2004年、ブダペスト滞在生活を綴った『きいろはハンガリー色』(新風舎、2004年)発刊時に写真を提供していただいたT氏の誘いで入会した日本ハンガリー友好協会。ブダペスト滞在時のハンガリー人の友人、Mさんから是非にと紹介された日本在住のハンガリー人Hさんに向日葵畑の写真を探していると相談した結果、T氏を紹介されたものである。友達の友達の友達が、また友達になった。
 私の人生には向日葵という花が付きまとう。「向日葵のような人」、「花で言えば向日葵」等々。花の名前が発声されるたび、私はまたか、とがっかりした。丈夫そうで、強そうで、土臭いイメージで、女性の褒め言葉に響かない花のイメージを感じてきたのだ。
 ハンガリーの夏は果てしも無く向日葵畑が広がっていた。ヒトの背丈より高く、兵士のように堂々とした立派な茎と大きな葉と太陽にも負けない大きな顔の黄色い花が海原のように風に揺れて、印象に残る風景だった。
 日本ハンガリー友好協会でT氏夫人を紹介されると、「ひまわりの詩」というご著書をいただいた。今は亡きご令嬢の思い出を綴った御本であったが、「向日葵」がまた、ここで繋がったことに、私は、言いようの無い縁を感じた。胸を打つ逸話の中で、ご夫妻が大きくなるまで育てられたご令嬢が、なにより、向日葵の花が大好きだったことを知り、私の心の中で「向日葵」が突然、いとおしいものに変わった。
 昨年は、夫が協会の事務局長の任務に着いたことから、私も経理の仕事を中心に、ボランティアで手伝うことになった。日本とハンガリーが外交開設140周年という記念の年にあたり、年間行事をまとめたフェスティバル・プログラムを作成することが決まり、夫が担当責任者になったことから、当然のように、私も手伝い要員として動くことになった。
 作業は想像を絶した労力と時間を要した。全国の支部や各地協会に連絡をする最初の段階からつまずいた。過去の情報内容は機能していなかったし、各地の執筆承諾への反応は薄く、関心も低かった。想定ページ数獲得は至難の業に見えた。
 誰に頼めばいいのか、誰の承認をもらうのか、何を書いてもらうのか、地方を代表したものになるのか、写真や資料はどうするか、記念行事はあるのか。頼む側、頼まれる側で理解にギクシャクしたものがあり、原稿が集まるまでに膨大な時間がかかった。印刷会社とは校正時間の契約があり、予算も限られている。予定日までに本当に完成できるのか。初めて経験するとまどいと心配だった。
 冬の間は、印刷会社と集まり始めた原稿をめぐって、校正のやりとり、確認、追加、変更、連絡等、時間と費用の契約制限ぎりぎりの作業が続いた。朝も夜もなく、いつもパソコンと電話とファックスに向かっていた記憶がある。印刷会社が利益を度外視して協力してくれたことは嬉しかった。理事会が何度も集まって見直し作業を行ない、実行委員会、四十三協賛企業、大使館や宮内庁に向けても十分な構成になっているか、徹底したチェックが行なわれ、ようやく半年がかりで完成した。
 出来上がった記念プログラムは想定予算内でページ数を大幅に増やし、上質で見事なものに仕上がった。各所から評判も上々で、当初予定部数3000部から10000部の発行へと変更になった。
 プログラム作業中、各地の支部・協会や関係会社、大使館、外務省他と何度となく打ち合わせや交渉をする中で、すっかり気持ちが通い合って多くの友人ができた。気持ちが通い合ったからこそ、素晴らしいプログラムが仕上がったとも言える。お互いに苦労した多くの方々とは、今でも温かい交流が続いている。
 今年は島根県や熊本県などで、新しくハンガリー友好協会支部や協会が誕生した。地方に行くほど、友好協会の活動に大変熱心で驚いている。
 また、この一年は、ハンガリー関係のコンサートや競技、講演会や写真展、料理教室や映画等がぞくぞく登場して、まさに記念の年にふさわしい華やかさがあった。カレンダーの印見落としに気をつけて、楽しみに頻繁に各地に足を運んだ。
 9月、全国の集いは一日をかけた大イベントだった。ホテルの広い展示ロビーには全国の展示ブース、ハンガリーの児童作品が飾られた。ハンガリー刺繍や関係出版物も並び、華道や茶道の接待、実演、大広間にはハンガリー人による書や工作もあった。
 舞台も見ごたえがあった。日本舞踊、ルービックキューブ世界チャンピオン実演、写真とトークショー、カラーカ演奏、ツィンバロン演奏とやすき節、スピーチコンテストと統一性には欠けるが、迫力と情熱は十分だった。
 続くディナーパーティはリスト音楽院卒業生のバイオリン、エリザベート橋の説明で始まり、350人を超える大パーティは、ハンガリー料理とハンガリーワインが溢れる中、夜が深まるにつれ、話の輪に花が咲き、佳境に入った。全面的に、日本ハンガリー友好協会が企画、運営し、協会会員の協力で作り上げた大イベントだった。
 イベントや会報、請求書や案内を送付する機会、連絡や問い合わせに応じるほんの少しの手伝いを通じて、協会内で知り合いが急速に増えていった。この一年間だけでも、どれだけ多くの方々と話したことだろう。実際に会場で挨拶をした後は、本当に親しい関係になった。こんなメリットは考えてもいなかった。入会とボランティアのお手伝いに添えられた嬉しい収穫だった。
 人生の楽しみの中で、気の合った友人が増えるのは格別のことである。日本ハンガリー友好協会への入会は、老若男女、実にいろいろな職業や立場の方々と知り合う機会になった。還暦を過ぎた今も、人との出会いに新しい世界が拡がり、そこで新しく教えていただくことにいつも驚き、感動している。