私は現在、ブダペストを拠点にコンテンポラリーダンスを中心とした活動をしています。ハンガリー人をはじめ、国際的なアーティストとのコラボレーションワークは、いつも新しい発見があって面白いです。私は12 歳でバレエを始めてから、「踊り」という全身を使った表現方法に魅力を感じています。中学・高校時代、アメリカへ2 度の短期バレエ留学に行った際、私は一日中踊りを学べることへ幸せを感じ、またこんな生活をしたい!と強く思いました。日本で踊りを習い続けることも可能な中、私が留学への道を選んだのは、海外での文化に対する考え方や、日本にはないような踊りのための学校のシステムを知ることで、自分の将来像に対しての希望が見えたからです。日本で高校を卒業後、ドイツへのバレエ留学、イタリアにてプロフェッショナルトレーニングコースを受けるなど約4年間に渡ってヨーロッパでダンストレーニングに励みました。
 2017 年夏、私は日本からハンガリーへやってきました。ハンガリーに来ることになった理由は「ディレクターからの返信が早かったから」といっても過言ではありません。少し残念な話ですが、例えば、踊りの機関10 ヵ所へメールを送っても2 ヵ所からしか返事が来ないというようなことはよくあることで、私もまた、海外との連絡が上手く取れずに困っていました。国が違うと時差がつきものです。連絡を取り合うために夜中まで起きていたり、早朝に起きたりということはしょっちゅうでした。そのため、海外と連絡をスムーズに取れることが、当時日本にいた私にとってはとても重要なことだったのです。
 イタリアでのコースを終えて日本に帰国した私は、次に踊る場所をまだ見つけることが出来ていませんでした。イタリアで学んだ9 か月間は、私がこの先コンテンポラリーダンスをやっていくきっかけを掴んだ時期でもあり、日本でバレエを学んできた私にとっては、コンテンポラリーダンスを踊る場所を見つけることは、ゼロからのスタートと同じでした。日本で活動していくことも一時真剣に考えた私ですが、それまで経験してきたこと、様々な国の人たちとの思い出が私の心をヨーロッパへと繋ぎ止めました。最後のチャンス!と家族と自分自身に言い聞かせ、私は再び履歴書を様々な場所へ送り始めました。そこで最初に届いた良い返事が、今のディレクターからだったのです。 私は当時、ハンガリーのことをよく知りませんでしたが、ダンサーとして出来るだけ早く、自分がいるこの環境を変える必要があると思い、そのダンスプログラムに参加することを決めました。いざブダペストへ着いてみると、不思議なことに懐かしい雰囲気を感じ、ここで生活していくことを想像するのは案外難しくありませんでした。最初の一年間は、プログラムに沿って色々な踊りを学びます。バレエ、コンテンポラリーダンス、コンタクトダンス、ボディーアウェアネスダンス、ピラティス等です。それまでダンスのテクニックを中心に習ってきた私は、身体の内部に焦点を当てて行うソマティックダンスをすることは新鮮でした。自分独自の動きをいくつも発見し、自身の踊りを内部から見つめ直すことができる良い機会でした。自分の年齢と同じ分だけこの身体と共に生きてきたのにも関わらず、そこから新しいものに気づく感覚はとても面白く、不思議な感じです。そんな中、時間を見つけては公演に足を運び、ダンスワークショップにも積極的に参加するなど、ハンガリーでのダンスコミュニティーを少しずつ広げていきました。
 ある日、私の先生からソロ作品を一緒に作ってみないかというお誘いを頂き、私は徐々にダンスプログラム以外の活動も始めました。そのうちの一つが舞踏の作品です。皆さんは、この日本発祥のコンテンポラリーダンスをご存知ですか? 実を言うと、私が最初に舞踏のことを耳にしたのはイタリアにいるときでした。その言葉に親近感は感じたものの、はっきりと何かはわからず、インターネットで検索したことを覚えています。私の先生は以前、舞踏マスターの竹之内淳志さんから舞踏を教わった時期があり、舞踏の要素を自然と私に伝えてくださっていたようです。それに気が付かないほど、舞踏は私の身体にすんなりと入ってくるものでした。私がある作品を踊った際に、見ていた人から「あなたが踊っているのは舞踏だよ」と伝えられて初めて自覚した時は驚きました。その後、ご縁があって竹之内さんと同じ公演で踊らせて頂けたことは本当に光栄でした。日本の踊りをヨーロッパで知り、学び、広めていくという経験はすごく新鮮です。ブダペストの庭園で行われた桜まつりでは、ハンガリー人の尺八の演奏家と共に舞踏の発表を行いました。舞踏を通してヨーロッパの中にある日本に気が付くことができたようで、私のハンガリーに対する視野はどんどん広がっていきました。また、少しずつですが自分の経験を他のアーティストと共有する機会を頂くことができたことも大変嬉しく思います。2017 年のSziget Festival では、オーストラリア人の振付家Liesel Zink のもと、ローカルダンサーとして作品に携わることができました。
 今年は、ハンガリー国立文化財団(NKA)の25 周年に伴い、25 歳のアーティストが集って行うガラ公演があり、私も参加させて頂きとても貴重な経験となりました。参加者それぞれが異なるアート活動をしているため、共に何かを作り上げることはお互いにとって挑戦でもあり、良い刺激となりました。私がハンガリー人のディレクターと作成したソロ作品「Augmented spaces」はブダペストで行われたダンスフェスティバルにて短編を発表したのち、初の単独公演を2018 年6 月に行い、12 月にはルーマニアでの初演が実現しました。2019 年に開催される日本でのダンスフェスティバルへの参加も予定されています。私にとって、コンテンポラリーダンスを日本で発表することは今回が初めてとなるため、今からワクワクしています。ハンガリーで作り上げたものを母国で発表することは私の目標の一つです。この機会に心より感謝し、この先に繋ぐことのできるものにしたいと思っています。
 私はハンガリーで生活していると、日本人だからこう感じるのかもしれない、生まれ育った環境と違うからこう見えるのかもしれない、そんな風に思う出来事に幾度となく遭遇します。そういった日々の出来事に基づいた作品作りをすることで、言葉以外の方法でも人々と「何か」を共有することをこれからも続けていきたいです。また、踊りはその時の感情そのものを、言葉よりも明確に直接人へ伝えられる気がするので、この表現方法には終わりがないように感じます。私がハンガリーで生活する上で培う経験は、ダンサーとしての活動範囲を多いに広げ、ダンスアーティストとしての個性に繋がっていると強く感じています。(https://ayumitoyabe.themedia.jp/