リスト音楽院は、私の日本の大学(愛知県立芸術大学)の交換留学提携校なので、日本に居た頃、その留学報告会で先輩方の話を聞いて、私もいつか自分もリスト音楽院に留学したいと言う思いを温めていました。
 私はプラハやウィーンでの講習会に参加したことがあり、数週間の滞在でしたが、毎晩コンサートやオペラを鑑賞して、ヨーロッパの街並みを歩き、言葉を聞き、文化に触れるという経験をして、ヨーロッパでクラシック音楽の勉強をすることと、遠い海の向こうの島国で勉強するのとは、環境が全く違うことに身を持って感じ、いつかヨーロッパに住んで、より深く音楽の勉強がしたいと思うようになっていました。そして、少しでも早いうちに留学経験を積みたいとも考えていました。さらに、当時の自分の語学力を考え、ドイツやフランスの音楽大学よりも、英語で授業を受ける事のできるリスト音楽院の方が自分には向いていると思い、留学先をリスト音楽院に絞り、留学に挑戦する事を決めました。
 幸運なことに、私は交換留学生としてリスト音楽院に在籍できることになり、guest studentとしてリスト音楽院の学部生と同じように授業を受講することができました。私は興味のある授業はすべて受講しました。初めの頃は、慣れない英語の授業を理解することが難しかったのですが、親しくなった中国人の友達が授業の後に補足や説明をしてくれたり、ノートを貸してくれたりして、私を助けてくれました。また、語学力不足だけではなく、とりわけソルフェージュの授業にはとても苦労しました。ハンガリーのコダーイ・メソッドの階名の読み方から始まり、ソルフェージュとアナリーゼは全て移動ドで考えなければならなかったので、それにはかなり戸惑いながらも、日本のソルフェージュ教育では学べなかった角度からソルフェージュを学べた事は自分にとって良い経験になったと思います。
 どの授業も、日本の講義とは全く異なり、授業内での先生と学生の距離をとても近く感じます。日本では講義中に発言をしたり質問することは滅多にありませんが、こちらの学生は自分の興味を持った事に対してはとても意欲的なのだと感じます。先生も学生の疑問に耳を傾け、その答えを導いてくださいます。国民性の違いもあるかと思いますが、こちらの学生のそういった姿勢を目の当たりにして学ぶ事への意識に対して刺激をもらいました。
さて、私は、ハンガリーではマリアさんというハンガリー人のおばあさんの家の1部屋を借りてホームステイをしています。マリアさんは、お料理がとてもお上手で、マリアさんの作るハンガリー料理がブダペストの中で1番美味しい料理だと思いながら、毎週末の昼食を楽しみにしながら頂いています。マリアさんはハンガリー語しかお話になれないので、ハンガリーに着いた頃は、コミュニケーションを上手く取れない事もありましたが、最近はハンガリー語で意思疎通ができるようになってきています。マリアさんのお宅にホームステイできたことは、私にとって幸運なことでした。
 さらに、私にとってもう1つ大きな幸運だったことがあります。それは、Sazbo Olsolya先生との出会いです。先生とは"Music is Your Body"と言う授業を介して知り合う事ができました。この授業は、私がリスト音楽院で受講した授業の中で最も良い影響を受けた授業です。私は、ピアノを弾く時の体の使い方が悪く、高校生の頃から、ピアノを弾くと体のあちこちが痛くなると言う症状があり、長大な曲を演奏することができませんでした。日本に居る頃から、体の使い方を学んだり、ピアノの演奏の仕方を変える努力はしていましたが、なかなか体得するまでには至っていませんでした。しかし、この授業の中で、先生に直接指導して頂く機会に恵まれ、私がピアノを弾いている時、先生が私の頭を押さえられたのですが、その時、一瞬にして、私は「これだ!」と目から鱗の思いで、体が反応したのが、わかりました。その後、私は週に1度、先生のプライベートレッスンを受けさせていただけるようになり、徐々に先生の奏法が身に付き、長大な曲に挑戦できるようになりました。リスト音楽院での授業が終わっても、ハンガリーに滞在できる間際まで、Sazbo Olsolya先生のレッスンは受けたいと思っています。いや、それ以上に、正直な思いとして、日本に帰りたくないと思うほどの気持ちで、先生のレッスンを受けることが今の私の何よりもの幸せだと感じています。
 ハンガリーでの生活も残り少なくなってきて、とても切ない思いでいっぱいです。この先もずっとSazbo Olsolya先生のレッスンを受けることができたらどんなに幸せなのだろうと思います。またハンガリーで学べる機会が得られることを願いながら、今は、ハンガリーに滞在している間でしか経験できない事を大切に過ごしたいと思います。

(わたなべ・りさこ)