思い返せば十数年前、5年弱勤めた会社を退職し、夫の住むブタペストに移り住んだのは、遠い昔の初夏の頃でした。ブタペストから離れた夫の実家へ向かう車の窓から見えた可憐な赤いポピーの花が新緑の中でひときわ目立っていたのが印象的でした。山のない平坦な土地は道が真っ直ぐ伸びブタペスト市内とはまた違う素朴な風景が広がっていました。今でもあの花を見かけると当時のことがふっと頭を過ぎります。あの当時はブタペストの夏は日本と比べると随分快適で、むせ返るような暑い日本の夏が耐え難かった私にとってブタペストに越してきて良いことの一つに夏が快適であると思ったくらいです。

 それから十数年たち3人の子どもの母になった私は、あの頃、花を眺めていた当時の気持ちの余裕もどこえやら。夏が近づくと長い夏休みをどのようにしたら子供たちが楽しめるのか、来週は何処に預けようかとそのようなことばかり考えています。私が子供の頃、母は専業主婦でした。学童保育もありましたが通っているのはクラスでも数名だったような記憶があります。そんな私の母は預け先に困ることはなかったものの子供が休みの間は3度の食事の支度が大変だったと後になって聞きました。それに24時間子供と一緒というのも気力、体力のいることです。そんなことは当時の私はつゆとも知らず、私にとって夏休みの出来事は良い想い出として鮮明に記憶に残っています。泳いで真っ黒に日焼けしたこと、疲れて畳の上でお昼寝したこと、地元のお祭り、花火大会、お盆の帰省、そして夜更かし、ちょっと記憶を辿れば数え切れないほどの想い出が次から次に蘇ってきます。夏休みの宿題をのぞけば何も心配事のない平和な夏休みでした。
 気がつけば 今の私は昔の母の立場になってしまいました。日本より更に長い夏休みを、仕事もしながら子供たちの世話もしていかなければならない何とも難しい立場です。そんな私にとっては少々やっかいな夏休みですが、子供たちにとっては待ちに待った夏休みです。あれこれ考え、どうにか楽しい夏休みを過ごさせてあげたいと思うものです。
 今年の夏で一番印象に残っているのは、小学校へ進級した娘を4泊5日のターボール(キャンプ)に参加させたことです。学校が主催しているのでなんだか信用もできるし、娘に話をすると一つ返事で行きたいとのこと。「初めてで5泊かあ」、とちょっと考えていた私ですが、娘はその長さを理解しているのか、してないのか、ターボール=外泊という言葉に喜んでいるようでした。1年生からでも参加できると書いてあるし、本人もその気なので思い切って参加させることにしました。説明会に行ってみたものの、毎日プログラムがありなかなか楽しそうです。先生も10人の生徒に対し先生が1人付くらしく説明会に出席して少し安心しました。忘れ物がないように荷造りをし、娘と一緒に荷物を一つ一つ確認しました。荷物のことを色々と説明しましたが本人は理解っているのか、いないのか。出発の当日、時間どおりに機嫌よく起き、心配よりも期待に溢れた様子の娘の姿に対し、言葉には出さずとも明らかに心配そうな私達夫婦。携帯電話は持たせなかったので夕食後に先生の携帯に電話して娘に繋いでもらい話をすることもできましたが、逆に連絡を取らないほうが良いだろうと思い連絡も取りませんでした。
 その娘がいない4日間、子供が2人ってこう言う感じなのかなあ、やっぱり1人いないと楽だなあとしみじみ思いながら過ごしました。最終日の金曜日にブタペストに電車で到着予定であった娘を夫が迎えにいってくれ、そこからまだ仕事中だった私に電話で無事着いた連絡を貰った時はさすがに一安心しました。
 今年の夏もなんとか乗り切りましたが、また娘が大人になり子供時代の夏休み良い想い出として記憶に残していてくれれば良いなあと思います。

(おかもと・さとこ)