・。模擬試験でええ成績やったさかいに気にせんときや。あんたの目標は東京の高校に合格することやし」
 思いっきり期待外れの反応が返ってきてしまったわけです。「え?何で?これで終わり?!他に何か言うことないの?」。気分的に不完全燃焼になった私の頭の中が真っ白になってしまいました。母や父からのどんな反応を見たかったのか、それは決して両親から褒めて欲しくてオール2の通信簿を捏造したわけではありませんでした。一度捏造した悪い通信簿を見せて怒られてもいい、でもその次の学期に「普通の通信簿」を見せた時には、褒めてくれるかもしれない・・・と期待していました。
 このように、幼少・学生時代にはあの手この手を使ってもなかなか褒められることに遭遇出来なかった私ですので、児童に厳しく注意をするだけではなく「褒め方」も学ばなければなりませんでした。まず、日本人学校の授業を見学させていただきました。2時間の授業時間内において、合計11回褒めるタイミングがあり、教師である先生は見逃さず、聞き逃さずにしっかりと児童に対して褒めていらっしゃいました。そのタイミングというのは、例えば「先日より早いスピードで板書をノートに書くことが出来た」、「間違えずに音読出来た」、「リレー読みの時にスラスラ読めてはいないが新出漢字を正しく読んでいた」、「面白い発見や個性的な意見」など、ここに書き出せば書ききれないほどでした。褒めるタイミングは見つけようと思えば1時間の授業内だけでもいくらでもあるものだということに気付かせて頂きました。私自分にとって「出来て当たり前」のように映ることであっても、児童と同等の能力になってみると褒めるべき良い面が沢山出てきました。
 そして大事なことは、ただ単に褒めて終わるのではなく、この先が重要なわけです。褒めることによって子供達のやる気を出させる、つまり学習意欲を引き出させること、出来たという達成感を感じさせながら、さらに頑張ろうという意欲を持ってほしいというところに繋がるわけです。
 あれから歳月が過ぎ、教鞭を執り始めて4年目の4月、それまで小学生の担任しか経験していなかった私が、初めて中学3年生の担任となりました。一緒に学習するのは小学生の児童ではなく、半分子供で半分は大人の中学生です。中学3年生にもなると、4名皆真面目な授業態度で、小学生の教室とは違い平静を保ち、授業中にいくら褒めても返ってくる反応が遠慮気味であったり、照れ隠しのような仕草であったりしました。表情や反応の示し方が小学生の様な純粋な表情ではないということは授業初日で理解して納得できました。これはこれでまた難しさもあるわけです。

 いくら真面目ではあっても、中学生にもなれば現地校等勉強も難しくなってきます。当然のことながら、補習校の授業内容も日本で使用されている教科書による授業になりますので、週に1回4時間の授業で何を習得させるべきかと篩いにかけるのも大変でした。教科書に出てくる全ての単元を習得させなければいけませんので、私も学習目標をどこに置くかを吟味する為に平日の仕事から帰宅した後も、夜中までかかって教科書や指導書を何度も読みこむ、指導案を練ることにかなりの時間を費やしました。でも、そのような時間を一度も惜しい、と思ったことはありませんでした。生徒が分からないという反応を示した時に、より詳しく説明をするには、読みこんでおくことは非常に重要なことです。他の表現や語彙を変えて説明をしてやっと理解してくれた時に、「あ~、そうかぁ!分かった~!」と閃いてくれる生徒達の反応に、私も嬉しい気持ちになるからです。
 講師として教壇に立ち教鞭を執るということは、単に自分の知識だけで児童生徒に対して教えることだけではなく、週に1回4時間の授業を通じて生徒との信頼関係を深めながら、意思疎通を通して成り立つものということを学ぶことが出来ました。そして、5年前は褒め方すら知る余地もなかった私が、今ではタイミングを見計らなくても、自然に褒めて生徒達の学習意欲を引き出すことが出来るようになりました。
 組織という中で仕事をするにあたり、最低限のマニュアルは必要不可欠だと思います。10年以上も前に、教職免許を取得する為に東京で教育実習をしました。いくら免許があるとはいえ、車の免許とは違います。この補習校においては様々な環境の中で育っている子供達、同学年の子供達であっても国語力に誤差が生じているクラスもあり、子供達個々の性格も多種多様ですので必ずしも全ての状況下において一冊のマニュアルに沿った指導はできません。
 補習校において指導能力があるベテラン講師となるには、まず小・中学生の全学年の講師として教壇に立ち、多種多様な児童生徒と一緒に学習をしながら試行錯誤を繰り返し、時には壁にぶつかりながらも学習目標に向かって毎週積み重ねること。そして何よりも「なるべく多くの引き出しをつくる」ことによって、経験豊富なベテラン講師への道に一歩ずつ進めるものだと思います。
 私は5年半指導をして参りました。校内の講師陣の中では一番長い勤務年数になります。でも、残念ながらまだまだベテラン講師とは言い難く、不足な点も見え隠れしている自分を授業後に振り返りながら、精進してきました。
 完成品というものが存在しない講師というひとつの仕事。6月も中旬が過ぎてしまい、残された2日間の授業日を惜しむかのように指折りで数えながら過ごしています。まるで、私の卒業式が6月28日にあるかのように・・・・・。
 また教鞭を執らせて頂く機会があれば、ぜひ再出発させて頂きたいと思います。そして自分自身の指導力を再度振り返りながら、更に磨きをかけることが出来れば思っています。
 5年半、教務として色々と指導面でご指導をして下さった坂井先生、そして保護者の運営委員の皆様、講師の皆様、代講を引き受けて下さった先生、5年半の間大変お世話になりました。この場をおかり致しまして、御礼申し上げます。
 そして、私が受け持った学年の児童生徒達をはじめ、補習校に通う子供達全員の今後の成長を見守りながら引き続き応援させて頂きたいと思います。

(はった・あきよ 補習校教員)