近年、ますます政治家の存在が疎ましい。ロシアも中国も権力者は王のように、永遠の絶対権力を維持したいらしい。北朝鮮を含め、アジアの後進国は21世紀になっても、封建君主制の政治風土から抜け出ることができない。
 アジアの後進国に限らず、選挙で選ばれているとはいえ、議席の三分の二を占めるようになると、独裁的な色彩が強まり、永続的な権力維持への誘惑が強くなる。これが政治の魔力である。しかし、すべての権力は腐敗する。国家権力を握る者は、国家資産や国家財政へのインサイダーとして、必ず公的資産や公金へ手を出す。自らが手を出さずとも、側近や家族、身近な友人たちが権力に群がり、富を分け合う仕組みが出来上がる。とくに、子供抱える権力者は、資産を子供に分ける様々な工夫をする。
 カーダールが質素な生活を送った一因には、子供がおらず、子供のために蓄財に励む必要がなかったことがある。メルケル首相の人気が高いのも、こういう世俗的な利害に関心がない、つまり「私心がない」からである。しかし、ほとんどの権力者は「私心の塊」である。オルバン首相は5人の子供抱える。自分名義の資産はわずかだが、夫人や子供たちの資産は年々膨張している。一介のガス修理工に過ぎなかったオルバン首相出身地の町長、メサローシュ・リューリンツは、オルバン首相の盟友として各種の公的事業や補助金を受けたおかげで、短期間(数年)のうちに日本円にして、数百億円規模の資産を蓄えたことで知られている。権力は錬金機構でもあるわけだ。
 
 現代の政治家は当座の問題に没頭するだけで、将来社会の課題に立ち向かうことがない。選挙で勝つことが宿命づけられているから、どうしても国民の人気を得るようなスローガンや政敵排除に陥りがちである。きわめて短期的な視野で動いている。次の世代に何を残すのかという将来社会の建設に、ほとんど関心がない。しかし、政治の仕事の少なくとも半分は、将来社会の準備であるべきではないのか。
 世界を見渡しても、人として信頼できる政治家などどこにもいない。後進国家にはマフィアの領袖が大統領や国家のトップに座っている。政敵や自分が気に入らない人物を平気で暗殺し、公開処刑している。プーチンしかり、トランプしかり。習近平や金正恩。わが安倍晋三にしても、どうしてこの程度の人物が一国を率いる政治家なのか理解不能だ。人間的に屑と言われても仕方のないような人物がどうして国民の命運を背負う地位に就けるのか。そういう人物に社会の未来を託す人間社会は、いったい何時になったら賢くなるのだろうか。つくづく社会は不条理だと思う。
 もっとも、知性があって、人間的な温かみがあり、社会の未来を見据えることができる人は政治家なんぞにはならない。逆に、粗野で知性に欠け、歴史に学ぶことなく、物事を深く考えることもなく、ただただ単純なスローガンを掲げ、権力欲のある人物が国を支配するのが現代政治だ。そういう人物が政治を担う人間社会そのものが、はなはだ未熟だということだろう。

 4月8日はハンガリーの総選挙である。国営テレビは連日、政権政党の政策を宣伝し、野党を批判する番組を放映している。FIDESZ政権になってから、メディアの政権政党色が強くなった。今権力に就いている政党も、将来には野党になることもあるのだから、公平性に気を配るべきだと思うが、いったん権力に就くと、あらゆる物を自分の意のままにしたいらしい。明らかに、旧体制の共産党独裁の政治慣習がFIDESZに受け継がれている。社会もまた、常に英雄を待望している。オルバン首相をあたかもカーダールであるかのように親しむ高齢者が、とくに地方に多い。もっとも、都市の住民はかなりの程度白けているが。
 FIDESZは難民支援にお金をだし、難民・移民の無条件受入れを提唱しているソロスへの批判一辺倒である。「ソロスがEUの難民政策を支配している」、「ソロスに国の運命を決める権利はない」、「野党はソロスからお金をもらって、国境フェンスの解体を目論んでいる」、「EUやソロスがハンガリーの未来を決めるのではない。FIDESZはハンガリー・ファーストだ」とう具合に、反ソロスをほとんど唯一のスローガンに掲げている。ハンガリーの将来を決めるもっと重要な解題が山積しているはずなのに。
 第一次FIDESZ内閣の外務大臣を務めたヤセンスキーなどは、このFIDESZのキャンペーンにたいし、「余りに国民を見下ししている」と嫌悪感を露わにしている。ソロスがどのような見解をもっていようとも、またそれなりの影響力があるにしても、外国籍の一介の民間人をハンガリー国家の政敵に祭り上げるのは常軌を逸している。そうやってソロスを国民の敵にする方が、世界を良く知らない国民から支持が得られると考えているのだろう。典型的なポピュリスト政策である。
 さらに、年金生活者には一律12,000Ftの買い物クーポンを配った。先週、我が家に政府から届いた手紙には、一般家庭にはガス料金の特別支援として、それぞれのガス料金口座に12,000Ftをクレジットすると書いてある。お金を配って国民の支持を得ようとするのも、政治の常套手段である。それほど財政にゆとりがあるのなら、27%の付加価値税を下げてもらいたいものだ。こういう具合に国家財政を動かせるから、いろいろなルートを通して、公金を私財に転換する仕組みが機能している。

 これにたいして、野党はどうか。1年ほど前までは、社会党は権力奪取の暁には国境フェンスを解体すると主張していたが、選挙が近づくにつれその主張を変えた。今では、「国民が安全を感じている限り、国境フェンスは解体しない」と主張している。もともと、社会党などはEU左派の主張に影響されて、国境フェンス解体と難民・移民の受入れを主張していた。しかし、西欧でも無制限の難民・移民受入れに拒否反応が増しており、政策変更を余儀なくされている。当然のことである。無制限の難民・移民の受入れなど、社会的に機能するはずがない。そういう非現実的な政策を掲げている限り、左派に勝ち目はない。

 不思議なことに、政権政党にしても野党にしても、はたまたEU内の議論にしても、難民と移民を区別することなく一緒くたに扱っている。これが問題の所在を不明瞭にしている。なぜなら、不法入国者の半分以上は、難民ではなく、移民目当てだと見られるからだ。そもそも、居住目的国を指定する「難民」は「難民」ではなく、「移民」に該当する。
 「難民」は無条件で国際的に庇護されるべき存在であるのにたいし、「移民」は当該国の主権の範囲内で処理すべき存在である。もっとも、実際問題として、「難民」なのか、「移民」なのかの区別が難しいことが、問題を複雑にしている。身分を証明するものを所持していないから認定が難しい。しかも、ヨーロッパでは「難民キャンプ」に「難民」を収用するのは人権侵害という考えがあり、「難民」であれ「移民」であれ、自由に国内移動が可能になっている。ここにも社会不安を引き起こす原因がある。
 すべての国境侵入者を「難民」として扱うのは無理がある。「難民」認定ができるまで、一定の箇所に留め置き、身分が証明されるまでキャンプからの自由移動は制限されるべきだろう。認定問題の以前に、不法な入国者数を制限・阻止しないと、国家機能がパンクしてしまう。だから、国境フェンス解体はきわめて無責任な政治的言明なのだ。
 また、「難民」として認定された場合、一定の条件を付け、祖国が平和国家になった場合には祖国に戻ることが基本にならなければならない。もし当該国に定住したいという場合には、「移民」の手続きを行い、各国の移民認定条件に従わなければならない。
 このように、「難民」認定の厳格化と、「難民」と「移民」の明確な区別にもとづいて議論しなければ、生産的な議論が成り立たない。EUの主流になっている「無制限受入れ、強制割当」の議論も、「難民」の強制割当に反対する国の議論も、こういう議論の整理を行うことなく、「強制割当反対」という感情論と、「受入れ拒否はEU補助金の削減対象」という脅しの対立に終始している。きわめて非生産的な対立である。

 さて、日本の安倍政治だが、安倍支持派には森友学園問題はたいした問題ではないという人が多い。実際、金額的にはたいした額ではない。しかし、問題の本質は金額の多寡ではない。
 復古的な歴史認識の再興を待ち望んでいた極右の人々が、安倍首相誕生によって鼓舞され、跋扈しだしたことが一連の問題を惹き起こしているのだ。森友学園問題の本質は、幼稚園児に教育勅語を復唱させる戦前教育の復活を、極右の政治家や右派知識人が褒め称え、学校建設を官邸と官僚が支援したことだ。
 問題が公になると、関係していた知識人は手のひらを返すように、学園の教育に口をつぐみ、報酬までもらって講演したことを隠している。何とも潔くないことだ。安倍首相が直接に森友学園の割引払下げを指示したとは思わないが、官邸秘書官が財務省幹部に指示したことは確実である。さもなければ、官僚トップが文書改ざんを指示することなどあり得ない。そういう仕組みの正当性が問われているのだ。
 森友学園事件とは異なるが、同じくアベノヨイショが権力にすり寄った、金額的に大きな公金横領事件がある。
 アベノヨイショ本で首相と懇意となった山口敬之が、強姦告発で窮地に陥った。官邸にアドヴァイスを求めたのだろう。官邸秘書官から紹介されたのが、警察庁から出向している内閣情報官の北村滋だ。山口が切羽詰まり、慌てて、北村情報官へのメイルアドレスを間違え、週刊新潮編集部に送ったことから、その関係が暴露された。成田空港での山口逮捕見送りを決めた中村格刑事部長へ指示を下したのは、官邸秘書官から相談を受けた内閣情報室だろう。直接関与していない事件について、刑事部長が1人で判断することはあり得ないからだ。後ろめたいことがあるのだろう。中村格はメディアの取材から逃げ回っている。
 山口敬之の権力癒着はこれに留まらない。スーパーコンピュータ開発を目指すと称して設立されたPEZY Computing社の顧問になって、月額賃料が100万円とも200万円とも言われるザ・キャピタルホテル東急のレジデンスを当てがわれていた。月額の顧問料200万円は、それとは別の報酬である。それだけ払っても、山口の存在が重要だったわけだ。この会社が助成金詐取で告発され、斎藤社長が逮捕されたが、助成金や貸付金の総額は100億円近くに上る。この異常な助成金や貸付金の決定は、やはり官邸を通して財務省・文科省の担当官僚にプッシュされたと考えるのが普通である。海のものとも山のものとも分からない会社に、これほどの公金が支出されるのは異常だ。山口は安倍首相や麻生大臣にこの会社社長齊藤元章を紹介していたというから、この案件も官邸を経由した助成金詐取事件である。
 この事件が公になって、麻生大臣はそういう人と会ったかもしれないが、毎日たくさんの人と会っているから覚えていないと白を切っているようだが、森友学園と同じである。主張に賛同して口利きをしたのに、自分に都合の悪い状況になれば切り捨てて、火の粉が降りかからないようにするのが、政治家の常とう手段なのだ。
 かくように、イデオロギーの同調性を武器にいろいろな人が権力に群がり、権力者はそれを受け入れていく。イデオロギー的に近いという理由で、能力のない大臣を次々と任命していくのも同じ論理だ。それが犯罪を生み、度重なる大臣解任という結果になっている。レベルの低い歴史認識やイデオロギーがベースになっているから、烏合の衆で権力に集る人物の品格も知性も低い。権力( 者)の知性レベルも低いから、寄って集って来る人のレベルの低さを判断することができない。そういう負の連鎖が表に出だしたのが、安倍政権の現状だ。権力の末期的現象である。
 それにしても、制裁関税適用のトランプ発言は聞き捨てにならない。「いつもニコニコしている晋三は、日本を助けてくれて有り難うというアメリカへの感謝を表現しているのだ」。要するに、自分の意見を言うことなく、ただただニコニコしてゴルフ接待してくれる晋三なら、俺の言うことを何でも聞いてくれるはずだと見下されているのだ。日本への公式訪問に際して、米軍横田基地に飛び降り、アメリカ軍兵士を前に、「アメリカは世界を支配している」と鼓舞し、そこからゴルフ場へ向かうなど、いまだに日本は占領国扱いの域を超えていない。公式訪問先で軍事基地から接待先のゴルフ場に向かい、なぁなぁの仲を披露するのが公式訪問のメイン行事というのは、後進国ならまだしも、先進国のなかで日本だけだろう。世界の外交を見渡しても特異な関係である。せっせとゴルフ接待する安倍晋三は、政治家というより、アメリカに手もみする町人程度の存在でしかない。だから、最初から見下されている。
 アメリカの従者である限り、国際政治で主導権を握ることなどできない。アメリカが北朝鮮と会談するのに、安倍に相談する必要などあろうはずがない。だから、安倍はトランプに拉致問題解決をお願いするだけのことだ。何とも情けない。こういうことだから、対米属国関係下の安保法制は日本にとって何の益もない。たんに日本がアメリカの戦争に組み込まれるだけのことだ。
 最近、文韓国大統領はヴェトナム訪問に際して、過去の歴史を謝罪した。ヴェトナム戦争で、アメリカの要請にもとづいて参戦した韓国軍の蛮行を謝ったのだ。アメリカ海兵隊に勝るとも劣らない蛮勇を発揮した韓国軍は、短期間のうちに何万人ものヴェトナム人を殺害した。アメリカ軍も韓国軍も、村を追われ、都市に流れ込んだヴェトナム人婦人を雇い、端 金(はしたがね)で利用できる売春宿を設立した。
 憲法9条を盾に、戦後最大のアメリカの戦争犯罪への参戦を断った日本は、再び過ちを起こさずに済んだのだ。300万とも400万ともいわれるヴェトナム人の犠牲を伴ったヴェトナム戦争を忘れてはならない。アメリカにとって、アジアの共産主義者(ヴェトコン)は虫けらで同然の存在だった。日本は太平洋戦争の終戦間際に、多くの都市でアメリカ軍の無差別爆撃を受けた。独裁者に支配される国なら、非戦闘員でも無差別に殺戮しても構わないという論理は、戦後もアメリカ軍に生き続けている。
 近年、ネットでは、安倍首相を批判する者を「売国奴」と呼ぶことが流行っている。しかし、自らの国の命運をアメリカに賭ける政治こそ、売国政治なのではないか。日本の命運をアメリカに託して、ニコニコしている首相など、国辱以外の何物でもない。こんな日本の外交が世界で評価されるわけがない。アジアですら評価されない。対米従属を日米同盟と読み替える政治家は、世界を知らない田舎者か、対米従属を意図的に隠す「売国奴」のどちらかだ。

(もりた・つねお)