2012年の4月。私たち一家3人は、主人の仕事の都合で来洪しました。当時、娘は3歳。日本なら幼稚園入園の時期です。それまで仲良く遊んでいた同じ年のお友達は皆日本で幼稚園に通い始めたのに、自分だけが通えないことにブーブー不満を言いながら、ハンガリーの新学期の9月までの間を家で過ごしました。そして9月、娘をハンガリーの幼稚園(オヴォダ)に入園させていただきました。「幼稚園に行かせてよ!」と、寝言で言うほど行きたがっていた待望の幼稚園です。ご尽力くださった皆さま、ありがとうございました。 娘が通うオヴォダには、日本語を話せる先生がおらず、ほとんどのお友達がハンガリー人で、ハンガリー語しか通じないよということを説明しました。しかし幼い娘はとにかくオヴォダに通うことが待ち遠しかったようで、不安な様子もなく、オヴォダライフを楽しみにしていました。 待ちに待った新学期のスタート。日本人のお友達がいるクラスに入れていただけたので、主人も私も少し安心しました。娘は毎日楽しそうに通っていましたが、言葉が通じないことが、本人も気づかないうちにかなりの精神的ストレスになっていたようです。ひどいどもりが始まりました。見ているこちらも辛くなるほどで、普通の日本語の会話ができないのです。顔を真っ赤にしてお辞儀をするように体を曲げて一生懸命言葉を絞りだそうとしていました。現在はもうよくなりましたが、当時、娘は「どうして話せなくなっちゃったんだろう?」と困っていました。 オヴォダでは、日本の幼稚園に比べ、親が子どもの園内での様子を見る機会が少なく、先生からの学級通信のようなものもありません。「今日は何も問題はありませんでしたか?」、「皆と仲良く遊べていますか?」と、こちらから尋ねました。先生は「日本人だけで遊んでいます」とおっしゃいました。仕方がないとは思いながらも、せっかくなのでハンガリーの子どもとも一緒に仲良く遊んでほしいと思い、「言葉が通じなくても楽しく遊べるのだから頑張って!」と応援する毎日でした。 言葉が通じなくて苦労しているのは私も同じでした。毎日が緊張と失敗の連続で、聞きたいこともうまく聞けず、何かを説明されてもほとんど理解できませんでした。園の行事や連絡などは教室に張り出されるのですが、ほとんどが手書きのハンガリー語のため、単語も読み取れず、現地在住の日本人の方や、日本語を話せる現地の方に翻訳をお願いしなければ何もできない状態です。皆さん、お忙しい中、快く引き受けてくださるので、私たち家族はとても恵まれた環境にあると感謝しています。皆さんに助けていただいているからこそ、何とかオヴォダに通わせることができています。 入園当初は、園の保護者の方々から声をかけられることはほとんどなく、あまり挨拶もしてもらえない状態でした。どう動いたらよいのか、何を求められているのか常に私にはわからない状態でしたが、一通り、園の行事やお手伝いに参加し続けて数ヵ月後、娘がクラスの一員として認めてもらえたかなと思える日がきました。 それは、入園して半年後、日本人のクラスメイトが帰国し、娘が幼稚園でたった一人の日本人になったときのことです。主人も私もどうなることかと心配しましたが、嫌がる様子もなく頑張ってくれました(親ばかと思われるかもしれませんが、今でも本当によく頑張ったと思います)。保護者が大勢集まるクラス行事の際、私は一人のお母さんに話しかけられました。「あなたの娘さんは、うちの娘の親友なの」と。まさかそれほど仲良しのお友達がいるとは思っていなかった私は驚きました。二人が楽しそうに遊んでいる姿を見ると、涙が出そうでした。大げさではありますが、それまでの我慢も苦労も忘れそうなくらいです。娘は私たちには見えないところできっとたくさん努力したのだろうと思いました。 それからは行事で集まるたびに、クラスの保護者の方々に、「頑張っているね」、「ハンガリー語も理解できているね。すばらしいよ」と娘の頑張りを認めてもらえるようになりました。周囲からの優しい目はうれしい限りです。 よく娘から、自分が言いたくても言えなかったハンガリー語のフレーズやわからない言葉を質問されます。私には答えられないことも多いため、言葉のわかる方に教えていただかなければなりません。感心する一方、自分の勉強不足を反省する機会でもあります。今では娘から単語を教わることもたくさんあります。担任の先生方は全く言葉のわからない娘(保護者)を相手にご苦労されていることと思います。優しく、時には厳しく他の子どもたちと同様に接していただいています。娘は先生方が大好きだそうです。 海外の幼稚園で、海外の子どもたちと一緒に生活するという経験は大変貴重なものだと思います。そうそうできることではありません。ただ、わが子にこの貴重な経験をさせる上で、心がけていることがあります。それは、先生方や他のお子さんに迷惑をかけないこと。また、言葉が通じないことを言い訳にせず、他の保護者の方々とできるだけ同じことをするということです。可能であればそれ以上のことをしようと思っています。(なかなか難しいですが)。多くの方々の支えに感謝しながら、これからも娘のオヴォダライフを見守っていきます。
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