みどりの丘日本語補習校に通い始めてから、11年の月日がすぎました。そして、私はやっと中学を卒業することが出来て、とてもうれしく思います。
 私の両親はハンガリー人です。両親ともに日本語は話せませんし読み書きも出来ない、ごくふつうのハンガリー人です。私はその両親のもとに生まれました。
 では、なぜ私が補習校に通うことになったのか、をここでお話したいと思います。
 私がまだ幼稚園生だった時に、父の仕事の都合で家族全員が日本へひっこしました。私は、家の近所にある幼稚園へかようことになりました。この幼稚園は日本人の両親をもつ子供ばかりでした。そんな環境の中で、私は、楽しく通いながら、たくさんのお友達も作れて、しぜんに日本語も話せるようになったのです。そして、小学1年生になった時に、家族全員でハンガリーにもどってきました。そして、補習校に入りました。
 4年を修了するころから勉強がたいへんになってきました。両親がハンガリー人なので、ほかのお友達とちがって、家に帰って宿題を手伝ってくれたり、分からないところを聴いたりすることができなかったからです。そのために、漢字や音読の勉強は、大変な思いをしながら勉強してきました。この苦労は一生忘れることが出来ません。
 心に残っている一番の思い出は、小学5年生と6年生の時にチレベールツの夏合宿に参加した時のことです。みんなと一緒にゲーム等をやりながらときを過ごしたので、本当にたくさんの思い出を作ることが出来ました。新しいお友達も出来ました。後藤クリスティアンネさんです。今、彼女は高校生として補習校に通っています。
 もう一つの思い出、それは、年に一度ある学習発表会です。今でも記憶に残っている発表といえば、中学1年時に中学3年生と一緒に演じた、夏目漱石の「吾輩は猫である」の劇、去年、中学2年時に演じた楽しくて面白い劇、そして、今年の「裁判員制度」という劇などを通して、さまざまな分野のことも勉強することが出来ました。

 この補習校がなかったら、私がもしも通っていなければ、きっと今の私はどこにも存在しません。日本語はもう忘れていたことでしょう。
 今日のこの卒業の日まで教えて下さった先生方、そして仲良くしてくれたお友達、私の勉強が出来るようにと11年の長い間、一生懸命になって補習校にかよわせてくれた、お父さんとお母さんにも、とても感謝しています。おかげで私はこんなに国語も日本語も出来るようになりました。そして、色々な行事をつうじて日本の文化にふれることができた喜びは、何にもかえることも出来ない、私だけの貴重な財産です。
 11年間、ほんとうにどうもありがとうございました。

(カルドシュ・イロナ)