今年のハンガリーの夏の終わりは思った以上に早く、日本から帰国し、バスから見た外の景色が早くも秋めいていて少し驚きました。私が初めてハンガリーにやってきたのは、ちょうど同じ頃の3年前、2010年8月の終わりのこと。大学在学中に留学経験を積みたいと思い留学試験を受け、3年生前期からセント・イシュトヴァーン大学の農業学部、サルバシュキャンパスに交換留学生として、10ヶ月間派遣されました。 よく「どうしてハンガリーを選んだのか」と聞かれます。留学経験を積みたかったことが一番ですが、さらに説明しようとすると自分とハンガリーがどう繋がってきたかを説明しなければなりません。ハンガリーとの最初の出会いは6歳の時に聴いたブラームスのハンガリー舞曲第5番です。私の心がすぐさま高揚し踊るような気持ちになったのを今でも記憶しています。私は、小さいときから色々に好奇心旺盛で未知なものへの関心が強く、行動して知るまで満足出来ない性格でした。ハンガリー舞曲を聴いて感動したのは、どこか知らない国の一部に触れることが出来たような気持ちになれたからだと思います。 当時、日本にいてハンガリーや東欧に身近に触れる機会はなく、自分で調べることになったのはずっと後のことです。ただ、こうして思い返してみると、体感した経験の背後には、いつも同じところで私を立ち止まらせ、突き動かす何かが、ハンガリーと私の間で通っていたと思います。社会人時代に、たまたま鑑賞したボスニア映画でも同じ感覚を得ました。そこから流れる音楽や目にする景色と世界観。音楽は純粋なハンガリー音楽ではありませんが、その半年後に大学に入学し2年の後期である授業を受けた時、自分の体感とハンガリーが一つの線として繋がったのです。 「ハンガリーを学ぶ」の講義をしてくださった姉川雄大先生は、歴史の専門でありながら文化・歴史・日常生活に至るまで限られた時間の中で、ハンガリーについて多くを教えてくださいました。この講義はあの時にみた映画とリンクしながら私を夢中にさせ、気づけば先生に質問をし続ける自分がいました。それから個人的にハンガリー語を先生から習うこととなり、その想いが3ヶ月後に交換留学へと続いていきました。 当時、サルバシュには日本語を話せる人はもちろん、英語も話せる人もほとんどいませんでした。ハンガリー語だけの生活は、好奇心と知りたい気持ちで楽しく過ごすことができ、素朴な暮らし、美しい大地(Táj)は見るごとに私を感動させ、どこか懐かしい気持ちにさせてくれました。しかし、それから数ヶ月経過してからは、言葉の壁を感じ、体調にも影響が出るほど辛い時期に迎えました。留学前に勉強したハンガリー語の成果も出せず、自分から何を話しかけたらいいのかも分からず、自信が消えそうになりました。しかし、諦めずに授業後に復習を続け、ハンガリー語から英語、それでも分からなければ日本語から調べるという作業を延々と繰り返しました。 物覚えの悪い私は、自分の言葉として使えるまで時間がかかりますが、これまでの苦労が実って、今使っている語彙に活かすことができると実感しています。また、ハンガリー語しか話せなく私との会話が通じないのを分かっているのに、一緒にいてくれた友人たちの優しさは忘れられません。ほんの小さな私の周りの世界ですが、彼らはかけがえのない時間を私に与えてくれました。この国の小さな町にやってきた初めて見る外国人に対して、親身に接してくれた彼等の温かさは、私にとっては計り知れない助けになりました。今でもこの温かい関係が続いています。 日本に帰国して、卒業論文の研究テーマをブダペスト市内のある地域を対象として選びました。留学の成果として、ハンガリーに関わる論文と設計をやり遂げることで、私にとってのハンガリーが何なのかをきちんと整理したかったのです。半年で仕上げることはたいへんでしたが、設計案は関東の学生コンペティションの学部代表として選ばれ、入賞することができました。 終わりに、人生はもちろん、自分の為にありますが、目的にはいつも自分との関わりがあり、それが喜びや生きる目的となり大きな力に変わることがあると思います。今年の2月より、ブダペスト・コルヴィヌス大学のランドスケープ学部の修士課程に所属し、ランドスケープや庭園学、都市計画を勉強しています。人との関わりの中で形を生んでいくこの分野は、ハンガリーを知ることを深め、自分の立ち位置をはっきりさせてくれます。そうやって修士論文を書き進めていくことに大きな意味を感じています。 今のブダペストでの生活はサルバシュで感じたようなものとは違います。ここには都市の生活があり、正規入学した学生の扱いは厳しいものです。ハンガリー人に囲まれた授業、失敗だらけ分からないことだらけで、自分を見失うことも多々あった春学期を終え、これからまた秋学期が始まります。そして、未だ尽きないハンガリーと私の関係はこれからも続いていくのです。
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