私と、ハンガリーと、ランニングと
日野 暢
「何で走っているんですか?」、「ただ辛いだけじゃないですか?」、「何を目指しているんですか?」…赴任した3年間で多くの方に質問をされた。 実は小学校4年生まで肥満児であった。水泳学習や身体測定がある度に、自分の体形を指摘されたらどうしようと考えることがよくあった。ここで私のコンプレックスが確立されたのである。5年生の時に身長が15cm 伸びたにも関わらず体重が変わらなかったこと、そして中学校で陸上部に入部したため、体形が現在のようになった。「長距離をしていたからマラソンが趣味になった。」と思われがちだが、していた種目は「走り幅跳び」であり、長距離は大嫌いだし大の苦手であった。高校3年生まで6年間、走り幅跳びを続けた。長距離はむしろ避け続けた。 大学2年生の時、飲食店でアルバイトを始めたことと、飲食量が増えたのが原因で体重が一気に増加した。インターネットで調べたところ、「昔肥満だった人は、肥満の細胞を持っているため、太りやすい体質である。」と言う記事を発見した。それに納得した私は、ダイエットのために走り幅跳びをしようと考えた。しかし、大学やアパートの近くで気軽に幅跳びができる場所などない。考えた末、いつでも・どこでもダイエットができるランニングをすることにした。大の苦手な長距離ではあるが、コンプレックス克服のために走り始めた。ただ元々が苦手であったため、1回2km程度のランニングしかしなかった。 転機が訪れたのは28歳の夏だった。友人に誘われて日本三景を走る「松島ハーフマラソン」に参加した。人生初のレースである。13km 付近から全く足が進まなくなり、20km あたりからは意識が朦朧としてきて蛇行を始めた。何とかゴールすることができたが、不思議だったのがゴールした瞬間に「辛さ」ではなく「達成感」を真っ先に感じた。走り切った解放感・到達感・達成感は今まで経験したことのないものであった。そして見慣れていた松島が今までとは違う景色に見えた。全体が煌々と輝いているのである。この一瞬の経験がターニングポイントとなり、本格的なランニング生活がスタートしたのである。 個人的に、体育科の目標の1つは「生涯できるスポーツを探すこと」だと思っている。日本人学校で関わった児童生徒の皆さんも、生涯できるスポーツを見つけてもらえたら嬉しいし、体育や部活動を教えていた身としても幸せに尽きる。結局私は大の苦手で大嫌いだった「長距離」を、生涯スポーツとして選択した。中学校時代の私からは想像もできない。皆さんも今は大嫌いで大の苦手なものが、将来好きになるかもしれない。何がきっかけか分からない人生をぜひ楽しんでもらいたい。 1年半前に誕生日プレゼントでもらったランニング用の時計の中に、走行距離が累積でカウントされる機能がある。久々に見たところ、約600km だった。2倍すると約1200km。デブレツェンからショプロンまでが徒歩で約430kmなので、随分ハンガリーの中を走ったなと感じた。そんな1200kmの中には多くのものが詰まっている。一緒にマラソン大会に出場していただいた皆様と共に達成感を味わったこと。日本人学校の職員室内で、私のどうでも良いランニング話に温かく付き合ってくれたり、大会中に声援を送ってくれたりした仲間がいたこと。家族全員でマラソン大会に参加することができたこと。暑くて大変だったウィズエアーマラソンや、寒くてどうしようもなかったバラトン湖でのK&H マラソンにも、必ず来て「パパ頑張って!」と応援してくれた双子のような我が子。そしてそんな娘と息子がランニングに意欲的・積極的になってくれたこと。走ることでたくさんの宝物をハンガリーでのランニング生活から頂いた。ランニングをしたからこそ見ることができた素晴らしい景観や環境、ランニングをしていたからこそ経験できた素晴らしい大会、ランニングをしたからこそつながった素晴らしい仲間、そしてランニングをしたからこそできた素晴らしい思い出の数々。その全てに感謝をし、そして骨折に気を付けながら生涯現役ランナー&健康維持増進に向けて走り続けたい。 |
(ひの・とおる、日本人学校教員) |