欧州では、プロ競技のジロ・デ・イタリア、ツール・ド・フランス、ブエルタ・ア・エスパーニャなどの競技を頂点に自転車が社会的に広く深く認知されている。ご当地ハンガリーでもサイクリングが人気だ。週末の天気の良い日など、グループや家族連れでペダルを踏む姿が郊外や市街地などの自転車専用道路でみられる。経験測だが、2000年前後に比べ今日、自転車利用人口は日常、レジャーとも明らに増加している。ブダペスト市内の自転車専用道路の整備、自転車の流通など、2000年代中ごろから自転車をめぐる社会環境の改善が増加の後押しをしているのかもしれない。
 
 
 

運転で気をつけたいこと
 私が初めて欧州にきたウン十年前。週末に人魚姫の像を見にゆこうと、コペンハーゲン駅前で自転車を借り、さっそうと街に出てすぐ、年配のご婦人に怒られたのを覚えている。私が無意識に自転車道でなく歩道を走っていたのだ。書いてあることが分からないと言い訳できるのだが、一般の日本人の感覚だと、車道は危ないと思いつい自転車で歩道を走ってしまう。このとき自転車を車両として区別している社会があることを初めて体感した。また、欧州各地を訪れて驚いたのは、結構な割合でみんな腕による右折、左折の方向指示をやっていることだ。私は学生時代以降、日本全国を自転車旅行しインカレ等での自転車競技に参加してきたので、自転車歴はそう浅くないと自負している。学生時代は集団で走行する機会も多かったので、このような方向指示は今でもやっておりなじみがあるのだが、日本で一般の人が路上でやっているのをまず見たことがない。皆さんも、小学生のとき警察署のお巡りさんが学校に来て、交通安全教室で習ったとき以来ほとんど経験はないのでは?当地で自転車を運転する時は、地元のルールを守るのが事故防止に役立つと思う。
 当地では、日本から持ってきたロードレーサーで週末の早朝、時間があればトレーニングに出かけた。よく走るのは家のある市街地から郊外を回り戻ってくる50から60キロのコースだ。途中市街地では赤信号で足止めをくらうが、郊外は信号がなく下りの坂道では時速40キロ以上で駆け抜けるので気持ちがいい。ただ、ハンガリーの道は舗装道路の路肩の状態が悪いところが結構あること—日本でもありますヨ—で、大きな穴に車輪を落とすとパンク、転倒、自動車との接触が結構怖い。また、徐々に改善していると思うが、西欧に比べ自転車にたいする自動車ドライバーの安全意識は低いと言わざるを得ない—猛スピードで自転車の横をすり抜けるように追い越す、私の自転車めがけて、対向車線から無理な追い越しをかけるバカ野郎を何回も体験している。その多くはA社をはじめとするドイツ製高級車で、当国では車の価格とマナーの悪さが正比例しているのではないかとつい思ってしまう。

自転車文化に触れる
 イタリアは、名車デ・ローザやコルナゴ、ビアンキや日系自転車部品メーカーシマノのライバル、カンパニューロを生んだ国だ。イタリア・アルプスの3,000メーター級の山脈を縫うように作られた山岳道路に行くと、ハンドメイドの美しいロードレーサーで力強く昇ってゆくサイクリストを多く見かける。車ならセカンドで昇るような坂道を、ぐいぐい上るあの体力に脱帽するとともに、ポルドイ峠(2,236m)にはイタリア自転車競技界の英雄ファウスト・コッピ(1960年没)の記念碑があり、そこにサイクリストが集うのを見ると、彼の地の自転車愛好者の層の厚さと歴史を感じずにはいられない。イタリアがちょっぴりうらやましくなる。
 ちなみに日本にはヒルクライムという山岳自動車道路を通行止めにして、ゴールをめがけてひたすら坂道を自転車で登る結構マゾっけのある競技がある。私は、今回ハンガリーに赴任した2007年の6月に、Mt.富士ヒルクライムというレースに参加した。このレースは、山梨の富士急ハイランド近くから5合目まで約24キロ(標高差1255m)を、全国から集まった健脚自慢約4,000名が自慢のロードレーサーで最大7.8%の坂にあえぎながらひたすら上るものだ。平原の国ハンガリーで同様の競技会の存在を知らず、欧州では残念ながら参加したことはない。日本に帰国したらまた参加したいと思っている。
 隣国オーストリアは結構サイクリング道路が整備されている。サイクリングにいいシーズンを狙って、これまで何回か自転車を車に積んで片田舎に出かけた。家族のお気に入りは坂道のほとんどないドナウ川沿いの自転車専用道路だ。ここは地元のサイクリストも多いようで、年齢、性別を問わず幅広い層が集う。こっちの人はおなかの出た紳士・淑女もスタイルを気にせずド派手なサイクルウェアを着て楽しそうに風を切る。もちろんみんな専用ヘルメットをかぶり本格的だ。自転車はマウンテンバイクや日本でいうクロスバイク風のものを多く見かけた。日本でも試験的に行われるようになってきたが、ハンガリーやオーストリアでは自転車を列車に乗せることが可能だ。サイクリストは列車を使い起点の町まで行き、そこから自宅まで半日、1日かけて戻ってくることもできる。個人的にはうらやましい環境だ。
 収穫を待つリンゴやワイン用の葡萄畑の中を、川面を渡る風に吹かれながら走るはとても気持ちがいい。途中船の渡しを利用して対岸に渡り、サイクリングを続けるのも雰囲気が変わって楽しい。サイクリストが多く集まるレストラン、木陰で、遅めの昼食をとるのも日本では得られない体験だ。
 いま日本でもエコな乗り物として自転車が注目されている。愛好者が増えることで、マナーやルール、自転車道路など社会資本の充実など、年齢を問わず自転車を楽しむライフスタイルの確立に向け課題は少なくないが、いつの日かハンガリーやその他の欧州諸国同様、子供から大人まで自転車を楽しめる社会になってもらいたいと思っている。
 この原稿を3月11日に発生した東日本大震災の被災状況をネットやテレビ等で見聞きしながら執筆している。亡くなられた方、被災された方に心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。

(ほんだ・まさひで ジェトロ)