9月初旬のある晴れやかな日にその日がやってきた。
 「10月末を以って、帰任、同時に退職」と、そのことは、事前に充分予想が出来ていたとはいえ、いざそれを聞くと、心に空きが出来たような寂しい思いが涌いてきた。
 サラリーマンとして充実した毎日を思い出すより、「町野さん、時間ですよ!!」と聞いたようで、言葉に表せない空虚感が体中を駆け巡った。一方で、ピッチの中を90分間フルに、休み無く動き、更にアディショナルタイムもあったから良しとするか、と頭をよぎった。

 思い起こせば、2003年4月にハンガリーに異動し、既に10年と7ヶ月になろうとしている。当然のように、その期間は長かったし、短くもあった。しかし、短かった感が勝っている。その理由はゴルフだ。
 飽きるほどパンノニアに通ったはずだが、まだまだ通える。満喫していない。ヤットここ数ヶ月、90台前半のスコアが出始め、年間数回あるかないかの、80台のビッグスコアの可能性に手が届くまでに“流れ”は自分に向かいかけている。その証拠に、9月、並み居る豪傑を負かし、最年長(多分)優勝を勝ち取った。この流れの来るのが遅かった。10年間掛かった。しかしまだ流れの向きは変わっていない。まだ1ヶ月ある。気象条件が悪化する中で、何とか80台前半の自己ベストを。

 これまで、パンノニアに何回通った事か、記録はないが、400回前後だろう。私以上に通っているゴルファーを知っている。彼らは私の現在完了と違い、まだまだ現在進行形だから700回以上は可能だ。

 思い起こせば色んなことがあったゴルフ場だ。
 人間耐久ゴルフ。1日に3ラウンド回ろうとの話がでて、実行した。40歳代後半から60歳前半までの4名。真夏。熱中症を心配して、電動カートの出番。
 その日はクラブ主催の公式コンペが組まれていて、思うように回れなかった。先ずは1ラウンド目、これは全員難なくクリア。スコアは2桁の人と3桁の人が半々。
 2ラウンド目、さすが、後半となると、カートでもきつくなる。何とか公式コンペとバッテングせず、回った。スコアは2桁が1名。3人が3桁。カートの速度が落ちてきた。
 3ラウンド目、インに入ると、コンペの最終組に追いつく。それを避けて空いているコースを選び、カートを走らせる。そして、また元へ戻る。最初に参ったのが、電動カートだ。回り道をしているため、ついに1台のバッテリー上がり。その時点で残りのホールは5ホール。まだ元気な1台に4セットのバックをのせ、運転手のみ。3人は歩き。何とか日没を前に、継ぎはぎで54ホール完走した。3ラウンド目は全員が3桁のスコア。
 その日に昼食を取ったか今は覚えていない。それでも、もうこりごりだとは思わなかった。また、チャンスがあればチャレンジしたかった。

 次は4カ国対抗戦。
 この対抗戦は確か、チェコのJETROの提唱で2006年から開始されたと記憶している。チェコ、スロバキア、オーストリア、ハンガリーの4カ国のチーム戦と個人戦である。最近では各国の持ち回り幹事で、幹事国のコースを使い、年間の最大行事として、今年は8回目を数えた。
 過去のハンガリーチームの成績は優勝1回と不本意である。私はこのコンペを大人の遠足にたとえ、無性に楽しく、1泊2日の遠征は待ちどうしく、年間の最優先イベントの位置づけである。
 しかし、仕事の調整が付かず、1回だけ、欠席した。その時にハンガリーは優勝した。私が参戦した時は常に優勝を逃がしている。2回のホームの試合でも優勝を逃がしている。その当時の成績を見て、私が、チームの足を引っ張っているとは思わないが、貢献しているような成績でもない。
 来年の9回大会は ホームでの開催である。残念ながら私は出席できないが勝てる大会となると予想する。「ホームであること。前夜祭ができないこと。町野欠席のこと」。勝てる3拍子が揃っている。

 本帰国後は、冬場を除いたシーズンでも、月1回ゴルファー以下に落ち着くと思う。何故、ここでは、毎週末、5時半起きでそそくさとゴルフ場に向かうのか?趣味を同じくする人と心底面白く、可笑しく楽しく時間を過ごせることが、すばらしい。
 ゴルフは楽しいが、周りの人達との会話はもっと楽しい。
 あるハンガリー駐在の先輩がパンノニアは何回プレーしても飽きない。最高のコースだ。その言葉に異論は全く無い。もっと飽きないことは、すばらしい人たちとの会話。これに尽きる。
 最近、雨の日が多くなり、グリーンの状態が最高に仕上がってきた。プレーの機会は残り少なくなったが、その貴重な時間を仲間と大事にしよう。

(まちの・のりよし マジャールスズキ)