ロンドンとイスタンブール
 11月13日のパリ・テロ事件から4日目の17日夜、ロンドンのウェンブリー・スタジアムで英国とフランスのサッカー親善試合が挙行された。荘厳なセレモニィの後、英国国歌とフランス国歌が流され、選手と観客はともに黙祷を捧げた。サッカー・ゲームの開始前とは思えないほどの厳粛さがスタジアムを支配していた。
 同じ夜、イスタンブールではトルコとギリシアの親善試合が行われた。ここでは試合開始直前に両チームの選手がグランド中央のサークルで肩を組み、1分間の黙祷を行った。しかし、イスタンブールのスタジアムは終始、騒然としており、黙祷の間も静寂が訪れることはなく、多くの人が口笛や怒号で黙祷を拒んでいた。
 この二つのスタジアムの違いは、ヨーロッパ社会とイスラム社会でテロの受け止め方がまったく異なることを教えてくれる。中東のイスラム社会の甚大な人的犠牲を無視して、ヨーロッパ社会が受けたテロ被害だけを追悼することを、トルコの人々は拒否しているのだ。人は自らの痛みは分っても、他人の痛みは分からない。ほとんどの人々は中東社会で何が起きているのかも知らないし関心がない。他人の痛みに思いを馳せることなく、自分の痛みだけを大げさに強調する大国の姿勢を拒否していると考えれば、イスタンブールの観客の反応が理解できる。
 アメリカを中心とする有志連合に加わる西側諸国の政治家は、イラクやシリア空爆による民間被害を付随的損害(collateraldamage)と呼んでいる。付随的死(collateraldeath)とも呼ばれるが、Wikileaksはこれを付随的殺人(collateral murder)と名付けている。攻撃する側にとって目的遂行に付随する「止む得ない犠牲」でも、攻撃を受けた住民は付随的損害で処理されてはたまらない。付随的死も殺人に変わりはない。
 西側で起こされるテロは許されない殺人で、戦闘に伴う住民の犠牲は許容範囲にある「付随的な死」などと考えることができようか。政治家や軍人が唱えるならまだしも、一般国民が為政者の論理に填まってしまっては、永遠に他者に思いを馳せることはできない。

直接の原因は空爆
 イラクやシリア難民はアメリカのイラク侵攻やシリア内戦への荷担によって発生したものだ。これまでほとんどの難民は近隣諸国に逃れており、ヨーロッパを目指す難民の数はそれほど問題になることもなかった。ところが、今年に入って、トルコに逃れた難民の一部が大挙してヨーロッパを目指すようになった。難民の密航を組織し、支援する団体の活動が活発化したことも一つの要因だが、最大の原因は2014年8月に始まったアメリカによるイラク空爆である。
 アメリカのイラク空爆は翌9月にシリアへ拡大され、2015年10月末までに実に8125回も出撃した。空爆の激化とともに、比較的裕福な難民がヨーロッパを目指す動きになった。
 われわれはアメリカの空爆によって、どれほどの民間被害が出ているのか知らないが、いつ何時(なんどき)家もろとも吹っ飛ばされるか分からない危険があれば、逃げるより方法がない。実際、アサド政権を擁護するロシアが空爆を始めて、民間犠牲者が多く出ていることが報告されているが、アメリカの空爆ついては時折、誤爆が報道されるだけで、実際の民間被害の詳しい情報が公開されていない。アメリカの空爆だけが住民にとって安全なものであるはずがない。
 空爆による民間の被害はcollateral damage、民間人の死亡はcollateral deathというのは軍から見た話で、住民からみればcollateralmurder(付随的殺人)だ。何千何万という人がcollateral murderの犠牲になっているが、西側世界からは「不可避の損害」で片付けられる。明らかに、西側が考える人命の価値には、西と東では雲泥の差がある。そういう価値観にもとづき、パリの犠牲者だけを悼むセレモニィには加われないというのが、イスラム社会の想いだろう。

Collateral Murder
 Wikileaksが暴露したイラクにおける民間人殺害のビデオが、Youtubeにアップロードされている。Collateral Murderと命名されたこのビデオは、2007年7月12日に新バグダットの居住地区で、アメリカ軍のヘリコプター・アパッチ2機から目標を銃撃したアメリカ軍の記録である。short version(18分弱)とfull version(40分弱)が公開されている。
 この事件で何名の犠牲者が出たかは不明だが、Reuter社の現地雇用者2名とその救助者も犠牲になり、Reuter社がアメリカ軍に検証を要求していたものだ。アメリカ軍は、「軍法と職務規程に則った行動である」と結論づけたが、Wikileaksは内部告発者からこの記録ビデオを入手し公開した。
 比較的地上に近い位置からの銃撃ですら誤爆や民間人の殺害が起きるのだから、高い空中から行われる爆撃で標的が絞れるわけがない。空爆は事実上、無差別爆撃になってしまう。そういう、無差別爆撃を続ければ、犠牲者の恨みを買うのは当然ではないか。「付随的損害」、「付随的死」などと無人格化されて済む話ではない。
 アメリカは原爆投下以後、戦後の紛争介入において、一貫してcollateral murderを繰り返してきた。ヴェトナム戦争では、実に百万人を超えるヴェトナム人が犠牲になった。この時も、アメリカは戦死した5万人の兵士に荘厳な埋葬式を執り行ったが、ヴェトナム人は家畜同然だから殺戮しても謝罪の言葉など一切ない。アメリカにとって、戦死した兵士は国家の英雄で、アメリカに抵抗するヴェトナム人はヴェトコン(共産主義者)だから殺戮対象か付随的死に値する人種だったのである。原爆投下の論理も同じである。戦争を終わらせるためというより、原爆の効果を確かめる実験であり、侵略者のイエロージャップなら民間人でも殺戮して構わないという理屈である。
 ヴェトナム戦争で苦汁を舐めたはずのアメリカは、再びイラク侵攻で中東世界を破壊することになった。この侵攻で犠牲になったイラク人は20万人を超えているはずだ。シリア空爆でどれほどの犠牲者が出ているのか見当もつかないが、ヴェトナム戦争と同様に、アメリカ軍にとって「付随的損害」として片付けられる程度のものなのだ。

アメリカは絶対正義か
 アメリカの軍事行動はすべて「正義」にもとづく行動であり、「正義」に立ち向かう者は「殺戮」に値する。圧倒的な軍事力を誇るアメリカへの批判はタブーであり、アメリカの行動を批判し、責任を追及する政治家はきわめて少ない。
 今時の大量の難民移動の原因が、アメリカのイラク侵攻とそれに続く混乱にあることは紛れもない事実だが、左翼・右翼に関係なく、権力の座にあるヨーロッパの政治家はアメリカを公然と批判することはない。とくに、フランスやイギリスの左派と見なされている政治家は、アメリカを批判しないどころか、アメリカの軍事行動を支援するか、軍事的共同歩調をとっている。要するに、ヨーロッパの政治家はアメリカの帝国主義的政策に抵抗するどころか、その共同推進者の役割を果たしている。難民引受けを拒否する右派のオルバン首相(ハンガリー)にしても、左派のフィツォ首相(スロヴァキア)にしても、後ろ向きに拒否の姿勢を明確にしているだけで、大量の難民を発生させたアメリカの責任については一言も発言していない。
 他方、アメリカはと言えば、自らが惹き起こした災禍にたいする責任感は皆無である。完全にゼロである。今時の大量難民発生が、イラク侵攻や空爆にあるなどとは考えもしない。まさに、他人の痛みに思いを馳せることができない、帝国主義的健忘症である。アメリカは常に絶対正義であり、タリバーン、アルカイダ、ISなどは「絶対悪」である。独裁政権を倒すことに正義があり、そのことが社会と国家に大きな混乱と災禍をもたらしたとしても、それは正義の達成ために不可避の犠牲であり、アメリカが謝罪する必要などまったくないのである。その証左に、オバマ大統領はヨーロッパの窮状を見かねて、シリア難民の1万人引受けを表明したが、まるで他人事だ。最初から引き受ける人数の桁が1桁も2桁も間違っている。さすがに1万人ではまずいと思ったのか、1週間ほどして10万人に引き上げたが、アメリカの戦争責任を考えればまだ1桁少ない。アメリカの政治家がこれなら、アメリカ国民などは自らの政府が起こす他国・他民族の災禍などにはまったく無関心だ。
 ジョージ・ソロスは欧州が年間100万人の難民を数年にわたって引き受けるべきだと主張しているが、それはまずオバマ大統領とアメリカ国民に向かって主張することではないか。なにゆえに、アメリカが始めた戦争の尻ぬぐいを、ヨーロッパの諸国が行わなければならないのか。

ロシア、イギリス、フランスが空爆に参加する理由
 ロシアがアサド政権を擁護し、シリアにおける利権を確保したいという思惑は明々白々だ。もともとこの地域はイギリスの植民支配の地域だったから、イギリスにとっても無関心でいられる状況ではない。政治家の面子、軍需産業の保護、石油資源へのアクセスを考えれば、何らかの形で、当事者となっておくことは必要なことだ。だから、キャメロン首相は以前から、空爆参加に積極的だった。
 それに歯止めを止めていたのは労働党である。イギリスではイラク侵攻への反省からシリア空爆は多数の賛同を得られなかった。ところが、パリのテロ事件で風向きが変わった。労働党から造反が出て、空爆参加が国会で承認された。ISをファシストに見立てた労働党の重鎮ヒラリー・ベンの演説が労働党の大量造反を生み出したと言われているが、左派といえども、この程度のレベルだ。日本の民主党のようなものと考えれば、何の不思議もないが。
 政治家の本音と建前は別だ。理由や理屈は何でも良い。イギリス産業界にとって、シリアの石油資源は無視できない。ロシアとアメリカの和平協議が始まってしまえば、蚊帳の外に置かれてしまう。和平協議への動きが始まる前に、とにかく仲間の輪に加わっておくことが重要なのだ。
 同じことはフランスにも言える。しかも、オランド大統領にはこの事件を利用して、自らの政治力を誇示し、有能な政治家であることを示して、党の劣勢を建て直すことが必要だ。だから、形振り構わず、ロシアであれ、アメリカであれ、一緒に手を組んでISを叩けば損しないという判断が働いている。そこには右も左も関係ない。政治家にとって、国民の災禍こそ、自らの得点を上げる絶好機なのだ。

黙りを決め込む安倍政権
 これらの諸国に比べ、理解出来ないのはドイツの対応だ。いかにメルケル首相がオランド大統領から直々頼まれたからといって、ドイツがシリアの空爆を支援しなければならない理由はない。キリスト教人道主義とシリア空爆は矛盾しないのか。百万人の難民を引き受けるだけで十分ではないのか。イギリスやフランスと違い、ドイツはこの地域に植民地支配の歴史をもっているわけではない。にもかかわらず、旧宗主国と共同歩調をとるのは、難民政策での協力関係を維持したいからなのか。それともここでもナチスドイツの過去の負い目が作用しているのだろうか。直近のCDUの党大会でも、空爆支援に批判がでていないのはどうしてだろうか。これがキリスト教人道主義の政治的限界なのか。
 ところで、日本はどうか。有志連合に形だけ名前を連ねている日本にとって、空爆への協力支援は集団的自衛権行使の最初の試金石になるはずだが、安倍首相は黙り(だんまり)を決め込んでいる。下手に空爆支援などと言おうものなら、世論の反発を受け、参議院選挙に大きく影響するからだ。側近やブレーンが、その助言を行っていることだろう。架空の非現実的な事例で集団的自衛権行使を説明するより、現実に起こっている事態への対処方針から、集団的自衛権の必要性と行使要件を明快に説明すべきだ。本当に集団的自衛権が日本にとって必要不可欠だと考えるなら、ドイツのように空爆支援を行うべきではないか。選挙で負けることなど気にすべきではないはずだ。信念があるなら、大義の実現に政治生命を賭けるのが政治家というものだ。

(もりた・つねお 「ドナウの四季」編集長)