みなさん、こんにちは。ただいま、9月25日。名古屋からヘルシンキへ向かうフィンランド航空の機中です。これからヘルシンキを経由しブダペストへ向かいます。ハンガリー・デブレツェンで開催される熱気球世界選手権(10月2日〜10日)に参加します。
 今回、『ドナウの四季』にスペースをいただける事になり、スカイスポーツの一つである「熱気球競技」とその世界選手権について、「どぶ板」活動をご報告したいと思います。
 
2006年ドバイ・バルーンフェスティバル ドバイ好景気の最中、ドバイ政府が全世界から100機以上の気球を招待(航空券から滞在まで)。

〜競 技〜
 
 熱気球を実際にご覧になったことはなくても、映像や歌や写真などに「風まかせ」のロマンティックな乗り物として登場するので、皆さんご存知かと思います。空を風に乗って飛ぶ事を楽しむファンフライトや、長距離や山岳フライトなどのアドベンチャーフライト、そしてターゲットにいかに近づけるかを競う競技フライトなど、熱気球のフライトにも様々な種類があります。
 熱気球の大会は、ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアなど世界各地で開催され、日本でも佐賀をはじめ各地で行われています。これらのレースに出場している選手にとっては「競技」ですが、一般のお客さんからみると、季節の風物詩。色とりどりの熱気球が、空にふわりと浮かんでいる、鮮やかな美しい世界です。
 ここに紹介する写真は2006年にドバイで開催されたバルーンフェスティバル。そして、アジア最大規模(観客動員数では世界最大)の熱気球大会「佐賀バルーンフィエスタ」の写真です。今回、ハンガリー・デブレツェンには、120機もの熱気球が集まります。世界各地の国内予選を勝ち抜いてきたトップレベルのテクニックを持つパイロットが集まります。
 世界選手権では、「いかに正確に飛ぶか」を競います。熱気球のフライトは風まかせです。しかし、風は高さや時間の経過によって異なる方向に吹いています。その見えない風を各種データと経験から予想し風をとらえます。たとえば5キロ離れた距離から目標となる地点までフライトし、数センチメートルの単位まで寄せるといった、高い精度を競います。
 熱気球競技は、気球に乗るパイロットと、地上で支えるクルーのチームプレーです。ただ「スポーツ」というよりは、近年では各種計器や測定器・パソコン操作なども絡み、かなり複雑な頭脳プレーも混在したゲーム性の高い競技です。目標地点に向かって正確に飛ぶといった面ではゴルフを三次元競技にしたようなイメージ。そこにF1のようなチームでの役割分担が必要となる競技。そんなイメージでしょうか。
 日本選手はまだ世界選手権で優勝したことがありません。
 
〜熱気球の歴史〜
 
 1783年フランス・リヨン近郊で「モンゴルフィエ兄弟」による熱気球フライトが人類初となります。国土の広いヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアはじめ、各国で熱気球愛好家が活動しています。特に、ヨーロッパでは「貴族の遊び」として定着してきたとも聞いています。
 日本の熱気球の歴史は、1969年にはじまりました。第二次世界大戦が終わり、日本が経済成長に突入した1960年代、日本でもスカイスポーツへの関心が高まってきました。当時京都の学生だった「島本伸雄」、「梅棹エリオ」によって製作された手作り気球「イカロス5号」が日本初の熱気球として飛行に成功し、日本中を沸かせました。梅棹エリオさんは今年ご逝去された梅棹忠夫先生のご子息です。当時の国内に熱気球のノウハウは皆無。暗中模索で熱気球の技術を探り、資金繰りに東奔西走しながら、1969年9月27日「イカロス5号」の飛行を実現させました。このように日本の熱気球スポーツは、どちらかというと学生の活動からスタートし、やる気と情熱さえあれば誰でも参加できる世界です。
 それから40年。ヨーロッパなど各国からは大きく遅れをとったスタートでしたが、日本の熱気球の競技レベルもぐんぐん上がり、今回の世界選手権には日本人パイロットは7人と世界各国の中でも最多のレベルとなりました。天才的なフライトテクニックを持つ2世パイロットも誕生し、今回こそ日本選手の優勝をと意気込んでいます。
 
佐賀バルーンフィエスタ アジア最大の熱気球大会。11月 秋の佐賀の風物詩。

〜大会準備〜
 
 熱気球の海外競技に参加するためには、さまざまな事務作業・テクニック、そして「コスト削減」が最大の課題となります。コスト削減を意識すれば、自ずからハンガリーの会社や個人との直接交渉にならざるを得ず、非常に地道で粘り強い作業になります。昨年11月、国内選考によって7人の代表選手が決まり、日本チームが発足しました。しかし、「熱気球世界選手権 日本チーム」と言っても、事務局のような組織はありません。
 世界選手権は2年に1度開催されます。2008年はオーストリア、今年はハンガリー、2012年はアメリカ合衆国で開催予定です。大会本部に頼ることができる準備部分もありますが、多くは選手たち自身で解決しなければならず、特に今回の世界選手権は、デブレツェンの大会本部側の問題が山積みの中でスタートしました。
 デブレツェンは2006年頃に「2010年世界選手権」に立候補し、2008年冬に開催が決定されました。当時は、デブレツェンの街も潤っていて、企業スポンサーも手を上げていたと聞いています。しかし、その後、リーマンショックからの経済危機に。当初は10月開催ということで国際航空連盟から承認されていましたが、昨年11月頃、デブレツェン側から急遽8月開催への変更の意向が示されました。8月ならフラワーカーニバルなど夏のイベントと重ね、一般のお客さんの観光誘致がしやすいからという理由。しかし、イギリス・アメリカはじめ各国は8月に国内選手権を開催するため、「絶対駄目!」と却下したのだそうです。
 一時は、開催自体が危ぶまれるような状態でした。日本チームにも、「開催されるかわからない」、「8月になるか10月になるかわからない」と不安定な情報が届きました。すったもんだで、ようやく今年3月に、エントリーフィーを400ユーロから、600ユーロに上げるということで、秋開催に決着しました。ざっと見積もって600ユーロ×150チーム(競技130機+フェスタ部門)=90,000ユーロ。これで最小限の大会運営はできます。オフィシャルパーティーや飲食で地元還元される分もありますから、大会を主催するデブレツェンには少しばかりの収益もでるはずです。しかし、4月末のエントリーフィー締め切り以降は、何の音沙汰もなく、本当に、世界選手権は開催されるのだろうかとの声もちらほらと出る始末。それでも、準備活動を停滞させるわけにはいきません。
 世界選手権までに辿り着くまでの選手側の準備は、大きく分けて、①フライト手配、②宿泊手配、③機材空輸、④レンタカー手配があります。フライトと宿はとても簡単です。インターネットを使い、より安く快適で、体調管理をしやすい場所を選びます。日本人チームは二つの宿に分かれ、30名程で小さなホテルを借り切り、残りはキッチン付のアパートを借り切りました。アパートは13人で13泊1252ユーロです。この金額からお分かりのように、これが日本チームの金銭感覚です。
 大変なのはレンタカーと機材輸送。まず、熱気球を運ぶことができる車が必要となります。今回は7台のミニバスかダブルキャブ、数台の乗用車を探しました。もちろん、安いことと信頼できることが条件です。大会主催者の斡旋を待つこともできますが、それはあまり期待できないと思い、昨年から地道にリサーチを続けました。手段はもっぱらインターネットです。ハンガリー語のサイトが多いため、自動翻訳機を使い、およそ30社と連絡を取りました。
 VW Transporter、MercedesVito、FordTransitなどが該当車種となります。大手レンタカー会社が、「870 EURfor seven days, 125 EUR for eachextra day after that」。個人経営だと思われる小さな会社だと、1日7,000HUFほど。レンタカー会社の方の丁寧な対応、会社の規模などから、「よし、ここだっ」と、Cargorent Kft.という会社にお願いすることになりました。気球を乗せるために、3列シートの3列目を取付金具ごと取り外してもらう、床を保護する板を敷いてもらう、レンタカーを借りる当日ブダペストの宿泊施設まで迎えに来てもらう、カーナビはおまけで・・・などなどの結果、7台のFordTransitと2台のSuzukiを16日間レンタルし、5,800EURとなりました。
 といっても、レンタカーを受け取りに行くのは、明々後日です。果たしてちゃんと希望した車両があるかどうか。きっと大丈夫でしょう。ハンガリーの担当者の女性の細やかな対応、そしてメールから伝わってくる誠実さを信じています。
 そして、大変なのが機材の空輸。今回は1,200kgの輸送です。代表パイロットの一人が今年になってから空港の運送会社で夜間アルバイトをしてコネクションを作り、そこで見積りをとった後に相見積りを取ったりして、最終的に日通航空さんにお願いすることになりました。カルネを自分たちで作成し、あの手この手を使い、とりあえず日本からハンガリーの片道1,200kgを70万円。高いのか安いのかよくわかりませんが、とりあえず数日前にブダペストに到着し、無事輸入許可も下りたとのこと。ほっと一安心です。
 
〜ロシア上空から〜

 ブダペストのサマータイムに変更したパソコンの時計が11時を指しています。名古屋を離陸したのは日本時間で11時でしたので、7時間飛んだことになりますね。
 今日は、ブダペストに到着した後、盛田常夫さんにお会いします。明日26日、うちのチームはブダペストマラソンの駅伝部門に参加です。なぜ、盛田さんとお知り合いになることができたか。それはハンガリーの様々なリサーチの一環で、盛田さんのお名前を昨年から何度も目にし、ついにはメールを出してしまったからです。こうしたリサーチの結果はどう実を結ぶでしょう。
 次号では準備・手配の結果や熱気球競技の結果をご報告します。

(かとう・しの 熱気球世界選手権 日本代表チーム)