1993年にハンガリーに留学してから何度となくハンガリー人から出身を聞かれたが、何回かに一度は「日本人か!じゃあコバヤシ・ケンイチロウを知ってるか」と言われる。とくに年配のハンガリー人に多い。もちろん現在の若い世代も(少なくとも20代くらいまでは)、小林研一郎の名を聞けば、普段の聴いている音楽がクラシックでなくとも、「ああ、あの有名な日本人指揮者の!」と言うだろう。
 留学生時代は演奏会の後に楽屋まで挨拶に訪れて、お近づきになり、当時のハンガリー国立交響楽団(当時の略称「ÁHZ」)の練習場へも出入りして、小林先生のリハーサル風景を打楽器パートの勉強も兼ねて、見学に行ったものだ。
 リハーサルで音楽が仕上がっていくを見て、本番の演奏を聴くというのは、とても面白い、単なる聴衆としての立場ならあり得ないほど贅沢な事だ。国立響のリハーサルへは、小林先生だけではなく、他の著名な指揮者や、協奏曲のソリスト目当てで行くこともあった(他にも師匠ラーツ・ゾルターンがブダペスト祝祭管弦楽団メンバーだったころはそちらのリハーサルも見学に行ったものだ)。
 小林先生の指揮する姿には、足元から指揮棒の先端まで気合いが入って、かつ柔軟なバネの様な動きがあり、オーケストラのメンバー各人も集中力がいつもより2倍、3倍増したかの様に反応する。さらに小林先生には豊かに響いて遠くまで届く、オペラ歌手並みの声という武器もある。その声で、音楽の進行に従って次々とオーケストラへの指示が届く。いちいち演奏を止めていう必要がない。その指示は指揮の予動(次の動きを「あらかじめ」見せる動作)の如く良いタイミングで入り、オーケストラのメンバーもその指示に「乗って」演奏に集中することが出来る様に見える。それでもやはり、こだわりのある部分では演奏を止めて、しっかりと、妥協することなく、自身の表現を伝えて、その音、演奏が得られるまで諦めない。
 今でも情景が浮かぶ思い出がある。それはリムスキー・コルサコフの名曲「シェヘラザード」を国立響で演奏したときだ。リハーサルは第二楽章に入り、有名な主題をファゴットやコーラングレ(イングリッシュ・ホルン)が奏でる。メンバーがしっかりと演奏しているこの旋律の表現に、納得のいかないマエストロ。指揮棒どころか頭、上体、腰などの全身の動きを駆使して伝え、歌い伝えして、ようやくファゴットにOKがでた。しかしコーラングレに手間取り、時間に限りがあるため全体のリハーサルに戻ったが、休憩時間を返上してコーラングレ奏者とマンツーマンでリハーサルを継続した。
 オーケストラのいつもの演奏、ルーチンワークの演奏を決して許さずに小林節を求めるが、それはオーケストラの集中力、やる気を引き出すもので、オーケストラのメンバーには嫌な顔などなく、むしろ嬉しそうである。小林先生以外にももちろん著名な指揮者がハンガリーのオーケストラで指揮をとり、オーケストラも良い仕事をするのであるが、小林研一郎が指揮台に立ったときの雰囲気は何か一味違っている。ハンガリー音楽家にとって特別な、崇拝すべき存在のサー・ショルティやヴィーグ・シャーンドルが指揮をしたときのオーケストラ団員各人の雰囲気と演奏はもちろんスペシャルだったけれど、コバヤシ・ケンイチロウと対するときは、また異なるスペシャルな空間がそこにあるのだ。
 曲目がなかなか思い出せなかったが、曲の冒頭、ファゴット・ソロで始まるという記憶を辿ってみると、ストラヴィンスキー「春の祭典」だったと思う。リハーサルで、コバヤシの解釈として、こう演奏して欲しいと注文をつけ、小林先生が納得いってやっとその先に進むことが出来たという事があった。そのコンサート本番のリスト音楽院大ホール。そのリハーサルに居合わせた私もすぐに「あ!」っと気付いたが、手直しされる前の、その奏者にとっての「いつもの」演奏になっていた。
 そんな場面には生まれて初めて遭遇したが、小林先生は演奏を止めた。そしてほんの数秒か10秒ほどだったかの沈黙のあと、まず観客に演奏を止めた謝罪をし、決して奏者を責めたりはしなかったが「コバヤシの音楽ではなかった」とストレートに理由を説明した。そして演奏は再開されたが、その時はリハーサルでマエストロが要求した音楽になっていた。
 そしてこの「春の祭典」は、指揮者・オーケストラ・聴衆が一体となった、奇跡の演奏となり、終了した瞬間からの観客の熱狂的な拍手喝采はホールを揺るがすほどであった。歴史あるリスト音楽院大ホールでは、数多くの伝説的な演奏会があるが、マエストロ・ケンイチロウ・コバヤシの演奏会もそんなレジェンドに数えられるだろう。
 小林研一郎40周年の演奏会シリーズは、大改装工事を一応終えて再開した音楽院大ホールをはじめとして、ハンガリー各地で開催された。ハンガリーの第一回国際指揮者コンクールで優勝した年を、真の指揮者活動歴元年とするマエストロは、それを自著にも書いているし、式典の挨拶でも述べているが、「風はハンガリーから来た」と表現している。
 そんな小林先生の40周年記念演奏会シリーズ最終回の2014年4月3日、MÁV交響楽団との演奏会のアンコールは、小林研一郎作曲「パッサカリア」から、「夏祭り」であった。そしてその客演として、演奏会シリーズを企画した盛田氏からの依頼で清帰途太鼓として演奏する機会に恵まれた。
 リハーサルでは小林先生の考え、こう演奏して欲しいという言葉を頂けたので、曲と合わせての具体的なイメージがようやく出来上がった。曲中の短い時間なので、ダーヴィッドと私のパートが同じリズムならない様に、そして次々とリズムを変化させていく様にというのがリハーサルでのマエストロの指示であり、当日のゲネプロ(メイン・リハーサル)ではさらに、静かに始めて徐々に盛り上げていく様にと指示を受けた。
 本番では演目のメインであるベルリオーズ「幻想交響曲」の熱演の後、オーケストラからの祝辞とプレゼントがあり、小林先生からの返礼スピーチがあり、その後にアンコールの演奏となった。現在正規メンバー8名、研修生2名の中からリーダーのダーヴィッドと私だけの参加であったが、結成14年となる清帰途太鼓にとって、マエストロ小林研一郎40周年コンサートという記念すべきイベントに参加出来た事は、団の結成以来の、格別なる特筆すべき事であった。
 アンコールだけの参加故、MÁV交響楽団のコンサートプログラムなどの公式記録には載っていないので、本稿にて記録したいと思う。私個人的には、山本大使主催レセプションにお招き頂いてマエストロと記念撮影が出来たので、それをお宝画像としてとっておこう。

(たかく・けいじろう 清帰途太鼓音楽監督)

和太鼓グループ「清帰途太鼓」その名の由来と活動

 帰途太鼓は、ハンガリー人の詩人で作家のパウリニ・タマーシュにより2000年3月20日に、ハンガリーおよび中欧で最初に結成された和太鼓グループです。
 清帰途太鼓のチーム名は、パウリニ・タマーシュがハンガリー語と日本語両方で意味のある言葉になる様に付けられました。元は厳格な教育、自己鍛錬などを意味するハンガリー語の「kiokító」(キオキートー)であり、結成当時メンバーであった日本語学科学生により「清らかな音への回帰」として、「清帰途」の漢字があてられました。
 年に1、2回の定期コンサートを本拠地ブダペストで開催するかたわら、ハンガリー各地のイベントに招聘されて演奏しています。また企業のパーティー、式典などにも音楽事務所、イベント企画会社を通じて頻繁に出演、これまでに日系企業ではマジャール・スズキ、サンヨー、ソニー、デンソー、ブリヂストン、タカタなど、韓国企業ではサムソン電子やヒュンダイ自動車販売店などのイベントに出演してきました。
 2005年8月には日本EU市民交流年で来洪した「ヒダじんぼ」のミレナーリシュ公演に国際交流基金の依頼でゲスト出演をし、2007年8月20日の建国記念日ではハンガリー政府主催の「音楽船」に乗船演奏しました。さらに2009年の日本ハンガリー交流年では「ブダペストの春」にてターリア劇場とヴルシュマルティ広場特設舞台に出演し、9月5日に民族学博物館にて開催された「日本文化の日」ではメインイベントとして清帰途太鼓コンサートが開催されました。
 ハンガリー日本友好協会、ハンガリー盆栽協会、ハンガリー剣道連盟と恒常的な協力関係にあり、ハンガリーにおける日本文化の紹介に一役買っています。
 また在ハンガリー日本大使館からの依頼でたびたび日本文化紹介イベントに出演、また在クロアチア日本大使館を通じて4度のザグレブ出張公演、在スロヴァキア日本大使館の依頼で1度、ブラチスラヴァの日本文化の日に出演しました。
 ハンガリーの著名なピアニスト、カーラーシ・シルヴィア、ハヴァシ・バラージュとは密接な協力関係にあり、これまでに彼らのリスト音楽院大ホール、国立バルトーク・コンサートホール、アリーナでの演奏会に定期的に出演しています。そしてハヴァシ・バラージュの企画では、ブカレスト演奏旅行にも2回参加しています。

清帰途太鼓の主な演目:金山陣太鼓、龍舞、祭り、天馬、végpillanat( 最期の瞬間)、練習、三宅、屋台囃子(清帰途バージョン)、えんやーとっとー、szív tánca(心の踊り)、4分の7拍子、Tavaszi szél、Köszön(t 祝福)、関ヶ原、組曲「StimmTt」、組曲「月読太鼓」、龍神太鼓

連絡先: kiyokito@taiko.hu; laardavid@taiko.hu; laardavidd@gmail.com( ハンガリー語)
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