ハンガリー国立リスト音楽院 …ピアノの魔術師と呼ばれたリスト・フェレンツの名が付けられた世界で唯一の音楽院で、ハンガリーにおける音楽教育の最高権威。

 リスト音楽院の存在を知ったのはいつだったか、もう忘れてしまったのですが(恐らく自分が高校生の頃だったかどうだったか …)、ただただすごいなあという漠然なイメージしかありませんでした、ましてやハンガリーという国の知識は皆無だったので、なおさら漠然な存在でした。
 高校卒業後は上野学園大学演奏家コースに進学し、ピアニストの干野宜大先生のもとで音楽を勉強することになるのですが、この出来事が自分自身をハンガリーへ導くことになるきっかけになったのだと、今思い返してみるとそう思います。そうなのです、干野先生はハンガリーに留学され、リスト音楽院で学ばれていたのでした。先生にとってもハンガリーでの留学生活はとても濃厚なものだったようで、思い出話をたくさん聞かせて頂きました。

 

 大学に入学してから最初の秋、なんと日本に N.dor Gyrgy(ナードル・ジュルジィ )教授という、当時干野先生がリスト音楽院で師事されていた方が来日しレッスンをされるということで、レッスンを受けさせて頂くことになりました。これが私にとって初めてハンガリーに触れる体験となりました。初めて体験する本場のクラシック音楽に感動したのを今でも覚えています。
 ナードル先生は毎年秋に来日されていたので、年 1回ですがレッスンを受けることが出来ました。大学卒業が近づくにつれて進路を迫られた時に、「留学」という選択肢が出てきた時、留学先は「ハンガリー」、習いたい先生は「ナードル先生」と、もうすでに心が決まっていたと思います。ありがたいことに両親も「卒業したらどこか留学してこい」と背中を押してくれたこともあり、大学 3年生の秋のレッスンでナードル先生へ弟子入りの志願を迷わずしました。先生も歓迎してくださり、いよいよ留学のための本格的な準備に取りかかるのでした。
 まずは語学の勉強をスタートしました。幸いなことに、東京でハンガリー語を教えているネイティブの方を見つけることができ、本物のハンガリー語を学ぶことができました。これは自分にとって留学の大きな問題点のひとつである「言葉の壁」を少しでも低くしてくれた大きな出来事でした。
 大学 4年生の夏に、下見もかねてついに初めてハンガリーへ飛び立ちました。これまた幸いなことに、門下生の先輩でリスト音楽院で学ばれていた方を通じて、そのご友人の方に首都ブダペストや学校の案内して頂き、当時何もわからなかった自分にとって本当に助かりました。
そして大学を卒業し、いよいよ留学試験を受けるためにハンガリーへ再び飛び立ち、何とか合格を手にすることができました。まさか自分がリスト音楽院に入るとは、音楽の道を志した約 10年前の自分からすれば夢にも思っていなかったと思います。両親をはじめ先生方、友人や先輩方のサポート無くして留学は成し得なかったことです。

 ハンガリーでの留学生活は今年の 9月から 3年目を迎えました。こちらでの生活は「ピアノ」「語学」「演奏会・オペラ鑑賞」が主な日課です。レッスンは現在は週に 1回 60分真剣勝負です、自分の下手さ加減から毎回怒られながら、レッスンが終わった時はへこたれることが多く、絶望のあまり鎖橋の上から美しき青きドナウに何度飛び込もうと思ったことか …でもめげずに 3年目を迎えています。語学は週に 3回、月曜日と金曜日は学校が無料開講している日本人教師によるハンガリー語の授業、水曜日はハンガリー人による授業に出席しています。少し早めにハンガリー語を勉強していたため、日常会話が問題ないレベルの上級クラスに呼ばれ、いざ授業に出てみると自分よりもハンガリー語を流暢に話す留学生だらけで、これまたドナウ川に飛び込みたくなる始末 …正直ピアノレッスンよりもタフですが、これもめげずに頑張っています。留学って一見華々しいようで、実は厳しいことの連続なんだと痛感させられています。レッスンや授業も無く、時間がある時は演奏会やオペラを鑑賞するようにしています。ブダペストは特に音楽学生にはありがたい街で、リスト音楽院はもちろん周辺には国立歌劇場や M.PA(ブダペスト芸術宮殿 )などのホールがコンパクトにまとまっていて、なおかつ日本よりも安い物価のおかげで、かなりの安値で鑑賞することができます。いつも日本の友人には「自動販売機でジュースを買うような感覚で」と説明しています。さらにリスト音楽院で行われる演奏会に関してはリスト音楽院の学生は無料で聴けるシステムは本当に素晴らしいと思います。日本で同じような演奏会を聴こうものなら出費がとんでもないことになるので、本当にありがたいです。オペラも日本で観られなかった分を一気に取り返すように、国立歌劇場やエルケル劇場へ足を運んでは、たくさんの演目を観るようにしています。

 留学 1年目はやはり何かと不慣れなことばかりで異国での生活に順応することで精一杯でしたが、 2年目からは少しずつ軌道に乗りはじめ、演奏活動やその他のお仕事も頂けるようになってきました。直近ではサクソフォンの講習会での伴奏要員や、研修旅行でブダペストへいらした音楽短期大学のグループに対してレッスンの通訳を担当させて頂きました。これらはどちらもハンガリー語で行い、自分自身大きなチャンレンジとなりました。まだスタート地点ではありますが、ようやくハンガリー語で勝負ができるようになり、大きな自信へとつながりました。

 最後にこれからハンガリーでやっていきたい 2つのことについてお話ししていこうと思います。
 まず 1つ目は『ハンガリーを日本に発信すること』です。上野学園大学演奏家コースピアノ科同期 13名で立ち上げた「 TRUMP」という音楽団体で活動をしているのですが、演奏活動をひとつのメインにしている団体ですが、この夏から YouTubeを通してクラシック音楽の楽しさを伝える活動も始めました。そこで私が音楽留学をしていることから、【けんせーの留学を丸見せ!】というコーナーを持たせて頂くことになりました。音楽留学を考えている音楽学生や純粋にヨーロッパの音楽界に興味を持たれている方々をターゲットに、ハンガリーにおける留学の気になるや文化、風景をお届けしていきます。これから本格化していくので、ぜひチャンネルをご覧になって頂きたいと思います。
 そして 2つ目は『日本をハンガリーに発信すること』です。もうすでに実践していることではあるのですが、何か演奏する機会を頂いた際には、積極的に日本人作曲家の作品、つまりメイド・イン・ジャパンの音楽を取り上げるようにしています。これは個人的な考えですが、クラシック音楽を勉強するとどうしてもヨーロッパの作曲家の作品を勉強する事になります。ドイツやフランス、ロシア、もちろんハンガリーもそうです。どの国にも英雄的な作曲家がいて、人々は敬意とプライドを持っています。日本の場合はどうでしょう、プライドが無いとは言いませんが、そのような意識は本場ヨーロッパと比べてしまうと歴史が浅い分、薄いのかもしれません。でも私はそのような中でも日本産の音楽だって決して負けてなんかはいないぞと思っています。せっかく留学しているのだからそれらを発信していきたいと思いました。もちろん日本の音楽、そして日本を心から愛しているからこその行動です。今年の 4月にブダペストで開催したリサイタルでは、山田耕筰氏の作品など、日本を感じることのできる作品を取り上げました。ハンガリーの聴衆の皆様には、普段耳にすることのできない音楽を興味深く聴いて頂きました。
 少し話がずれますが、音楽のこと以外で強く衝撃を受けたことがあります。外国人留学生とお話しする時に、各々自分の国を良く知っていて、自分の国に誇りを持っているということです。文化はもちろん、政治の話など何から何まで深く知っているのです。そして他の国々、特に日本には大きな興味を持っていてくれています。何とか説明はできたものの、語学力の乏しさや、単純な知識不足でより深く日本のことを説明できなかったことがあり、自分は日本人なのに日本のことをそこまで知っていないんだなとひどく落ち込みました。
 留学というのは、語学や文化など「その国を知る」というのはもちろんですが、「自分の国を知ってもらう」ことも大切な活動のひとつだと信じています。私はたまたま音楽家としてハンガリーに留学している 1人の日本人なので、自分の強みである「音楽」を活かして日本の美しさを積極的に発信していこうと思っています。
 まだこれから自分のハンガリー留学生活は続いていきますが、まずは自分自身が全てにおいて強くなることを第一に考えて、引き続き邁進していきます。そして留学を終えて日本に戻ったとしても、音楽に携わる者として常に日本とハンガリーを繋ぐ存在でありたいと思っています。ハンガリー留学を過去の思い出にせず、留学という括りが無くなった後でも、自分自身が挑戦そして成長できる場所がハンガリーにはあり続けるというのが一番の理想です。

(わたなべ けんせい)