仕事柄、ネットや新聞・雑誌でたくさんの文章を読んでいるので、家で読む書籍は仕事と直接関係のないものになる。しかも、長編小説のような長いものではなく、新書のように短時間で読める書籍がほとんどだ。最近読んだものの中で少し長いものでは、梅村裕子さんが訳された『コチシュ・ゾルターン』(現代思潮社、2007年)が面白かった。ハンガリーの音楽記者が1年にわたって、コチシュを追いかけた通信・コミュニケーション報告である。一流の音楽家がどのような日常生活を送っているのか、どのような音楽作業を行っているのかが、手に取るようにまでとはいかないが、少しだけ分かる本である。もっと創造過程の内部に踏み込んでいればもっと興味深いものになったはずだが、多分、それは音楽家本人が書く以外にないだろう。しかし、音楽家がそれを記す余裕や能力があるかどうかはまた別問題だから難しい。芸術であれ科学であれ、創造過程の分析は教育の発展にも役立つので重要だ。芸術分野に比べて、学問分野の創造過程を再現して描写することはそれほど難しくないし、私が翻訳した『コルナイ・ヤーノシュ自伝』(日本評論社、2006年)などは経済学者の創造あるいは思考過程を知る上でたいへん貴重な資料でもある。旧社会主義世界から生まれたコルナイ理論のユニークさが多くの経済学者を惹きつける魅力になっているが、この自伝からコルナイの理論関心の発展と理論形成のプロセスを読み取ることができる。それが専門家の高い評価を受けた理由だと考えている。社会学ではこのような創造過程研究が独立分野としてあり、科学過程論とか創造過程論とか呼ばれるものがそれに当たるが、研究者の数はそれほど多くない。多くの芸術家が自らの創造プロセスを是非、書物の形にして欲しいものだ。
私の日ごろの読書は手当たり次第。新聞広告で面白そうなテーマがあると、Amazonで注文し、日本へ帰国した時にまとめて持ち帰る。ここ1〜2年注目しているのは、生化学者の福岡伸一である。『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書、2007年)は彼のヒット作になったが、「生命は流れの中にある」という基本視点から、生化学のいろいろなテーマを非常にうまく物語に仕上げている。「科学エッセイ」とでも呼べるような分野を切り開いている。物語の構成が良くできていて、短編の推理小説のような味わいがある。この続編が、『動的均衡』(木楽舎、2009年)、『世界は分けてもわからない』(講談社現代新書、2009年)である。多分、高校時代にこれらの本を読んでいたら、社会科学ではなく、生化学の分野へ進んでいたかもしれない。福岡さんの著作は高校生や大学生が生化学研究を志すバイブルになると思う。
2009年秋に日本へ一時帰国した時に、「ハプスブルグ絵画展」を宣伝していた。実際に足を運ぶことはできなかったので、空港の書店で見つけた中野京子『名画で読み解く ハプスブルグ家12の物語』(光文社新書、2008年)を持ち帰って読んだ。なかなか歯切れのよい明快な解説で、絵画をもとにハプスブルグ650年の歴史を駆け足でめぐる物語である。絵画は私の趣味に入っていないが、この本を読むと、それぞれの絵にある事情や社会的背景を知ることなしに、絵画を楽しむことができないことが良く分かる。もっとも、それはすべてのことについて言えることで、スポーツでもルールや競技の妙技を知らないスポーツを見てもつまらないし、ロシアの歴史時代を知らなければロシア文学作品を楽しむことはできないだろう。前提になる知識があるかないかで、作品の楽しみ方や理解の仕方はまったく違うものになる。
その時々で、関心が変わったり、ふとしたことで何かを知りたくなったり、高校時代や大学時代に読んだ本が懐かしくなったりして、購入したのに読んでいない本を書棚で探したりする。長谷川宏さんという在野のヘーゲル研究者が、1990年代初めごろからヘーゲルの作品を次々に翻訳していることが気になっていた。ドイツ哲学の難解さは良く知られているが、難しさのかなりの部分は翻訳にあるのではないかと考えていた。昔の学者さんはヘーゲルにしろ、カントにしろ、あるいはマルクスにしろ、難しい熟語を編み出してそれぞれの理論の新しい概念を日本語に翻訳していた。悪戦苦闘して訳したものだから、文章の言い回しも、ドイツ語原文よりも難しくなっているのではないかと思ったものだ。大学や大学院で原書購読というと、長い文章から与格や対格がどれかを探し出して解読するようなものだったから、自然と訳文も難しくならざるを得なかった。こういう先生がドイツに留学したのは良いが、ドイツ語の会話が成立しないので、内に閉じこもって鬱病になって日本へ戻ってくるという話をよく聞いたものだ。
大学研究者の道を歩まず、在野の研究者としてヘーゲル研究を続けてきた長谷川さんが、非常に分かりやすい文体でヘーゲルの翻訳本を出したことが話題になっていた。大学時代にマルクスの『資本論』を読み始めた時に、これはヘーゲルを読まないと理解できないと思い、岩波文庫の『小論理学』などを読んだが、以後はヘーゲルに関心が向くことはなかった。だから、長谷川さんの翻訳本を買おうと思うところまでは行かなかった。ところが、たまたま本屋で『新しいヘーゲル』(講談社現代新書、1997年)を見つけ、ブダペストに持ち帰った。なるほど、長谷川さんのヘーゲル解説は平易な言葉と語り調になっている。こういう文章は大学の先生には書けない。在野の研究者として苦労し、一筋にヘーゲルを追いかけた成果が実っている。拙著『ポスト社会主義の政治経済学』を執筆するにあたって、第一章に「体制転換の哲学」をおき、体制転換に社会哲学的な考察を加えようと努力した。まさにそのような知的営みが、ヘーゲルへの関心を再び呼び起したようだ。次回の一時帰国には、長谷川さんの翻訳一式を仕入れてくることになろう。
JSTVのニュース番組を欠かさず見るが、それ以外の番組はほとんど見ない。ところが、「天地人」だけは見るようにした。戦国の時代から国家統一に向かう激動の時代に生きたいろいろな武将たちの生き様は、現代にも通じるところがある。石田光成は今で言えば「会長秘書」のようなもの。秀吉会長の威を借りて、諸大名(地方支店長)を牛耳ってきた付けが、関ヶ原の合戦で小早川の裏切りにあった。諸大名の苦労を理解して、うまく束ねる人望がなかったのだろう。やはりいくら能力があっても、「秘書」上がりでは国(会社)を治めることはできないのだ。それはそれとして、このような国造りの時代には、大きな理想や大義を掲げて闘うという美しさがある。公的資金を盗むことに勤しんでいるハンガリーの政治家や彼らとつるんだ事業家とは大違いだ。旧社会主義国の体制転換に大義がなかった訳ではない。しかし、ほとんどの人はすぐに大義を忘れ、国家資産の略奪に走ってしまった。しかも、そうやって巨額の富を築いた人が国の指導者になっている。キプロスやタクスヘイヴン地に資産を移している政治家が国民に緊縮政策を訴えるのは、どう考えても理屈に合わない。だから、極右的な政治勢力が台頭してくる。いつの時代にも腐敗した政治家に絶望して、極右や極左への支持が広がる。
こうやって考えていると、ふと以前に購入したまま頁をめくっていない本に手が行った。秦郁彦『南京事件−増補版』(中公新書、2007年)である。南京事件70年を機に、1986年出版の旧版に、「南京事件論争史」を加えた増補版が発刊された。1937年の南京事件はそれから8年にわたる「対中戦争」への突入を決定づける事件になった。中学時代の図工の先生が、「戦争はいかん」と何度も授業中に語っていたのを思い出す。終戦から10年以上も経っていたが、「夜中に叫び声をあげて目を覚ます」という。中国人を池の縁に座らせ、日本刀で首を切った時の情景が思い浮かぶというのである。いわゆる「試し切り」と呼ばれる行為は、対中戦争で良く知られた処刑法だった。
南京攻略に大義はなかった。いたずらに戦線を中国全土に拡大する侵略戦争に、何の大義もなかった。南京攻略に駆り立てられた日本兵は、十分な後方支援を受けることなく、肉弾戦を強いられた。その苦しさと同僚を殺された憎しみ、飢えの中で、南京城の攻略が始まった。他方、中国軍は撤退時期を誤り、正面突破を試みた部隊や揚子江に逃れようとした部隊は、機関銃掃射で皆殺しにされた。揚子江が中国兵の死体で埋まったという。その数は万を超えると言われる。しかし、これはふつう「南京虐殺」の数字の中に含められない。日本軍に大義のない侵略戦争だから、撤退する軍人を大量に殺したのも虐殺のうちに入ると思うが、不法なものであれ、軍人の殺戮は「虐殺」に含めずに、「戦死」という扱いになるらしい。
「南京虐殺」として批難されているのは、南京城制圧以後の日本軍の無法ぶりである。とにかく兵士は飢えと憎しみに固まっていた。だから、戦闘が終わった後は、民家に押し入り、婦女子を強姦し、食料品を強奪した。将校もそれを止めなかった。強姦・強奪の証拠を残さないために、いとも簡単に民間人を殺し、家屋に火を付けた。さらに、難民区へ流れた中国兵を摘発するために、難民区から成年男子を連れ出し、処刑するのが日課になった。これは南京攻略からほぼ2カ月にわたった。捕虜をとっても収容する施設がなかったので、「捕虜をとらない」ことが暗黙の了解になった。つまり、捕虜はすべて殺すということだ。部隊将校の「百人切り」や「二百人切り」の首切り競争が行われたのは、このような異常な状況の出来事である。
このような行為は国際法に違反するだけでなく、皇軍(天皇の軍隊)の倫理とも相容れぬはずである。しかし、大義なき戦争はすべての倫理的な足枷を断ち切ってしまった。この南京での虐殺をめぐって、現在もなお、日本では「大量虐殺派」と「虐殺まぼろし派」の論争が続いている。もっとも、秦氏によれば、「まぼろし派」のほとんどは虐殺の存在を否定するわけではなく、数を最小限に見積もる派だ。ただ、数名の論客はまったく虐殺はなかったと主張しているようだが、これはいただけない。
陸軍が慰安婦を送りだすようになったのも、この南京事件を教訓にしてのことだ。しかし、大義のない戦闘によって、兵士の心は荒れ、無用な殺生を続けることになった。日本国あるいは日本人はその責任をどうとったのだろうか。A級戦犯の処刑で、日本帝国主義の侵略戦争の責任問題は解決済みと言えるのだろうか。
戦国時代を終焉させた徳川幕府も、250年の歴史で幕を閉じた。社会の体制が変わる大変動の時代には、再び大きな大義や理想が現れる。第二次世界大戦から生まれた社会主義が崩壊して、新しい社会体制が生まれる。こういう変動の時代には、やはり社会哲学が必要になる。ヘーゲルもまた、フランス革命を目の当たりにして、社会発展の精神(理性)に考えをめぐらした。「金もうけ」や「生活のノウハウ」を教える書物も良いが、こういう時代には、もっとインパクトのある古典を読んで、思考力を付けたいものだ。せっかく社会が大きく変動する歴史時代に生きているのだから。 |
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