ハンガリーの人々は音楽を楽しむ。コンサートに行くと老若男女と出会う。オーケストラもドイツ・グラマフォンの格付けで世界9位にランク付けされているブダペスト・フェスティバル交響楽団を始めブダペストと大きな地方都市に立派なオーケストラを数多く有し、また、オペラ、バレーも盛んである。
 私は音楽が好きである。ハンガリーは、その意味で格好の赴任地である。

 私が始めてクラシック音楽に強く惹かれたのは、中学一年の時である。授業で聞いたベートーベンの田園交響楽に魅せられてレコードを始めて自分で買い求めた。当時のEP版という小振りのレコードで、ジャケットはヨーロッパの美しい田園風景の写真であった。何度も蓄音機で聴いたが、佐世保という九州の地方都市では、本物のオ-ケストラを聴く機会はなかった。それが中学二年の時に父がロンドンに赴任することになった。
 英国は中高一貫教育である。学年を超えて生徒達が交わっている。ある日、年長のリーダー格の生徒が、低学年の我々がたむろしている所に来て、ロイヤル・アルバート・ホールのプロムナード・コンサートに行かないかと誘ってきた。プロムナード・コンサートは若い人向けに一流の音楽家が安い入場料でコンサートを行う祭典である。早速プログラムを見ると、ベートーベンの田園交響楽があった。当日は、初めての生のオーケストラを聴くことで興奮していた。サー・エイドリアン・ボウルト指揮のハレー交響楽団の演奏であった。会場の雰囲気もあったが、音も違っていた。好きな曲だけに、演奏を聴くと共にメロディーが頭の中に出てきて、自分が想い描いているよりも魅力的なのに魅惑され、身体全体が音楽にすっかり包み込まれてしまった。会場も酔いしれていた。コンサートが終わっても興奮は醒めず、一緒に行った仲間と夜道を歩くのが心地良かったのを覚えている。

 音楽会では、時々魔法が起きる。指揮者も、オーケストラも聴衆も全てが一つになってしまうのである。そのような時は、指揮者が指揮しているのか、オーケストラに合わせて指揮者が身体を動かしているのか判らない。指揮者もオーケストラの弾き手も聴衆も全てが音楽の虜になって、音楽の命ずるままに音の作り出す渦の世界に引き込まれて溺れてしまうのである。プロムの一夜はそのような魔法の夕べであった。このような魔法は、その後も何度か経験した。

 同じロンドンのことである。しかし、時はずっと後で、既に大使館に勤務していた。妻と二人でロイヤル・フェスエィバル・ホールに居た。指揮者はセルジウ・チェリビダッケ、オーケストラはロンドン・シンフォニー交響楽団であった。当時のロンドン・シンフォニーは評判高く、チェリビダッケもリハーサルの鬼と言われていた。曲目は、ベートーベンの交響曲第九番で、期待していた。始まると一糸乱れぬ完璧な演奏が流れ出した。チェリビダッケは、独特のお尻を振るような指揮振りで、ちょっと滑稽な感さえあるのだが、音楽の厳しさにそのような印象は瞬く間に消えてしまった。完成度と迫力に圧倒され、瞬きをしたかさえも判らないほど椅子に金縛りになっていた。終わった後の緊張が解ける心地よさと本物の一流を味わった満足感が残った。周りの聴衆も満足しきった表情で立ち上がっていた。

 より小さな演奏会でも魔法が起きることがある。アイザック・スターンの死を悼むボストンでの友人を中心とする小さな催しで100人前後の集まりだった。故人の友人だったピアニストのエマニュエル・アックスが追悼の曲としてシューベルトのピアノソナタ21番を弾いた。名前だけの簡単な紹介を受け、ネクタイも着けない出で立ちで、すっと椅子に座るとゆっくりと弾き始めた。それまでに聴いたこのソナタのどれよりもゆっくりとしかし太い音で語りかけてきた。ピアニストは泣いていない。しかし、音楽は泣いていた。集まったスターンの死を悼む人全てに替わって、この演奏は悲しみを込めて響いていた。

 オペラでも魔法は起きる。タングルウッド音楽祭のことである。指揮者は小澤征爾、ボストン・シンフォニー交響楽団の演奏で演目はサロメ。サロメを演じたのは、メトロポリタン歌劇団所属のデボラ・ヴォイクト。コンサート形式のオペラで、ヴォイクトにとっては、初めてのサロメであった。サロメは、私の最も好きなオペラの一つである。最前列に陣取って楽しんでいた。ヴォイクトのやや太めのソプラノの声はサロメに良く合っていた。サロメが銀の皿にヨハナーンの首を載せて接吻するシーンで、ヴォイクトは、サロメになりきって恍惚として歌い上げた。サロメがヨハナーンの唇に接吻すると魔法が掛かった。ヴォイクトの表情が恍惚として、声が更に透き通ると、オーケストラが一つの生き物になった。奏者は、彼女の声に釣られて身体を前後左右に揺らしながら踊っているかのように演奏し、指揮する小澤征爾氏は、取憑かれた様な勢いで手を動かしている。聴衆は、息をも呑めないでサロメの狂気の世界に引き込まれていった。
 ハンガリーの魔法はどのようなものか。魔法に掛かるのが楽しみである。

(やまもと・ただみち 駐ハンガリー日本国大使)