私が初めてハンガリーに来たのは、今から38年も前。ケチケメートにあるコダーイ音楽教育研究所で勉強するためで、その4年後に帰国して名古屋で音楽教育に携わりながら、ハンガリーの先生方を日本に招いて各地で講習会を企画してきました。 10年前に夫の故郷ケチケメートに引っ越してから、今度は日本の方たちにハンガリーへ来ていただき、本場のオペラやコンサートを事前に講義を受けてから鑑賞するという研修を、コダーイ音楽教育研究所時代の恩師ヘルボイ・イルディコ先生と共に企画しています。 今回は、修復されたリスト音楽院でのコンサートをぜひ味わってもらいたいと思い、コンサートを探しましたが、研修生の滞在期間中に大ホールで催されるコンサートは小林研一郎指揮MÁVオーケストラのみ。日本から来る方にわざわざ日本人指揮者のコンサートはどうかと躊躇しましたが、以前、リスト音楽院で聴いたコバケンによるチャイコフスキーの交響曲の巧みな曲作りが今も私の耳に残っており、音響がすばらしい大ホールで日本の方にコバケンを再認識してもらうのも悪くはないかと考えました。
ところが、さてチケットを買おうとしましたら、完売。「ハンガリー特有のコネに頼るしかないか」と、イルディコ先生や研修講師の1人テース・ガビさんにいろいろあたってもらいましたが、駄目でした。「ドナウの四季」で関連記事を読んだことを思い出し、面識もないのに盛田さんに突然メールいたしました。「チケットは完売だが、ゲネプロのチケットは都合できる」ということ。研修参加者はみな音楽関係なので、その幸運を喜び合いました。 コンサートの2日前にコダーイ「ガランタ舞曲」を、前日にベルリオーズ「幻想交響曲」を、イルディコ先生からソルフェージュも含んだ講義を受けました。全員、曲をしっかり把握して、当日、興味津々で大ホールへ。イルディコ先生がおっしゃっていたとおり、大曲であるベルリオーズ「幻想交響曲」から始まりました。 これまで、コチシュら何人かの指揮者のゲネプロを聴いたことがありますが、だいたいざっと流すだけで、途中で止めて直すことは多くありませんでした。ところがコバケンは違いました。作品に対する確固とした主張があり、途中何度も直しが入りました。そしてその要求を、ハンガリー語の単語と彼の気迫で通じさせていました。 往時の大指揮者フェレンチク・ヤーノシュはオーケストラに君臨し、厳しい人だったと聞いたことがあります。私が初めてハンガリーに住んでいた頃、やわらかい態度で接し団員を尊重するコバケンの姿勢が団員に好かれ、音楽関係ではない人たちも含めて、ハンガリー中がファンになってしまっているのを目の当たりにしました。現代ハンガリーを代表する音楽家でピアニストのコチシュ・ゾルターン(国立フィル音楽監督)は、類まれなすばらしい音楽性を持っているのですが、その暴君ぶりは有名で、リハーサル中、音を間違えた団員を罵倒し団員を対等な人間として扱わないという不評をしばしば耳にします。 それに比してコバケンは、要求を出す時は“Bocsánatすみませんが”と付け加え、うまく応えた時には “Köszönömありがとう”と感謝し、見学をしている私たちでさえも気持が和らぎました。その向かい合う姿勢に団員が魅力を感じ、心が寄り添うことでさらによい音楽が創造できていく、そういう場に居られたことを私たちは幸せに感じました。 「幻想交響曲」では、オーボエがステージ上と会場の外で応答するよう指示されています。前日の講義で、「会場の扉を開け、扉の外で吹くことが多い」とイルディコ先生は説明され、「小林氏がどのようにされるか興味があります」と楽しみにしていました。コバケンは「そこじゃなくって、あちらに」と、2階席に向かって話しかけています。オーボエを2階席に配置したのです。ステージからのどかなオーボエに、2階席のオーボエの音が応える時、天から音が降ってくるような立体的な響きになりました。また、管が3本で演奏される部分では、3本がそろって音を出さなかったので何度かやりなおしを要求し、さらに「3本がピッタリそろうともっと大きい響きが生まれて聴衆がびっくりする。その効果を狙って」と、なぜそのような要求をしたかも説明。途端にすばらしい音響が響き、ベルリオーズの意図が再現されました。 感心したのはコダーイ「ガランタ舞曲」の最終和音への要求。最後の和音はふつう少し音を柔らかくして終わらせます。でもコバケンはフォルテで終わることを強調し、「弾きはじめを溜めておいて、最後に向かって音を出していく」と弦楽器に対し具体的に指示し、効果的な終わり方に持って行きました。一緒に聴いていたハンガリーの先生方も「なるほど」と、さかんにうなずかれていました。
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