頌 主
 新年もどうぞよろしくお願い申し上げます。新年にふさわしい、立派な御著書『ポスト社会主義の政治経済学』をお贈りいただき、恐縮し、感謝いたしました。新年のフレッシュな気持ちで、じっくり拝読させていただき、1月末に読了いたしました。
 今回も驚嘆しつつ読んだことの一つは、著者の語学力です。いろいろな場面での論争、提言等々、御地ではまったく御地の方々と対等に処しておられるという、そのことです。本当に敬意を表します。
 そして、内容的な面での、多面的でキメの細かい分析力です。例えば、経済システム、政治システム、社会分析、イデオロギーと、いろいろな角度からアプローチがあり、全体として読者が立体的にイメージをもつことができるように論じられています。
 読了して強く心に残り、納得しているのは、ソ連などでやってきた「計画経済」なるものが、実は「計画経済」とは全く異なり、ただの政治権力による配分だったという点です。本当に「計画経済」というものが、実際にあり得るのか。この問題は大変だなと考えさせられました。
 さらに、戦後のハンガリーの政治・社会構造が、自分の想像以上に複雑で困難な内容のものであったということです。大戦中のモスクワへの亡命者たちとそうでない人々との複雑な関係が、日本の左翼にもあったのは知っていましたが、ハンガリーでは政権党になっていただけにいろいろあったんだ、ということを詳しく知りました。
 また、ハンガリー事件とチェコ事件の際も強く印象に残りました。56年と68年とで、ほとんど「同じ情況」かと何となく思っていたのです。ポーランド、チェコは行ったことが何度かあるのですが、それ以外の「東欧」は実はほとんど行ってないのです。ハンガリーも含めて。
 さらに、日本の「靖国」問題がときどき言及されている(103頁)のも関心をもちました。「靖国国営化」に反対する小さな市民運動に、もう40年以上かかわっているものですから。
 最後の方で、塩原君も出てきて、あれーと思いました(202頁)。私も彼とはじめて会ったのは「朝日新聞」のモスクワ支局だったのです。彼もよく仕事をしますね。明治学院の国際平和研究所の『PRIME』誌の今度の号(第31号)に、彼のロシア軍事を論じたものの私の書評がでます。その号には、「敗戦50年」の明治学院の戦争責任告白のことをめぐる座談会も載る予定です。第30号の抜刷りと、小さい詩誌(家内が詩人で、新しい同人誌をだしはじめたので、私は詩人ではないが、応援で加わりました)を、御礼として同封させていただきます。
 いっそうの御活躍を!! くれぐれもお元気で。
(なかやま・ひろまさ 明治学院大学名誉教授、元明治学院長)