私が滞在している中央ヨーロッパ大学はブダペストにあるアメリカの大学です。学生にも教職員にもハンガリー人はたくさんいますが、教育、研究だけでなくすべての管理業務も英語が使用されています。私は、日本の勤務先の大学を1年間離れ、この大学の政策研究所に客員研究員として滞在する機会に恵まれました。もともと、私はハンガリーの隣国であるスロヴァキアを対象として、1989年の体制転換以降の社会変化を研究してきました。この大学であれば、ハンガリー語ができなくても、中央ヨーロッパの研究にはそれほど困りません。実際、必要な英語文献の多くは大学図書館に所蔵されており、世界各地から招聘された研究者の講演も毎日のように開催されているので、国際学会ですら必ずしも話を聞けるとは限らない著名な研究者の講演が階段を下りるだけの距離で聞きに行けるといった、刺激的な環境で研究を進めています。ですが、近年、スロヴァキアにおけるハンガリー系マイノリティに関する研究プロジェクトにかかわり始めたため、この機会を生かし、ハンガリー語を学びつつ研究に取り組むことにしました。

 隣国スロヴァキアにはおよそ50万人近いハンガリー系の人々が居住しています。国籍はスロヴァキアですが、ハンガリー語を第一言語とする人々です。現在のスロヴァキアの領域がかつてハンガリーだったという歴史的な経緯を考えれば、このようなマイノリティの存在自体がスロヴァキアとハンガリーの関係の深さを示しています。とはいえ、現在のスロヴァキアの日常生活で出会うハンガリー系の人々はノンネイティブにはわからないくらい流暢にスロヴァキア語を話し、スロヴァキアとハンガリーとのつながりを意識する機会はあまりありませんでした。スロヴァキアの研究をはじめて10年くらいで一つの区切りを迎えたころ、スロヴァキアを研究しているからと言って、人口のおよそ1割を占めるハンガリー系の人々のことを知らないままでいる自分に疑問を持ち、ハンガリー系の人々にも関心を持つようになりました。私の専門である文化人類学は、現地の人々のコミュニティに出かけて行って聞き取りをしたり、その地域の活動に参加したりすることによって得られるデータを重視します。多くのハンガリー系の人々はスロヴァキア語も話すので個別のインタビューは可能ですが、ハンガリー系の人々同士は互いにハンガリー語で話すので彼らの話は理解できません。そのため、多少はハンガリー語ができるようになりたいと思うようになったのです。
 これまで学んだスロヴァキア語とは全く異なるハンガリー語は、独学で勉強して簡単に身につく言語ではありません。こちらに来て最初の半年は、ほぼ毎日語学学校などに通い、研究所で論文を執筆する以外の時間はほとんどハンガリー語の勉強でした。正直なところ、英語と(毎日ではないですが研究上必要な)スロヴァキア語という2つの外国語を使いながら、ハンガリー語という新たな外国語を学ぶのはかなり消耗します。ただ、かつて勉強したスロヴァキア語と違い、ハンガリー語は日本の大学に独立した学科がある言語ですので、日本語での情報が多く、勉強のしやすさは比較になりません。ハンガリー語はなかなか上達しませんが、わからない文法の解説を日本語で読むことができることにかなり救われました。英語の文法書も簡単なものしか手に入らなかったスロヴァキア語を学んだときは、授業でよくわからなかった事項は全て覚えるという手段しかなかったので、ずいぶん苦労しました(現在は日本語で読むことができるスロヴァキア語の文法書も出版されました)。
 先日、普段は使わないスロヴァキアの携帯電話番号の有効期限が切れかけていることに気が付き、あわててスロヴァキアに携帯電話のクレジットを買いに行かなければならないことがありました(スロヴァキアで私が契約している携帯電話は、定期的にクレジットを購入することで番号が維持される仕組みとなっていたのです)。電車でコマーロムまで行き、さらに徒歩で国境を越えてスロヴァキアのコマールノに渡り、携帯電話のクレジットが買える店舗に入りました。ハンガリー系の人々が多いスロヴァキア南部の町らしく、店内で先客が店員とハンガリー語で話したので、「こんにちは」とハンガリー語で挨拶しました。しかし、続きのハンガリー語で出てきません。スロヴァキア語で「携帯電話のクレジットを購入したいのですが、10ユーロ分お願いします」と話すと、店員はスロヴァキア語で手続きをしてくれました。
 会計をしながら「いま私はハンガリーに住んでいるのですが、前はスロヴァキアに住んでいて・・・」と再びハンガリー語で話しかけましたが、やはり続けられなくなったので「スロヴァキアの銀行口座は解約してしまったからウェブでチャージできなくて。こうやってスロヴァキア国内でチャージするしかないのですね」とスロヴァキア語に切り替えて話を続けました。さすがに店員も不思議な顔をしつつ、「今はハンガリーのどこに住んでいるの?コマーロム?」ハンガリー語で返してきました。
私 「いや、ブダペストに住んでいます。(ハンガリー語)」
店員「前はスロヴァキアのどこに住んでいたの?(ハンガリー語・推定)」
私 「?」
店員「前はスロヴァキアのどこに住んでいたの?(スロヴァキア語)」
私 「ブラチスラバです。(ハンガリー語)」
 些細な経験ですが、半年前には何を言っているか全くわからなかったスロヴァキアのハンガリー系の人々の会話に、自分が少し加わることができたことで、あらためてスロヴァキア南部が二言語を話す世界であることを実感し、よく通った地域をより深く知るための一歩を踏み出した気持ちになりました。この地域のことは、両方の言語を知らなくても理解できるかもしれませんが、両方の言葉を理解することで初めて分かることもあるのではないか、帰りの電車では、そんなことを考えました。 

(かんばら・ゆうこ 中央ヨーロッパ大学・政策研究所)