僕が留学を志したのは高校3年の夏の事です。国内の大学か海外へ早いうちに行って染まるか、進路がまだ定まっていませんでした。そんな中、当時の夏に行われた霧島国際音楽祭に参加しピアニストのダンタイソン氏に背中を押されたのと、自分の先生が昔リスト音楽院に留学しており、迷ってる僕に留学を勧めてくれたのがここにくるきっかけでした。卒業演奏会を蹴って2月に行われた札幌のセミナーに参加し今の師匠ラントシュ先生に出会うこととなりました。またそのセミナーで僕の音楽人生に大きな影響を与えることとなる人とも出会いました。彼は一回り上の先輩でその方と2年もルームシェアすることとなりました。
 共同生活をしながら自分の音楽に向き合っていくというのは自分にとってとても難しいものでした。違う人間同士が住むわけです、当然こちらも向こうも納得いかないようなことがあるわけです。そして異国での生活、言葉が上手く通じない、先の見えない不安。眠れない日もかなりありました。そんな優れない気分の日でも練習をしなければなりません。共同生活しているので自分の締まらない練習がすべてとなりで部屋で休んでいる先輩に聞こえてしまうわけです。思うような音が出せず何回も繰り返しやっていたり、ぼけーっとただ譜面を追ってるだけの意味の無い練習もすべて。
 その時はまあ明日があるから大丈夫だろう、今までそれでなんとかなってきたから、、などと考えていました。同居していた先輩はそれを聴いてたから、かどうかはわかりませんが、多くはそういう日に限って外食やお酒の席に誘ってくれました。その席では今日の練習で何を得たかなどよくお互いの反省会をしたものです。とても嬉しかったのは音楽家の先輩として、プロのピアニストを目指す同胞として沢山僕に説教をしてくれました。ほんとに基礎的な姿勢の事や、練習に向かう態度、なにより彼からピアノ以外の時間に何をするかを教わりました。外を歩いている際にも感覚を研ぎ澄ませて端っこの視界に映っている物体、人の移動も把握する、今どういう空間にいてそれを頭の中で立体図なるものをイメージし自分がどこに位置しているのか常に把握するなど、彼の考えている事柄ほとんどが新鮮でただがむしゃらに練習し続ければピアノはうまくなると信じていた自分の考えが大きく変わったのはこの時でした。もちろん男同士くだらない話もしてそれでリフレッシュ出来ていい結果を生んだこともありました。去年夏に彼は帰国し、現在僕は残り2年の大学課程・2年の大学院課程のあわせて4年をハンガリーで一人暮らしをすることになりました。辛いことも沢山ありましたが、一人暮らしを始めて改めてあのルームシェアがいかに濃かったことかと実感しています。

 現在僕はフルタイムBA課程の2年次に在学しており、主専攻のピアノは2人の先生に師事しています。お二方とも素晴らしい音楽家であると同時に、人間としても尊敬できる方々です。たまに二人の解釈が正反対で困ることがありますが、一回一回のレッスンはとても充実しています。なによりお二人共孫のように僕のことを見てくれているので音楽以外の話もたくさんしていただき、生活面でも沢山助けてもらっています。
 ピアノ以外の特筆すべき科目はソルフェージュです。コダーイメソッドを基に2年間で音楽理論・視唱・聴音などの能力を効率的に学ぶことができます。先生はとても情熱的な方でたまに血の気が多過ぎて萎縮するときもありますが、なによりハンガリーでは珍しく(?)休講がほとんどなくコンスタントに、そして綿密な計画を基に授業を勧めてくれるのでこちらもちゃんと学んだことが身に付いたという実感しながら学べています。ソルフェージュは中学・高校と6年間やってきましたがいまいちこれが実際の演奏に役にたっているかは半信半疑な部分がありました。今の先生はソルフェージュがいかに実際に演奏するうえで大事なのかをちゃんと説いてくれ、普段から和声進行、リズムを分析しそれを理論的かつ体感的に会得し自然にそのことが出来るようになるまで練習を行うというごく当たり前のようなことかもしれませんが、これはまさに今までいい練習が出来たと思えた時をうまく説明しているものでした。それを聞いて今までの自分の練習に対する姿勢に反省し、一回一回の練習に向かう姿勢を改めました。この先生との出会いがなければなんとなく音楽をやっていたかもしれません。
 練習の合間にはリフレッシュがてらブダペストの美しい街並みを見に散歩することがあります。なにごともうまくいかなかない時などこの風景に何回救われたことか。美しい建築物や大らかなハンガリー人の国民性と触れ合っていくうちに自分の音楽に対する美意識的なものも少しは変わってきた気がします。聴く人ほとんどに感動してもらえる音楽を創り出せるように積極的に色んなものをここハンガリーで見聞して美的センスを高めていき、いま師事している先生のように心のそこから湧き出るような、そして自然なバランスで音を奏でられる音楽家になるべく精進したいと思います。

(ふじわら しんじ)