映画監督でハンガリー芸術アカデミー正会員のコーシャ・フェレンツが、2018 年12 月12 日、永眠した。10 数年前に心筋梗塞を患いながら余命5 年の宣告を乗り越え、近年は不整脈に悩まされていたが、81年の生を全うした。
 コーシャ・フェレンツは1960 年代に頭角を現したハンガリー映画の新世代に属しており、社会主義時代の不毛な映画界の刷新に大きく貢献した。1967 年のカンヌ映画祭に出品した「1 万の太陽」(Tízezernap、Ten-thousands Days, Ten-thousandsSun)は最優秀監督賞を受賞し、コーシャ監督の国際デビューとなった。その後、ハンガリーのドージャ・ジョルジュの処刑を扱ったÍtélet やヨージェフ・アッティラの自伝をベースにしたÖngyilkosság などの歴史的人物を対象にした映画や、日本の映画から着想を得たHószakadás(ドカ雪)などの優れた映画を制作した。
 コーシャ・フェレンツにとって、個人的に経験した大きな歴史的事件は1956 年のハンガリー動乱だった。処女作「1 万の太陽」は1930 年から1960 年までの30 年の歴史(1 万日)を生き抜いた一つの家族を扱ったもので、戦前編と戦後編から成り立つ家族の生き様を描いたものである。とくに動乱の描写には個人的体験が盛り込まれており、ハンガリー共産党(社会主義勤労者党)の活動家の処刑をめぐる描写がある。登場人物は動乱を「革命」と呼んでおり、これがハンガリー国内での上映禁止(およそ2 年)を招いた。
 本格的な映画制作としては最後の大作となったA Másik Ember(「いま1 人の人」あるいは「もう一人の人」)は、処女作と同様に戦前編と戦後編になっており、一つの家族の生き様を描くという点で、「1 万の太陽」とよく似たシナリオになっている。この映画の戦後編は1956 年の動乱に参加した主人公の迷う心の変化と、出身地の村の母や祖父の心情を描いている。この映画も処女作と同様に、ハンガリーの戦後のタブーであるハンガリー動乱を扱っていたために、制作年の1987 年の即時の上映は叶わず、1989 年に上映が許可され、体制転換を後押しする力となった(この映画の評論は以下のサイトを参照されたい)。(http://www.morita-from-hungary.com/japanese/05.htm)
 映画の脚本のほとんどはコーシャ自身が書き下ろすか、生涯の共同制作者チョオリ・シャンドールとの合作である。コーシャ映画の撮影はシャーラ・シャンドールが担当しており、チョオリとシャーラは生涯の友であり、共同制作者であった。コーシャは、チョオリとシャーラが待つ天国へと旅立った。
(2018年12月)