ヘレンドと聞けば、大半は、世界的に有名なヘレンド陶磁器を連想するだろう。でも、我家では、ハイキングかハンティング。ヘレンド社がこの地を選んだ理由が、窯に必要な薪の量と質だっただけあって、ヘレンド村の奥には豊かな森が広がっている。ヴェスプレームからヘレンド村までは、車で約10分。村を抜けると、すぐに美しいバコニ森の山道に入る。バコニは、ピクニック気分でいつでも気が向いた時に訪れられる森。急斜面、断崖絶壁もあるものの、日本の山歩きのような重装備は不要。 我家の普段のヘレンドコースは、野道の脇にあるベリーを頬張り、イバラやイラグサに気をつけながらのハイキング。ゆるやかな丘を越え、ブナの林に入り、鳥や虫を見ながら森林浴。主人は、こどもたちに、「森は自然の教会、静かに歩くこと」と教えているから、鹿や猪、キツネや野ウサギと遭遇することも少なくない。冬、集団で移動する鹿は大迫力だし、春、ウリ坊たちがお母さんイノシシの後をついていく姿は可愛らしい。秋の鹿の繁殖期の唸り声も神秘的。双眼鏡は必需品だが、きのこ狩り、山菜の季節はカゴを、雪の季節はソリを持参する。主人は、銃を片手にでかけることもある。これが、ヘレンド特別コースのハンティング。ヘレンドは、主人の所属するハンティング協会の狩猟領域でもあるから。 狩猟は、昔は、貴族・王族の特権階級や富裕層にしか許されない行為だったが、今は、一般市民にも門戸が開かれている。ただ、協会に入会するには、一応の審査・試験がある。入会希望者にも、かなりの覚悟が必要。ちょっとした趣味にしては高額だし、多くのボランティア活動が課され、まさに金と暇の両方を必要とされるから。狩猟学という学問があり、森林・林業技術者とも区別された個別な専門家も存在するが、免許は一般試験で取得できる。 しかし、古代から営まれていた狩猟は、現代社会では突然に特別行為となってしまい、これに対する意見は、神聖/残虐の両極端に分かれる。前者は、自然に親しみ、敬い、森林や野生動物についての深い知識を持っている人が感じ、後者は、動物愛護家、標的を撃つ行為を楽しむ人や密猟者と接触のあった人、もしくは、狩猟について無知な人が、なんとなく持つ感情だと思う。 狩猟自体は、狼などの肉食獣がいなくなった今、森の均衡をとる為に必要な業務で、森林や農作物被害防止にも猟師たちが働く。だから、ハンティング協会の仕事は、野生動物を管理・保護し、森林や農作物を野生動物から守ること。毎年、野生動物個体数調査が行われ、各領域の撃つ頭数が国で決定される。この頭数は、協会にとって、撃つ義務であると同時に、協会を維持する為の撃てる権利でもある。撃って頭数抑制する一方、水飲み場を作ったり、冬の間、餌や塩を与えたり、病気が蔓延した場合の対策も考えなければならない。森林や農作物に損害が生じた場合は、ハンティング協会が賠償することになるので、被害を最低限に抑える為、やれ柵だ、やれ見張り台だ、と日曜大工仕事がざらにあり、実りのシーズンは、作物を交代で見張る仕事もある。 さて、この様に膨大な義務と責任が課せられているハンティング協会だが、どのように運営されているのだろうか。帳簿の支出項目は、狩猟権利賃貸料、冷凍コンテナ・管理人費、見張り台、電流柵等の維持費、冬の餌代、そして、野生動物の起した被害の損害賠償金。しかし、この莫大な費用は、会費、野生肉、ハンティングガイドの収入のみで賄われている。毎年全国平均15%以上の赤字経営だそうだ。 それでも、狩猟システムは維持されている。ヨーロッパでは、ハンティングが、ひとつの文化として存在しているからだろう。狩猟本来の目的は薄れ、自然と親しむ方法、自らの知識や判断力を試す、または、猟友や猟犬、馬との連携を楽しむスポーツのような行為として行われている。中でも、ハンガリー・オーストリア・ドイツの中央ヨーロッパでは、トロフィーの文化が大きな部分を占める。この地域は、東側の大きくて長い角の鹿と西側の小さいが枝分かれの多い鹿が交わる場所で、ポイントの高いトロフィーが集まっている。 戦利品としての鹿の角は、重さ、大きさ、長さ、太さ、両角の幅、色、枝数によって評価されポイントが付けられる。獲得したトロフィーには、全てに通し番号とポイントが記され、一定のトロフィー費用も支払わなければならない。これは、角自体の価格ではなく、撃った行為に対して支払われるもので、最高水準のものを仕留めてしまった時は、国宝となり、私物化できないこともある。料金は車一台分に相当することもあるので(撃つ寸前には、必ず専門ガイドに撃っていいかどうかの判断を得るのだが)、トロフィーの金額も確認することをオススメする。
この品質管理のシステムはおもしろくて、集団で試みるブリーダーのような仕組みになっている。シーズン規制は、トロフィー基準も配慮し組まれている。猟師たちは、規定頭数内で、「不良品」を撃ち、いい角になる子孫を残すようにしなければならない。この判断には熟練を要す。角は毎年生え変わるごとに、前に突き出て、重心は根本に下がっていくので、頭を垂れる姿勢や角の枝分かれの位置などが判断材料だそうだ。 特異な価値観はさておき、狩の方法は、おおまかに分けて四種類。1.見張り台で待つ、2.追いたて役と仕留め役を決めての猟、3. 馬車・馬ゾリの狩り、そして主人の一番好きな4.音や風向きに気をつけ、一人で静かに森を歩いて動物を探す方法。確かに、忍び足が上手い。
冬によく行われる、多人数で四方から取り囲んで獲物を追いつめる巻狩りなどでは、特有なセレモニーも存在する。鹿、猪、きじ、うさぎ、どんな狩りでも大抵同じで、明け方、始まる合図にホルンが吹かれ、あいさつ、説明がされる。もちろん狩り前日にも会合は開かれ、まるで軍事計画のような配置図、各自の射程距離・方角の範囲地図が渡されている。これらの手順は全て法律で決まっていて、事故が起きた場合は、この辺の条項も調査される。 夕方の終了パーティーでは、広場に、決まったポーズで獲物が並べられ、四つ角には焚き火。獲物たちは、最後の食事という意味で、緑の枝が口にくわえさせられ、もみの木の枝で額縁されている。片側に狩人(ゲスト)、反対側にガイド猟師が並び、ホルンの演奏で式が始まり、帽子を取り敬礼する。 帽子には、血液のついた葉枝やキジの尾羽が飾られていることもある。葉枝は、ゲストが鹿を仕留めた際、ガイドにより枝先に獲物の血液がつけられ、それを帽子に差して祝われた印。初めて猟師の仕事を果たした(獲物を仕留めた)狩人が、獲物の上に伏せ、初心忘るべからず、と木枝でお尻を叩かれるパフォーマンスもあるが、ひとつひとつが長い歴史の中で出来上がった儀式で、自然への敬意が払われている。 一方、日常の作法はごくシンプルで、銃を準備し、狩日誌に、名前と時間、(協会領域内の)これから狩に行く区域を記入し、森へ入る。仕留めたら、内臓だけはその場でさばき、頭と足と一緒に森へ返し、獲物に通し番号のタグを付け、冷凍コンテナへ運ぶ。持ち帰りたい場合も同じで、一度冷凍コンテナで計量、登録し、肉を購入してから自家用冷凍庫へ入れることができる。 主人は、日本でも猟を経験したことがあって、日本らしい仲間を味わうことができたいい思い出、と言っている。そして、もし、ここで経験したい方がいらっしゃれば、いつでもお待ちしています、とのことです。
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