バーバラ寺岡さんが6月2日にお亡くなりになった。享年72歳である。
日本人外交官の父とハンガリー人を母としてハンガリーで生まれた。終戦と共に大日本帝国の外交官は国外追放となり、さらにハンガリーに社会主義政権ができたために、旧ブルジョア階級はいわゆる「下放」として、田舎へ移住を迫られた。父が国外追放となったバーバラさん一家もまた、地方の町への移住を迫られ、お嬢さん育ちの母が途方に暮れているのを傍目に、未就学児のバーバラさんがいろいろな物を売り歩いて、その日その日の生活の糧を得ていたという。そういう経験が、彼女を「頑張り屋さん」に育てた。
バーバラさんの父はベルー大使、イラン大使を務め、サンフランシスコ条約締結時には吉田茂首相の秘書官として仕えた寺岡洪平である。祖父は日本海軍少将だった寺岡平吾で、曾祖父に当たるのが、新撰組の山脇正勝。バーバラさんには、寺岡家の家計を辿った書物がある。『新撰組サイドストーリー』(オフィスクムビア総合企画、2004年)がそれである。
バーバラさんが8歳の時に、幸運にもウィーンに脱出し、父親と再会を果たし、ようやく家族が一緒になれた。そこから父の赴任に伴って世界各地で生活し、外務省を退官した後に日本に定住した。白百合学園に通い、順調な生活を送っていた高校時代に、お父さんが他界され、家族の生活が一変する。
生活能力のない母親に代わって、通訳などの仕事を始め、家計を支えた。そのため、学校から注意を受けるようになり、もともとそれほどなじめない校風だったこともあり、退学したようだ。ただ、この時のアルバイト生活の過労で体を壊し、以後、彼女の人生はいろいろな病気と闘う人生にもなった。
1960年代から70年代にかけて、バーバラさんはテレビの料理番組に良く出演していた。彼女にとって、料理は一生の仕事であり、趣味が高じて仕事になったというべきか。バーバラさんがハンガリー人だと知ったのはかなり後のことだ。
ほんの数年前に、堤一実さんから、バーバラさんの話を聞いて欲しいというお誘いがあった。ハンガリー人生理物理学者のサース・アンドラーシュが来日しており、西洋医学に不信感を抱いているバーバラさんが、甲状腺がんの生体検査を受けるべきか否かの意見をサース教授から聞きたいということだった。サース教授は医師ではないが、温熱治療器の開発・製造・販売を通して、ドイツを中心に多くの医師との交流があり、各種がん治療の実際を世界各地でみておられる。
彼女が検査データを持参しして、症状などをサース先生に説明していた。サース先生は、「自分は医師ではなく、診断を下すことはできないが、これまでの経験上、バーバラさんの症状はがんとは思えない。がんかどうかは別に、生体検査にほとんど意味はない」という意見を述べられた。
その頃、バーバラさんは中国の予言や占いに凝っておられ、「自分を助けることができるのはSが2文字ついた人」という予言を聞いたので、サース先生のことを信頼したいという旨の話をされた。私もサース教授も、「予言」とか、「占い」とは無縁の生活を送っているので、少々戸惑ったが、「病気のことをいつも心配していたのでは生活の質が落ちるから、精神的な力になれば良いかな」ということで、お別れした。
別の機会に、堤大使ご夫妻を交えて、銀座で昼食をご一緒した後、帝国ホテルのロビーでお茶になったのだが、バーバラさんは身上話を語り始め、実に4時間にわたって、彼女の波瀾万丈の一生を聞くことになった。
バーバラさんの書物や発明品もいただいて、ハンガリーに戻って来た。バーバラさんに、「ドナウの四季」に寄稿しませんかと提案したが、彼女はパソコンを使わないし、Eメイルを使わないというので、原稿の話はうやむやになった。
その後、再びサース先生の訪日に合わせて、バーバラさんからお宅に招待したいというお誘いがあった。堤一実さんと一緒に、代々木にあるかなり広い寺岡家の地所にあるお宅を訪問し、昼食をいただいた。その時に、グルテンフリーの食材の重要性などを聞かされながら、彼女が調理した食事をいただいた。広い庭はもう砂利だけの更地になっていて、そこに動かないキャンピングカーが止まっていた。いろいろな記念の品物がそこに収納されていて、地震があっても生活できる準備が整っているとのことだった。
いろいろな病気をした経験から、何ごとについても、事前に準備しなければという観念を抱いている人だった。自分の体のどこか悪いのか、一度、全身の徹底検査をやってもらいということだった。天皇陛下ならまだしも、下々の人がそのような検査を受けることはあり得ないと思ったが、一度だけ、大学病院の医師に意見を求めたことがある。ひとそれぞれに不都合なことや、加齢から来る病気があり、それをくまなく調べることが意味あるとは思えないということだった。
そもそも人の体はロボットと違い、いろいろ不都合があっても、生体の自然制御でなんとか機能を保っている。病が生命維持機能を犯すようになれば、どんな治療も効果がない。ロボットのように部品交換して、人体が修理されることはないから、完全修理を求めるという発想は間違っている。長生きしたければ、日頃から摂生に努め、体の機能が劣化しないように適度の運動を行い、自分を律していくより方法がない。それでも致命的な病にかかるのであれば、それを天命として受け入れるしかないではないか。部分的な病気を探して治療していたのでは、かえって生活の質が落ちて、後悔することにはならないか。だから、私自身は、不要不急の検査は行わないことにしている。自分から病気を探すことはしたくない。
バーバラさんは、これといった痛みはないが、腹水が溜まるので、診療を受けたようだ。しかし、腹水をもたらす腹膜がんがどこから発生したのかは分からないということだった。しかし、無用な治療を受けることなく、痛みに苦しむこともなく、静かにお亡くなりになったという。合掌。
(もりた・つねお)
|