私は今セゲド大学医学部に通っています。私がここまでホームシックにもかからず頑張ってこられたのは両親、セゲドの人々、ブダペストの町、大学の仲間がいたからだと思います。
私はシンガポールの高校を卒業したと同時にセゲド大学に入学をしました。海外生活自体に不安は感じませんでしたが、初めての一人暮らしにはいささか心細さがありました。両親とフェリヘジ空港に着き、ブダペストに一泊してからセゲド行きの列車に100kgの荷物を転がしながら乗りこみました。発車してから1時間、景色は田んぼ、林、草原。いったい私たちはどこへ向かっているのだろうと不安が募りました。「セゲドに着けば日本人のコーディネーターさんが待ってくれている。そこまで行ければなんとかなる。大丈夫」電車に揺られること2時間半、セゲドの大聖堂が見えてきました。「あ〜やっと着いた」電車から降りたら、現地に住んでいる日本人の方が私たちを見つけこっちの方へ走ってきてくれました。日本からブダペストまで10時間、ブダペストから2時間半。長い旅の疲れが彼を見つけた時に吹っ飛びました。運も良くその日にアパートが決まり、さっそくこれからお世話になるお部屋を母親と掃除。次の日は両親をブダペストまで送りそこでお別れをしました。
新しい家に帰れば部屋は真っ暗。「本当に1人になったんだ」来た当初のセゲドはマクドナルドでさえも英語が通じませんでした。アジア人が珍しいのか、町を歩けば振り返ってまで私を見る人や指を指しながら話している子供たちが目につきました。サインを漢字で書けば「これは中国語?あなたの名前なの?こっちにも書いてみて」と紙を渡されたり。初めは居心地が悪い場所でしたがだんだんこの状況が楽しくなってきました。周りはハンガリー人ばかりでアジア人は私だけ。手をぶんぶん振りながらメイン通りを歩き「てぃやんでぃ、私はアジア人だぃ。見るならどんと見ていけぃ」なんて調子に乗りながら町の探索を続けました。新しい言語を身につけるのも楽しくて、日本で購入したハンガリー語の本を片手にスーパーへ入って塩を探したり、温泉に行ってみたりと1人で冒険をしていました。無知というのは強いもので、とりあえず伝わればいいという気持ちでいると間違えながら話すことが恥ずかしくはありませんでした。むしろ、初めて使った言葉が相手に通じるのがとても嬉しくて外に出るのが楽しかったです。ポジティブに考えられるのが自分の長所なのか、大学が始まるまでの時間は毎日ワクワクして過ごしていました。数日間前に感じていた不安はとっくになくなっていました。
大学では色々な人に出会い私がセゲドで勉強をするうえでの支えになってくれました。セゲド大学にはたくさんの国からの生徒が通っています。私のグループはイスラエル人、イラン人、ノルウェー人、ソマリア人、ギリシャ人、キプロス人、インド人、スリランカ人、韓国人、台湾人がおり他のどのグループよりも色々な人種がいました。初めは戸惑わされることが多かったです。待ち合わせには早くても10分は遅れるし、自己主張が強く、たまにめちゃくちゃな理由で先生を言い負かしていました。はっきりと物ごとを言えない私は土足で私の部屋に上がる友達になんと言っていいかわからず、些細なことではありますが思い切り悩んだこともあります。「私はすごい人たちと一緒になってしまった」。初めはそう思っていました。なんとなくグループと一緒にいるのが居心地悪く、韓国人の生徒と話すのが一番落ち着きました。
ですが、初めての解剖学の口頭試験の時、私は彼らと同じグループで本当によかったと思う出来事がありました。筆記試験しかしたことのない私はパニックになり、勉強したことも全て吹っ飛びました。試験官が優しく質問をしてくれますが、半泣き状態の私には答えられません。ふと顔をあげてまわりを見渡したら試験官の後ろに座っているグループの生徒たちと目が合いました。そしたら皆が口をそろえて「あなたならできるから落ち着いて答えてごらん!」恐る恐る、試験官に聞かれた骨の部位を模型で指さします。またちらっと皆を見たらにっこり笑って縦にたくさん頷いてくれていました。もういくつかの質問をされ、答えを一言だけ言ったり、指でさしたりして試験は終わりました。この間皆はずっと見守っていてくれました。私はあまりの情けなさに、1人で部屋を出て外のベンチで体育座りをして鼻水をずるずる垂らしながら落ち込んでいました。そこにグループの生徒が1人来て一緒に座っていてくれました。「一緒に勉強して頑張ろうね」私がこれまでの5年間、ここにしがみついて来られたのはこんな仲間がいたからです。個々の理由で今ではほとんどの人とばらばらになりましたが、あの時皆が支えてくれていたから私は強くいれたのだと思います。
ブダペストの町は私を励ましてくれたものの一つです。ブダペストは古い建築物がそのまま残されています。ほんの少しの知識しかありませんが、この町の魅力を感じるには十分でした。ハンガリーに来た最初の秋に地図を片手に1人で観光をしました。東駅の近くに部屋をとり、そこから興奮していた私は走ってエリゼーベト橋まで一直線に向かいました。川を渡りゲッレールトの丘の頂上を目指して、途中でおそらくインチキな賭博をしているのであろうおじさん達を横目に駆け上りました。丘の上から見下ろす町の景色はすばらしいものでした。少し肌寒い季節で空も曇っていましたが、それがより一層ブダペストの古い建物が引き立って見えたように思えます。1人暮らしを始めたばかりの18歳の私にとって1人で英語があまり通じない異国の土地を歩くというのはとても意味のあることでした。今までは親に頼りっきりでいた私は1人になることに心細さを感じていました。1人で観光するということは大それたことではありませんが、少しばかりの自信に繋がりました。
5年は長かったけれど中身の詰まった時間だと思います。いろんな人や出来事に支えられたから頑張ってこられました。残り2年と短い期間しか残っていませんが、悔いのない時をセゲドで過ごしたいと思います。 |