ハンガリーへ来て早4回目の冬を迎えました。毎年この時期になるとただでさえ日が短いのに、それに加えて暗く厚い雲がどんよりと空を覆うので、夏の強すぎる日差しが恋しくなる毎日です。
 私は現在、リスト音楽院の修士課程に在籍しています。これまでの3年間は、基本的にレッスンのみのパートタイムコースに籍を置き、計画や目標を自分で決めて行動していました。とは言っても全てがお膳立てされている日本とは違い、こちらでは自分から動かない限り何も出来ません。それに意思表示をするのにも言語の壁が高すぎて、始めの一年は手探りで様子を見ながら進んでいく感じでした。最近は、さすがに少しはまともになった様な気もしますが、それでも時々、例えばコンチェルト(協奏曲)をやりたいと伝えたつもりで候補を挙げて頂いたら全てコンサート(演奏会用)ピースだったとか、6月の本番を直前まで7月だと思われていたとか、数え上げればきりがありませんが、そういうすれ違いを経験する度、もっと努力しなければいけないなと痛感します。
 それでも先生のレッスンはとても素晴らしく、毎回が驚きと感動の連続でした。こちらの先生方は、言葉でも非常に深く、内容の濃いレッスンをなさいますが、時にそれ以上に、何気なく弾いて頂いた演奏に驚かされる事があります。ほんの一瞬出された音で、世界観が変わる事もよくあります。そんな貴重なレッスンを受ける事に集中出来た3年間は、とても有意義な時間でした。今は決められたカリキュラムに従い、実技や室内楽の他、様々な講義に出席して勉強しています。若干窮屈に感じなくも無いですが、ハンガリーの歴史や文化、民謡などここでしか学べない科目が沢山あり、とても充実した生活を送っています。
 ハンガリーへ来た一番の動機は、日本で受けた今の先生のレッスンに感銘を受け、この先生のもとで是非学びたい、という思いからでした。それからクラシックの本場ヨーロッパで、輸入されて根付いた音楽ではなく、伝統として受け継がれている音楽に触れてみたかったというのもあります。
 実際こちらに来てみて、言語に始まり生活、文化、あらゆる習慣が日本と全く違い、最初は戸惑うばかりでした。特に時間に対して、こちらはとても寛容で、例えばトラムはいつ来るか分からない、スーパーや郵便局では大行列、検針や配達も何時〜何時の間!と驚きの連続で、日本の時刻表の正確さが逆に奇跡に思えるほどでした。しかしやがて慣れてくると、この国の人達がゆとりを持って生活している事が分かってきました。乗り物では当たり前の様にお年寄りに席を譲り、カフェでは何時間も座っておしゃべりを楽しみ、走ったり急かしたりするのもあまり見かけません。
 そして音楽も格式張った堅い芸術ではなく、ゆとりある生活の一部として人々に親しまれている事を強く感じます。ここでの演奏会は、聴衆は皆、正装していても温かく奏者を迎え演奏を楽しみ、感想をはっきり態度で表します。そんな光景を目にする度、服装や照明は違ってもほんの200年位前までは、今では気の遠くなる程偉大な作曲家達もこんな雰囲気の中にいて、それが今でも受け継がれているのだと思うようになりました。
 その他にも、時刻を告げる教会の鐘、古く優雅な建造物、それらが広がる美しい景観に日々刺激を受けています。譜面の音符と音符の間をじっと見つめても、伝記をいくら読んでも、そこから冬の風の匂いや春の緑の鮮やかさを知らずに感じ取る事は出来ません。今も脈打っているものなら尚更・・・そんな得難いものがすぐ傍にある、素晴らしい環境に身を置けることに、そしてそのために力を貸して下さった全ての方々に感謝しながら、これからも研鑽を積み重ねていきたいと思います。