私が、ここ、ハンガリーに来たのは、一昨年の夏だった。ちょうど二年ほど前だ。カレンダーをめくれば長く感じる二年でもあり、記憶をたどると短かった二年でもある。
 ここにいる間、私は、日本にいたらできないであろう経験をたくさんした。そのおかげか、成長できたなと思うことがある。例えば、言語。こちらに来る前は、英語や日本語以外の多言語は、普段の生活で使わないものと思っていた。でも、こちらでは、英語はもちろん、他にももう一つ話せたらいいなと思うようになった。夜に外食でレストランに行けば、ハンガリー語だけでなく英語を使って意思疎通をする。日本語がわからない知り合いの人と会話するときもハンガリー語と英語が主だ。ハンガリー人にとっても英語は多言語なはずなのに、なぜ、こんなに話せるのだろう。最初はそう思っていた。でも、そんな考えも、だんだんと変わっていった。ただ、私が話せなさすぎた、それだけなのだろう。私が関わってきた人たちは、誰もが私の手本になった。自分の知っている英単語やハンガリー語で、相手の人と会話できたときは、とてもうれしい。言語は意思疎通のための道具でしかない。でも、私は、今後も、自分の英語をもっと磨いたり、ほかの言語を学んだりして、多くの人と意思疎通を図りたい。
 自分が成長できたと思うところはまだある。日本から出てから、自分の視野が広がったと思う。私は、以前、日本から出たことがなかった。日本の外を全く知らず、ただ一人で、ああ、日本は素晴らしい、いろいろなものがあるし、食べ物も日本のものが一番おいしい、と。でも、それは違う。ハンガリーにだって、素晴らしいところがある。ハンガリーには、たくさんの自然がある。豊かな文化がある。昔ながらのかわいらしい建物がある。ハンガリーらしい国会議事堂がある。橋もある。食べ物も、すべてしょっぱくて辛いわけじゃなく、おいしいものだってたくさんある。旅行で行った国々にだって、素晴らしいところがある。日本だけが素晴らしいわけじゃない。それぞれの国には、それぞれの素晴らしいところがある。視野も広まり、日本という国が嫌いになったわけじゃない。むしろ、もっと好きになったところもある。ハンガリーにおいて、日本語の勉強は人気なのだそうだ。バスの中で、私たちが日本人だとわかると、うれしそうに話しかけてくる人もいる。この前も、隣の学校の子が、何か手伝おうか?と声をかけてくれた。そんなことに、そんな人たちに出会うたびに、私は、なんとなくうれしくなる。日本は、全員の人に、ではないとしても、好かれている国なのだろう。相変わらず、白米を食べたくなるし、和食を食べればほっとするし、日本独自の文化も好きだ。日本はやっぱりいい。以前、大使館に校外学習で伺った時、話をしてくれたある職員の方が、外国にいると、日本がより好きになる、と言っていた。今では、それがよくわかる。
 私は、ここで、多くのことを自分の力にした。たくさん成長できた。これから帰っても、ここで手に入れたたくさんの思い出やことを大切にして、これからも、もっともっと成長し続けたい。